■冬の庭と千両 [2009/12/30(Wed) 10:22]
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■解説 冬の「せんりょう」は又格別の趣があります。 「せんりょう」は良く活花などに使われますが、庭の片隅に植えている「せんりょう」も負けじと趣を出しています。 冬はこの様な赤い実のなるものが多く小鳥達には喜ばれています。
そして、冬の弱い日差しに当り枯れ葉の中で紅一点として庭の雰囲気を作り出してくれます。
枯れ山水の冬の庭とそして日差し、其処にこのせんりょうは庭全体が床の間の活花の様です。
前の写真の片隅にあるせんりょうも趣があって心を和ましてくれますが、このコラボレーションも又格別です。 この庭はお寺などにある作り出した造園の枯れ山水ではなく、自然性を重んじた枯れ山水の庭です。 私は都会や観光地にある作り出した枯れ山水庭もいいですが、自然の成行きに合わした枯れ山水に惹かれます。 小鳥はこの実を食べて種を運び、芽を出して育ち、庭の木々と共生している趣がすきなのです。人間が故意に植えたものではなく自然の力で配置されたそれが最大限に自然美を引き出すと思うのです。 逆光に近い春の日差しの道が千両にそぞぎ込み周りのハレーションも庭の趣に馴染んでいます。 この自然の何気ない情景が見えます。冬の陽だまりの自然に馴染んだ枯れ山水の趣を引き出しています。
都会では絶対に見られない情景ですのでお茶を飲んで一時の癒しとしてください。
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■千両 [2009/12/29(Tue) 11:50]
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■解説 前の「せんりよう」に比較してこの千両は確かにこの植物の持つ「趣」が真に千両の値がします。 この千両の持つ趣の赤と青の融合のバランスが値千金ですね。 撮影条件を変えても矢張り同じです。
カーテンの見える静かな家の佇まいにもしっとりと融合しています。
これは背景を家壁のピンクの中間色に極めてマッチングしていますがこのことが良い条件に成っているのだと思います。
このBGRの濃度はCCカーブの右側にありますが、色具合が理論的にバランスを崩していません。
静けさの中に、何か締まる様なキッリとした落ち着きのある趣を醸し出しています。 本来なら大抵は赤は華やかさを醸し出しますが静かさを感じます。
前のせんりょうと観てお楽しみください。
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■せんりょう [2009/12/29(Tue) 11:36]
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■解説 冬の庭先に静かに咲く「せんりょう」です。
実の赤と葉の青さ融合して引き立ちます。 どんな活花に添えてもマッチングする不思議なものです。 それはこの花の持つ趣だと思います。その趣は葉の青(B)と実の赤(R)とのバランスの取れたところが一つの趣をかもし出していて、その「バランス」がどの様な活け方や活花にも合うのだと思います。 花には赤が単独で目立つものが多いですが、「せんりょう」は赤も青も突出していないのが好まれるのだと思います。それは洋風は勿論の事和風の床の間にも飾れる所に良い所があります。
写真性から観ても、撮り易い花で余り光を与えないで撮ると浮き立つ花です。光を与えると光の強さがせんりょうのこの融合のバランスを崩すのでは無いでしょうか。
カラーフェリャーもBの中にRである為に問題はありません。しかし、日差しのCを与えると問題が出て来るので趣を変えてしまうのだと思います。 そして、このBとRに対して背景を中間色にすると余計にその趣を引き出すのではないでしょうか。 クリスマスや正月の花に最適なのはこの趣のバランスにあると思います。 仏前や床の間や花棚の所に静けさを感じさせます。
正月の一時をお楽しみください。
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■木漏れ日 [2009/12/21(Mon) 17:45]
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■解説 高い石積みの土提の上にあるこの白の山茶花に、冬の太陽の光が差し込んで山茶花の木が風に揺られ、光が枝や葉や花の間からピカピカとそれは星座の星の様に細かく輝く幻想的な一瞬です。 その白八重の山茶花とマッチングして趣を引き立てる冬の景色です。
白の山茶花は風に揺られてピントが甘く成り、光が強く入る時ハレーションを起しています。むしろ山茶花は木漏れ日の景色を主役とするために自らは目立たぬ様に白の演出をしている様です。 周囲が雑木に囲まれたこの山茶花は風と風との合間は薄暗く明暗の祭典です。
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■夕日と南天 [2009/12/15(Tue) 07:12]
