<-ホーム <-青木氏氏 写真館トップ <-ワード検索 <-画像人気ランキング※青木氏氏 写真館の画像は一部を除き「福管理人」の著作物です。

青木氏氏 写真館 - 福管理人のカメラの腕が呻る。

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
影イリス [2009/04/17(Fri) 19:29]
影イリス
⇒画像拡大

■解説
イリスの写真の趣に加えて、この影イリスでは、青空が突然薄暗くなり、そして開き、その明るい所から趣の姿で女神が現れようとしている一瞬の様を構成しました。

左後ろから光を取り入れて、花と空の間のところの花よりに焦点を合わせると、空の明るさに引かれて花の部分は暗く成ります。
このカメラの現象を利用して一瞬の様を作りました。

何か中央の明るい部分から神が現れる神秘的な感じがしませんか。

イリスと合わせて「組写真」としてのその趣は如何ですか。
この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

イリス [2009/04/17(Fri) 19:16]
イリス
⇒画像拡大

■解説
花菖蒲科の一種です。
この種類には沢山の花があります。今回はこの花を撮影しました。

そもそも、イリスとはギリシャ神話の虹(にじ)の女神であり、人間に神の命令をつたえる神です。風と共に現れる神とされています。

日頃見ている花菖蒲の青紫がポピュラーです。
外国の神話の名前が付いているので名から来る印象や趣はやや鈍い所です。

敢えてこの花の趣と云えば、”春の青空の中から突然に現われる颯爽と風のように歩く着飾った淑女”でしょうか。
花の複雑な形、色合い、茎の姿、剣の葉それで居てけばけばしく無い感じがします。

先入観かも知れませんが、真に羽衣をなびかせるながらやってきた大和女神かもしれませんね。
この趣が複雑なので「組写真」で表現します。

そこで、風が吹きそうな自然の木々の中に右の方から光が差し込み、其処から降りてくるようなイメージを構成しました。
色が複合的であるためにフェリャーの工夫は出来ません。この花画面にフェリャーが働き難い色合いの背景を暗めの青緑としました。
そこで自然雑草と此花の印象を対比して外国の名前から日本的印象を引き出す事を狙い菖蒲を撮影しました。

ご覧下さい。

これと合わせて「組み写真」として更にもう一枚の写真の2枚で表現する事を試みました。


この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

牡丹 [2009/04/15(Wed) 06:44]
牡丹
⇒画像拡大

■解説
濃紺の牡丹です。

花の大女王と云う感じです。
その容姿端麗、存在感など何をとってもこの花に勝る主張を持つものがないでょう。
その趣は落ち着いた華やかさです。
そして、”観てください”では無く”観なさい”と云う迫力があります。
観る事で人の悩みも消し去り或いは全てを包容する「花力」のようなものを感じるのです。
此花を見る度に何事にも人一番優れ、男勝りで、それでいて母性愛の強い家庭的な私の「スーパーウーマンの母親」を思い出し涙が出ます。
これを書いている今も涙が滲んできます。

どんな春の日差しにも負けない花でフェリャーや色理論など無関係なほど自分の方から逃げていく様な主張です。
春の日差しを右から当てて斜め上から撮影します。
花だけではいやらしさが出ますので牡丹の葉を左に持ってきます。
後ろには強引に犬走りを入れました。何か逆らいたい気持ちでこれでも牡丹の主張は落ちないだろうと。
実は路はフェリャーが働きやすい被写体ですので働かないだろうと思ってのことでもあるのです。如何にこの花の赤が強いかが判るのですが働いていません。
実は、葉を含む牡丹の花は写真姓を観る写真技術の被写体の確認物なのです。

私には毎年咲くこの花木葉に”見事”と云いようが有りません。「趣」を超えています。
この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

連翹(れんぎょう) [2009/04/14(Tue) 18:23]
連翹(れんぎょう)
⇒画像拡大

■解説
連翹の花です。

深みの在る黄色い花で15ミリ程度の花が咲きます。
此花は春の日差しに敏感に反応する花です。
木姿は細い枝を放射状に伸び其処に花目をつけます。花目と同時に薄黄緑の若葉を枝先につけます。毎年30センチ程度伸びて放って置くと大変な木に成ります。そこでいつもこの伸びた枝程度を咲き終わると直ぐに剪定します。そうする事で次ぎの歳には多くの花目をつける事ができるのです。若葉と花を同時に楽しめる花木に成ります。
花色は勢いのある黄色ですが、その木の太さは柳の木程度で頼りない木姿です、
この頼りない木姿に咲いた花の趣は花同士が群生して助けあって咲いていると言ういじらしい感じがします。落花するときもいっせいに散る様です。
何か人間のこの世での生きる様を見せ付けられているこの花の様な感傷を持ちます。