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■解説 夕方の4時ごろの日差しに南天の紅葉が映えています。 そして夕日に照らされて金色に光った壁に影がくっきりと映りこの融合が何ともいえません。
南天は一度に紅葉が起こらないところに風情があり赤くなった葉と青色の葉と味の赤色のバランスが何とも云い難い所があります。
この南天は歴史があり150年くらいは生きていると思います。 子供の頃には既にこの大きさでした。毎年剪定をしてこの大きさに整えていますが、次第に伸び方が小さく成っていますが、元気です。 南天は1年で50センチくらい伸びますから、其の侭にしていると大変な大きさに成っていると思います。 もう既に3代の家主を見てきているのです。手入れの時は何か不思議な感じがします。
夕日の赤味が更に南天を引き立て、夕日が全体の雰囲気を醸し出しています。 隣には南天の仲間のように寄り添う南天より古木の金木犀や庭石が同化しています。 山川草木、枯れ山水の庭に溶け込んで静かな趣を感じるのです。
都会では見られない趣かなとも思います。
一時の癒しの画面としてください。
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■朝日と山茶花 [2009/12/08(Tue) 09:37]
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■解説 朝日が差し込む中、垣根の横から日差しを受けて山茶花はしっとりと咲いています。 山茶花はピンクの中間色の見本みたいな色合いを持っています。 同じマゼンタ傾向のこの花は大変に朝の夜露に濡れてしっとりとした趣を感じさせます。 同じピンクでも、桜の花と又違う趣です。こちらの花は花一つでも趣を感じさせる花です。そして、此花は朝の花ですから、朝日に良く似合いますし、色合いも出ます。
余り強い日差しではこのマゼンタの色合いが出ません。 白くハレーションを起して花のピンクが飛んでしまいます。 山茶花の葉の濃い青色の中に一つぽつんと咲いた花に生垣のはずれからのこの漏れ日のような光が斜めに入ってきます。
画面すべての背景Bに対してフェリヤーが働きYが出る事が予想できます。 でも、それを起す日差しの量が足りない為にYが働いていません。再現性の高いマゼンタです。 光が少ない為に葉の色が黒に近いような濃い青となったことからフェリヤーが働かなかったのです。もう少しの光を取り入れると多分起こっていたと考えます。それを右斜めから花に当らない程度で間接光のようにして花に灯りを求めたものです。
写真性としてはたいしたものではありませんが、写真技術としての技法を捕らえたものです。
前の写真のジンジャーのCシアンの淡い薄い青白と較べてください。光の取り入れ方でYMCの中間色が出せます。光の量と質と角度と背景の技術です。 自然美の色合いが出ている事によりその趣はそれなりにでていると思います。 参考にしてください。
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■ジンジャー [2009/11/09(Mon) 09:28]
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■解説 此花は「ジンジャー」と云うらしいのですが、実に香りの強い花です。 そして、その香りはかなり広範囲に拡がる特徴を持っています。 この香りはよく嗅ぐと「くちなしの花」の香りに似ています。 真っ白な花で長く咲き続けます。 葉はカンナの葉に大変似ていますが、専門で無いので判りませんがカンナ科ではとも思います。一つの茎軸からは5つか6つの花が一つに成って咲き誇ります。
真っ白なのでハレーションを起こします。何とか香りの感じるスナップをと考えて朝の光でしっとりした感じにして、そして上から朝日光が当るタイミングを狙い、周囲は木々の雰囲気を作り上げるものとして考えました。 朝の光は3つありますが、フェリヤーを無くす為に朝日を選びました。 朝日の光の当り具合も面白みに加えました。 しかし、ふっくらとした花弁の柔らか味を何とか出したいとしましたが、そうするとピントを高めなくてはなりません。マクロで近づけないと出ません。そうすると周囲と葉の形のアングルがなくなります。 そこで、暗部を対角的に右側に取り込みハレーションに対します。ピントを無視して幾つかの花を一つとして白の花の群がりとしました。
私は花はもとより葉の形がすきなのです。
香りの漂う庭の柔らかな花をネライとしました。
如何ですか。
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■蕗(つわぶき) [2009/10/27(Tue) 17:29]