花の黄色をより維持してその趣を求めます。
そのために背景を青系統(B)にしたいと思います。
当然、花は小さいのでマクロを使います。
そして、後ろの色合いをぼかして青緑の色合いにします。
そうする事でBの補色反応より黄色の深みを出します。
光を右上から適度に採り元気さを表現します。
光を余り強くすると、シアンが働き黄色が白に近づきます。一部成っています。
薄茶色の木の枝がシアンで白くて茶色が破壊されてマゼンタが出て来ています。
本来ならば枝の色を保護するのですが、背景が薄暗くなるので敢えてフェリャーの影響を示しました。”明るく元気に皆で”の趣を誇張しました。

印象のよく働く花では有りませんが、如何ですか。

この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

どうだんつつじ [2009/04/14(Tue) 08:48]
どうだんつつじ
⇒画像拡大

■解説
この真っ白で愛らしい形をした花のつつじは他のつつじよりも先に咲き始めます。

春の日差しを受けて丸い笠のような形をした木姿にいっぱいに咲きます。

この花の持つ趣を表現したいと思います。
形は釣鐘かぼんぼりによく似ています。
未だ現代のように科学文明が進んでいない田舎道を何か行き先を照らしてくれる提灯のようで、”愛らしさと遠き日の子供の頃の思い出”という感じを引き出してくれます。
兄弟で遠くの銭湯から帰る田舎の夜道での思い出と云う感じです。

この柔らかいシアン含みの白さは大変に光の量と強さとフェリャーの影響を受けます。
そこで先ずその光の強さと量を抑えるために朝早く日の出の時間とします。
直射光は避けます。
背景の色はフェリャーを抑えるために薄く暗くし、中間色の背景が出るように位置を慎重に選びます。そして、被写界深度を低く抑えてマクロで後ろをぼかします。
マクロであるので出来るだけ多くの花にピントが来る様に平行な枝ぶりを探します。
花の数が少ないとこの花と枝ぶりの持つ主張力が出ません。
枝を右ら左に通さずに画面内で留めて枝ぶりそのものも見せます。
其処に花だけでは侘しいので新芽の黄緑葉を入れます。
これで、数人の兄弟が並んで薄暗い銭湯からの帰りの夜道を提灯を持って家路に急いでいる姿を連想させます。

「趣」が伝わるでしょうか。





いろは完璧に近い白で若干シアンを含んでいます。


この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

町と夕焼け [2009/04/14(Tue) 07:11]
町と夕焼け
⇒画像拡大

■解説
暮れなずむ夕日その中にくっきりと町が出てきます。

夕日を観ると”あー今日は一日無事で終わった”と張り詰めた気持ちが一瞬安らぐ一息のつける一瞬です。

町には今日も大勢の人が蟻のように働きそれをかき消す町の姿が映ります。
これを人類は繰り返して来たのですね。
この夕日の色を見ると、真に色即是空 空即是色を思い知らされ”自分も老いたかぁー”と神妙に成ります。
夕日だけではこの感傷(趣)にはなれないでしょう。
町の全ての色を消す姿がこの趣を呼び起すのでしょう。また、年齢によりこの夕日と町を見る感傷は違うものですね。

さて、この夕日と町の暗闇には写真の色に関する原点が潜んでいます。

町の暗闇を表現して余計な印象を排除します。
別の印象を抑えるために町の視野範囲を余り広く撮りません。日本画の様な構図としました。電線が入っていますが、この電線が在るのと無いのとでは町の表現が弱まり夕日の綺麗さに焦点が移ります。そこで電線の映る撮影角度を選びました。強すぎる感じもしますが、町を同等に意識しました。
(この写真登録ソフトは残念ですがデジタルの低画素数で電線がおかしく成りますが酌量してください。直線部が多い景色撮影には無理が出ます)
黒と赤の階層だけが起こり、夕焼けは光の量と強さとフェリャーの影響が小さく成ります。ただ、撮影速度を小さくします。