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■解説 蕗の一種の「つわぶき」です。 字の通り路の端に生える草です。 昔は字の通りでしたが、最近は都会や町では余り見かけません。 田舎の山道の裾に生えて居ました。これは昔は大変な食料に成ったのです。 今でも田舎に行けば、山菜として食しています。 しかし、この蕗は関西では食しません。九州の南地方の薩摩では蕗と言えばこのことを指します。関西では「やまぶき」の「山蕗」のことを云います。
食感は全く同じですし、料理の仕方も同じです。 この蕗の軸を食するのですが、山蕗(やまぶき)は葉も佃煮にして保存が出来ます。 葉の佃煮は酒のつまみに良いと好まれます。 山椒の佃煮と同じ料理の仕方です。 ただややこの蕗はやまぶきに較べて筋が強い感じがしますし、臭いもやや強いと感じます。やまぶきは臭いの弱い食用に改良されたものが都会では出回っています。 今ではこの蕗は高級料理店でも使い葉も料理の下敷きにするそうです。
写真性は別にして季節のものとして珍しいので撮影しました。 田舎を思い出して一時を観賞してください。
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■すいすいの花 [2009/10/05(Mon) 10:34]
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■解説 この花は元は何処にでもある野生の花です。 大変に面倒な花で庭に一度はびこると消えないのがこの花で野生の強さを感じる花です。 この野生の花を方言で「すいすいの花」と呼びます。 他の関西の地方でも「すいすい」と呼んでいるようです。 酢奨草と書いて「すいしょう」を「すいすい」と読んだのだと思います。 つまり、正式な事はわかりませんが、酢奨草で片喰草(かだばみそう)だと思います。 この花の味は実に酸いのです。だから子供達が付けた「すっぱい花」として「すいすいの花」と呼んだのでしょう。酸性が強いので野生の力が強く枯れないで蔓延するのですね。 でも、花は愛らしくその色はピンクそのもので子供達に好かれたのでしょう。 女の子のままごと遊びに良く使われていた記憶がします。
それを一回り大きく改良した花ですが、庭花として改造された正式な名前は知りません。 改良しても此花に持つ思い出の趣は全く変わりません。
この花の思い出から来る趣を表現しました。 特に光の取り入れ方を工夫して子供の思い出を演出しました。 特に撮影角度と、それに伴なう暗いベースになる色合いからフェリァ−の影響を工夫しました。
皆さんの土地では如何でしたか。どんな思い出がありますか。
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■彼岸花と光 [2009/09/27(Sun) 16:44]
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■解説 再び赤の彼岸花です。
前のは私の思い入れの彼岸花でした。 今度は普通の彼岸花を採ろうと試みました。
普通は彼岸花は群生するところを撮影したものが多いですが、彼岸花の趣を表現するにはもつとも良い方法でしょう。それはこの花には葉がないと云うアングルに成る為に首だけのものとなるところに難しいと云うか嫌がられる事があるのではと思います。
そこで、群生ではなく素花の彼岸花の趣を引き出そうと試みました。そして、其処に柔らか味のあると云うかこだわりのない自然美を添えられるものとしたいと考えました。
その条件を考えました。 葉が無い代わりにその周りには草を配置し葉としました。
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■黄彼岸花 [2009/09/27(Sun) 07:38]
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■解説 白の彼岸花の隣に黄色の彼岸花が出来ました。
昨年は黄色に咲いて今年も咲いてくれるらしいのです。 黄色は未だ余り増えませんし、出たと思うと消えてしまうのです。 生まれたばかりなので、土と自然の周囲の環境が左右してまだ遺伝子的に進化してあまり馴染んでは居ないのでしょうね。
彼岸花は水仙と反対で先に花が咲き枯れてから葉が出て球根に養分をためて来年に備えます。あまり深く植えると咲き方が悪いのです。乾燥したところは嫌います。何時も腐葉土で中が適当に湿っている所を好みます。これは水仙と同じですね。
写真は前の白の花とは幻想的な趣を出す為に無理に周りをボカして別に細工を加えました。 2つの白の写真は光の取り入れ方を中心に工夫して趣を表現しました。
珍しい花をご覧下さい。
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■白彼岸花 [2009/09/27(Sun) 07:24]
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■解説 赤の彼岸花は全国的に見られるものです。 彼岸花と言えば”赤い花なら万寿沙華オランダ邸に雨が降る・・”と来る。 しかし、ある地方南薩摩では白彼岸花です。驚きました。 送ってもらって今庭に増やしています。