人間の穏やかな感傷を生み出す「趣」をもちますが、皆さんは如何ですか。


この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

桜のフェリャー [2009/04/13(Mon) 07:30]
桜のフェリャー
⇒画像拡大

■解説
桜の花は朝昼夕と花の感じが違います。

朝日、昼と夕方の写真を添付します。

桜は余りにもポピュラーで最も人気のある花です。

同じカメラ条件で撮影しても春の日差しの採る時間帯でその色合いが異なってきます。

太陽の光に持つYMCとそれを色として見る人間のBGRに対しては補色関係、つまり男と女の関係と同じく相対関係にあります。
これは自然の摂理ですが、太陽が発する光は物質の核分裂によって起こる物質固有の衝撃振動波です。指紋と同じものですね。

補色とはどのような関係があるのかと言う事ですが、例えばある大きい背景がありその前に物があるとしますと、背景をBとしますとその前の物は自分の元の色にYが混じり色変化して人間の目には見えてしまうのです。これをフェリャーが働くと言います。
朝日、昼日、夕日と光の強さは変わりますので、YMCの含んでいる量は異なります。
朝は空気中の水分や塵は少ないので光の透過量は多く成ります。従って衝突して出す色は少ない事に成ります。つまり赤系は透過、紫系が不透過となりますね。夕日はこの逆です。光は昼が一番強いのでYとCが最大に成ります。物質にこのYMCがフェリャーとして大きく働きます。
では、朝日から夕日の写真を観てください。空の色と桜の色が違います。当然その被写体の画面に占める割合でフェリャーの影響度が違う事に成ります
そこで自分が感じた桜の趣を表現するにはどの時間帯が良いのかを決める必要がありますね。(色理論レポートを後日投稿予定)
芸術写真は別として、その前の基礎となる趣写真を撮るにはこの様な原理を知って撮ると綺麗で趣のある写真が撮れる事に本来は成る筈ですね。

では、右は朝、左上は昼、左下は夕方の写真です。これだけ春でも変化するのです。
夏秋冬はその光の量と強さで推して知るべしです。

春のフェリャーの変化の一例をご覧下さい。
この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

ゆすら梅の木姿 [2009/04/12(Sun) 17:01]
ゆすら梅の木姿
⇒画像拡大

■解説
この木姿も同じく今度は背景を木にして後ろフェリャーの影響を抑えます。
後ろは古木の梅で左右に椿と竹の笹ですので暗くて一枝の写真と違いマゼンタのフェリャーが働いていません。そして、右から朝の日差しを入れます。
何とか一枝と同じく自然の色合いが出ていますが、朝日を取り込んだ事と一枝の写真とはバックのフェリャーの暗さとで少し色が異なります。
一枝の花写真が自然美になるでしょう。

此花は小さい事と群れて咲くので、その花びらの形を一つ一つ認識する事は印象的にはあまり少なく、全体として薄紫の長い花の柳の群れと云う趣があります。
遠くから観ると紫の花棒が直立していると云う感じです。
元木も太くなりませんので、春に変わった紫の菜花が咲き乱れているという感じです。
全体として大きくなるとこの様な枝が花火を打ち上げたように丸い木姿に成ります。

夢の中で幼女たちが戯れている感じがします

一枝のゆすら梅と較べてその趣は如何ですか。
この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

ゆすら梅 [2009/04/12(Sun) 13:18]
ゆすら梅
⇒画像拡大

■解説
このゆすら梅は梅ですが、主に観賞梅ですね。

この梅には1センチ程度の薄いピンク色の透明な丸い実が成ります。
この花をご覧に成って懐かしい思い出を感じた人が居られるでしょう。

昔はこの実がなると田んぼの麦わらで駕籠を自分で編み作ります。そして、この駕籠にこのピンク色の実をいっぱい摘むのです。この味は女性に好まれる味で甘くほのかにすっぱい味がします。見ていても綺麗な実です。この実を食べると昔を思い出します。
花も5ー6ミリ程度の花で極めて微妙な赤紫の透明な透き通る色合いです。
木も大きくなりませんし柳枝ですので摘むのは容易です。

さて、花の色藍が趣の大半を占めるので、この色合いの自然美を出す工夫が必要です。
そこで、背景の色が大きく左右しますので何とか間接光を取り入れ、全体の背景にフェリャーを抑えるものを取り入れます。
この花はマゼンタですので、マゼンタを基調に条件をセットします。
特に、春の直射はYやCが働き自然のマゼンタを保持できませんし、しっとり感と思い出のある甘すっぱい趣を表現出来ません。またCのハレーションを起します。
この場合はそこで用いたのがブロックですが、この薄暗いもので色を保持します。
其処に左右に黄色と緑を取り入れて自然感を醸し出します。
当然にマクロで撮りうしろをぼかします。
多くの花を入れるとマゼンタの色合いが強すぎますので一枝程度とします。
ブロックの上部分にマゼンタのフェリヤーが働く程度にします。
これで自然の色合いが保持出来ました。

特に女性の方には昔の懐かしい思い出が蘇ってきませんか。若い人には甘すっぱい感傷が生まれませんか。
ゆすら梅木姿でより感傷が深まりますので次ぎに登録します。
合わせて観賞ください。
この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

あけび蔓姿 [2009/04/11(Sat) 20:08]
あけび蔓姿
⇒画像拡大

■解説
あけびの蔓の姿がどのようなものに成っているのか興味が湧くと思います。

ではその姿をご覧下さい。

この様に一本の支柱にびっしりとかずらが絡んでいます。
そして、沢山の花が咲きびっしりと実が成ります。
実に付いては実りましたらまたご覧に入れます。

このあけびは大昔は始めは食用に中国で開発されたもので日本で野生化したものですが、絶滅し自宅で保存している大変珍しいものです。
食用以外に昔は漢方薬としても使われました。

普通のあけびの大きさより2倍はあります。最大で20センチ程度に成ります。
成育する環境が少なくなった為で食用に改造されたものと成ると尚更、成育環境は難しい事と成ります。
現在、知人の高級料理店に差し上げていますが、最高級の料理に出している様で、一度中味を取り出して寒天に味付けをしたものを加えて、又元のあけびに戻して出すようです。
大変懐かしく喜ばれ幼き頃の話で賑わう様です。

この写真は別の木に巻きついたあけびですが、写真性は別として、懐かしさや珍しさでご覧下さい。

この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

あけび [2009/04/11(Sat) 13:40]
あけび
⇒画像拡大

■解説
さて、この花をご存知ですか、最近ではかなり田舎でなくては見られなくなりました。

白あけびの花です。あけびを知っていても花は知らないと云う人が多いのではないでしょうか。普通のあけびは紫色をしていますがこのあけびは真っ白です。
戦後の食糧難の時、幼い頃山に登って採りに行きました。懐かしい思い出でとして感じる人も居られるのではないでしょうか。(庭に保存種)

そうなりますとこの花の趣となるとご覧に成る人によって違うかも知れませんね。
「思い出」と成ると懐かしさが入り込んできているかも知れません。
私のこの花の感じる趣を表現しました。
幼き頃の可憐で爽やかさを感じます。
まゆみの写真の花に似ています。

花は大変小さくて1センチ程度ですのでマクロ限界で採りました。
そして背景の竹の葉をぼかして花に視線が行くようにします。
Yを抑えるために朝日で撮ります。
画面は対角線上に分轄させ右上は緑を左下は空間とします。竹とあけびの葉の緑と空間の白の間に花蔓をセットして花を誇張すると同時に色のフェリャーの影響を抑えます。
中央対角線にあけびの蔓と花をセットとします。
光は直射を避けて左奥横からかすかに入れて、春の日差しのYと直射のCを抑えます
花だけでは物足りませんので、竹に巻きわりついたあけびですが左に竹を入れます。
そして、竹は色理論の色確認出来るサンプルですので自然色が出ている事が確認出来ますし、日本的趣を引き出します。
花は大変微妙な薄赤紫(M)の色合いですので補色のGを背景にフェリャーの影響をなくします。
単純な画面ですが、自然色が出ていますのでその自然美が引き出されています。
また、長く眺めていても落ち着きのある趣を感じます。
写真と云うよりは日本画ですね。自信作です。
(登録ソフトの関係でY補色B0.2が働いています)