私には赤には特別の幼い頃の思い入れがあり趣も少し違っているのですが、白となると真に純心無垢で花としての趣を感じます。
白の花にこの花の形と葉の無い特長です。 昔から赤の花は風習として多少忌み嫌われていたところがあります。 彼岸と云えば、盆に仏が帰ってきて再び彼の世に戻って行きやっと三途の川の彼岸に到達した事を祝う風習です。仏の道案内としての花の役目でした。 その時に咲くこの花は体の無い首だけの赤い花として活花や庭先に植えては成らない花として扱われていました。本当は毒をもつと云うこともあり注意されていたのでしょう。 しかし、白と成るとそのような先入観は有りません。 ただ何か幻想的な花として感じてしまうのです。 愛らしくかわいらしいと云う印象ではありません。まだしつこく残っているのかもしれませんが。
浜木綿科ですので、隣の赤とで黄色の花も出来ました。
幻想的で近寄り難い厳かな趣を感じます。 前の隣の赤の写真と較べてください。 咲いている隣の倉庫の暗闇を取り込み、葉が無いので花の下は落葉で緑から茶色の黄金色を演出させるアングルとしました。 葉がないと云うのはシンプルすぎて撮り難いものですね。 幾つか白の花の趣を撮って見ました。
花の好きな皆さんは如何ですか。
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■赤彼岸花 [2009/09/24(Thu) 20:11]
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■解説 彼岸花は子供の頃の思い出としては最たるものではありませんか。
昔は道端には何処でも咲いていました。 花を採っては首飾りや冠を作って楽しみました。 今は田舎に行かないと見られません。 此花には毒があるのでよく口に着き軽い腹痛を起こしたものです。
私の此花に持つ印象と云うか趣と云うか田舎の山道に咲くもの懐かしくも寂しさの花なのです。 と云うのは空腹でこの時期には取り残しの野菜や果物が少なくなり田圃や山道の畦にある綿のような野草を採って食べた思い出が蘇るのです。 幼い頃は野生の本能が自然に備わり食べてよいもの駄目なものが自然にわかるのです。 この花は駄目だと知るのもこの花の植物の液汁の臭いとその苦味から判るのです。
多分、今では絶対に持てない経験です。当然この花に持つ趣も違っている筈です。 手前には彼岸花が咲き、木々に覆われた暗い田舎道の向こうには少しの日差しが差し込んで見えている。小さい頃の心の奥底に潜む願望のような印象です。
自然の中に咲く赤彼岸花 万寿沙華です。 浜木綿の仲間です。 ところで、白と黄色の彼岸花があるのをご存知ですか。
写真にすると私の趣はこの様に成ります。 方言ではマッシャケと云います。
皆さんはどの様な趣をお持ちですか、如何ですか。
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■秋の光と萩 [2009/09/23(Wed) 18:38]
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■解説 秋の光は夏と違い柔らかでいて強さのある光です。
其処に小さい花の萩の細枝が溶け込んでいる様に咲き続けています。
萩の花一つでは大きな趣を与えてくれません。しかし、その枝が群生して其処に光を融合して秋の花としての趣を感じます。 その萩は一年の締めくくりの様に私には光と花の融合の花の終焉と思え冬到来の寒さを感じさせる花なのです。
光と花と寒さを感じる趣を表現しました。
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■赤八重芙蓉 [2009/09/21(Mon) 07:38]
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■解説 芙蓉には多くの種類があるとは知りませんでした。 芙蓉は一重の白とピンクとばかり思っていましたが、なんと八重があり更には赤があるとは。
この八重芙蓉はお隣さんの庭先にありました。実はお隣のおばあさんが亡くなられて無人の空家となり荒れた庭の奥のススキの草むらの中で寂しく咲き始めたのです。
私はお隣さんと長い付き合いでしたのでこの芙蓉には特別な感傷を自然と入っているようです。 若いときは大変に活発な向意気の強い人でしたが、一面俳句や短歌や絵をよく嗜むところがあり晩年は物静かで人の話を聞き対話の好きな気さく老人に成っていました。 この芙蓉の赤の八重の趣にはこの印象が大きく締めています。 何か白一重の芙蓉とは違う表現に苦しむ趣です。
花は牡丹の花を二周り位小さくした花で木姿を見せなければ牡丹です。 牡丹の趣を少し小さくした趣で”元気で居て奥深い平安心”を感じ取れるのです。
絵は故人を偲ぶ趣に解像度を故意に悪くしてぼかし、元気良さでは逆行の日差しを上から差し込ませ表現し、情操を嗜む趣で3つの花と枯れ花を配置し、故の陰を作り画面下を暗くして演出しました。
如何ですか。
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