では、幼き頃の思い出を想起してゆっくりとご覧下さい。


この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

乙女椿 [2009/04/10(Fri) 22:19]
乙女椿
⇒画像拡大

■解説
椿の季節ももう終わりに近づきました。

自慢の椿の内残り3つの一つが何とか咲きました。
この椿は未だ老木古木では有りませんので無事に咲いてくれました
環境条件に左右される椿で、特に今年の様に温度が高いと咲きにくい椿です。
侘助のように順応性が高くありませんし、次ぎから次ぎへと咲くと云う性質のものでも有りません。ただ、反面にこの椿は長く木に着いている椿で、寒さには比較的強いのです。
この椿は伊勢椿に似ていますが、花の抱え咲きが違います。
芯の花弁も次第に開いて最終完開します。

少し、ピンクですが、侘助の様な強さと複雑な色合いを感じません。
乙女椿の呼称としてはその趣を感じます。天女の様な乙女でも幼児ではないでしょうか。
未だ、侘助のような美の趣などはなくこれから趣を育てると云う単純に純心無垢な椿という感じがします。
木姿も葉は濃緑ではなくこれから緑になるという風な感じでやや黄緑かかっています。
木姿と花の趣は真に「幼児の乙女」の綺麗さを持つ趣です。
むしろこの花は「天女の趣」です。

さて、これを表現するには背景に先ず気を使いました。
フェリャーが働かないような光と色を狙います。
後ろには他のの木葉や草木もそれの固有の趣をもっていますので純心無垢さを表現する為に一切避けます。
そして、目線を下から上にして、それは天女の如く空を舞いている工夫です。
花を正面にしないで、花の抱き咲きから右から撮り立体的な表現にします。
花はやや右よりにし、左隅には蕾を持ってきて幼児の蕾を誇張します。
光を後ろから取り込み花弁を鮮明にしてピンクの薄さ表現します。
空背色は雲のない曇りのない濃い目の一面の青空を選び無垢さを表現します。
陰影を着けた黄緑葉は天女の衣を表現します。
撮影距離は70センチ限界とします。シャッターは遅くします。

天女のような幼女の純心無垢さの趣を表現しました。

如何ですか。
この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

色の確認 [2009/04/09(Thu) 10:12]
色の確認
⇒画像拡大

■解説
パンジーの花です。

この花は特別にその趣を主張していると云うことではありません。

このパンジーは自然の色が出ているかを確かめる為に良く用いられる花なのです。
そこで簡単に色理論を述べて見ます。

ご覧の様に、パンジーの花は白、紫、赤、ピンク、緑、黄色、など色の基準と成る色を含んでいます。
この花で色が正しく表現されているかを見る事のパラメータなのです。
例えばピンクは色の中間色として代表的な色です。
そして、色理論からこのピンクはCCカーブの左に位置します。よって他の色に左右され難い色なのです。
色は補色というものを持っています。つまり、光のY、M、Cに対してB、G、Rの色に変化します。これ等は相対的(裏腹の関係)な関係にあります。
ピンクはこれ等の補色関係の中間にあるのです。
ですから、この色が正しく出ているかを見る事で、自然の色がどれだけ表現されているかを確認する事が出来ます。
自然の色を表現する為にカメラを含む機械類やパソコンのソフトに組み込まれています。
このソフトはその作成者によっていくらか異なります。
一応、基準は世界的に定められていますが、絶対的では有りません。
色と成る中心の設定、色の縦と横の階層のレヘルの設定、CCカーブの設定等により異なります。
更に、これに加えて自然色に付いての人間の好みが働きます。この好みは人種により異なります。西洋人は原色傾向で特に、赤を好みますが、日本人は中間色のマゼンタ傾向を良しとします。何れもが自然色からずれていてもです。自然色からずれていてもNGとしないのです。
人間が目で見た自然の色は大変な色の階層で見ています。しかし、ソフトはそれを無限大に表現できません。色の中心も表現できません。
しかし、より近い自然色に感じた色合いが「趣」を表現しますので、その色をカメラとソフトで表現するには、中間色を捕らえて記憶から確認する必要があるのです。
特に光のYMCを確認する必要があります。
これが一般的にパンジーが良く表現できるのです。もう一つはアスファルトの表面です。
当然白も判断材料です。
では、パンジーと道路の色(敷石)をご覧下さい。
パンジーの色とその階層がかなり自然の色に表現されています。
しかし、ややマゼンタ0.2傾向ですね。これは画像の登録ソフトのずれです。
同じくアスファルト(敷石)の白っぽい部分をご覧下さい。薄い赤紫傾向が出ています。
この二つで自然の色が表現されていない事がわかるのです。
この写真館に登録するまでには、2ー3度この関門を潜ってくる必要があります。
これが写真技術です。芸術的にはわざとずらす事もありますが、写真館ではこの芸術は行いません。自然の「美」と「趣」です。
芸術ではなく、より多くの人にその「美と趣」に感動させるには、自然の「趣」をより正しく多くカメラから表現しようとすると、より色理論を会得する必要があります。

カメラ好き写真好きな貴方、如何ですか。
(後日、本サイト用に「色理論レポート」を登録します)



この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

青空とプラモの花 [2009/04/07(Tue) 09:45]
青空とプラモの花
⇒画像拡大

■解説
春の透き通った青空にプラモの花が咲き乱れています。

プラモの山畑は白一色です。そして、その山の空は青そのものの青空です。
何か違和感を感じます。
山は新緑が季節です。其処に雪では無いかと思えるくらいにプラモの白の山肌がくっきりと映えています。この白に何処までも真っ青な青です。
その異質感が何か神秘的な爽快感を感じます。
本当に天より神が降りてきたかの感じさえします。
そして、神さえもは余りに綺麗さにその白花に降臨されたのかも知れません。
プラモの花には趣は有りませんが何故かその白に特異な趣を感じます。

春の朝日の日差しの太陽光が余りにも強いためかプラモの木肌と花群に赤紫の異質な光が輝き出ています。
写真中央部には何か赤紫の光の柱が立ち上っている感じです。
一瞬、”うんー”変だなと思いました。目の錯覚かと思いました。その瞬間、”あっ降臨かな!”と思ったのです。

実は画面に多く占める真青に対するフェリャーが働いたのです。それが花の白と木肌の太陽光の反射の部分に出たのです。
木肌の反射の部分に赤紫のフェリャーが働いています。
大変珍しい現象です。普通の青では出なかったでしょう。
雨上がりの後に適度な温度と空気が澄むと空気中に埃や塵が無く、雨上がりの適度な空気中の水分により、可視光線の400ナノから700ナノの投下量が最大になり、光のある角度から見るとこの春の晴天のこの時期にだけ現象が起こります。
古の昔は空気が澄み自然環境が良いために、めったに起こらないこの現象を神が現世に降りてきたと崇め、降臨柱と呼んでいた様です。
はっきりと起こる場合は薄い赤紫の柱のようなものがでるのです。
虹の一種でしょう。意外に紫が好まれた原因はこの現象からではないでしょうか。

予備知識があったために一瞬アングルと条件を決めてカメラを構えましたが何とか撮れていました。

確かに、青空、プラモの白の輝き、私には、先入観かもしれませんが、神秘的なものを感じますが、皆さんは如何ですか。


この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

日陰と日々草 [2009/04/06(Mon) 10:02]
日陰と日々草
⇒画像拡大

■解説
日々草は余り日差しの強い所では繁殖しません。
此花は春の日差しと似合う気がしますが、雑草の中や垣根の木の下などで見かけます。
しかし、その花は日陰の中でも紫の花を咲かせて、”あれーこんな所に花が”と言う風に気を留める目立つ存在です。
紫という花は古代から好まれた色ですが、矢張り此花がそれを物語ります。
華々しいものでは無く、と云って暗い存在を示すものでも有りません。
その中間と言えるのではないでしょうか。だから、古で好まれたのでしょう。
花の咲き方も華々しく咲くのではなく、点々と咲きます。
全て花の大きさ、花の形、花の色合い、咲き方との兼ね合い、全て前に出る性質ではない趣です。

その趣を表現したいと思いました。

雑草の中に咲いたものを選んで、朝日の日差しを木漏れ日にして右上から当るようにします。
花はやや影ぽくします。幹と葉は目立つ物では有りませんのでそれとなしに見せます。
花は3センチ程度ですのでマクロの限界で撮影します。

草むらの虫どもが駆け回る音がしてその何か落ち着いた静けさを感じますし、その中でも花の存在感を感じます。
田舎に生きる者の感性でしょうか。皆さんは如何ですか。
この写真に 1 POINT +
⇒投票結果はこちら

| 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |