■白芙蓉 [2009/09/16(Wed) 20:33]
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■解説 盛秋の代表的な花です。
芙蓉は都会の街角や田舎の道端でも見られる花です。 何処にでも溶け込む幅広い趣を持っています。 それは余りにも潔白そのものの白さにあるのではないでしょうか。 此花を嫌いだと云う人は少ないでしょう。 それだけに撮影に苦労します。
この花は余りに白い為に花だけで採るとハレーションを起こして上手く撮れません。 周囲の光を入れると花の趣を消してしまいます。 周囲の光をかなりに殺した形でもコントラストが上手く出来ません。 天候の悪い日では今度はその白の輝きの趣がうっとうしく成ります。
そこで、天気の良い日で花に強く光が当る瞬間を選び、周囲の葉の色で花を囲み覆い、画面に光空間を無くします。 そして花の潔白の趣を表現しました。 芙蓉の葉には地味な別な趣がある気がします。故意的に葉のガンマーを下げる撮影としました。
花と葉とのコラボレーションです。潔白と地味の融合を試みました
秋の潔白花をお楽しみください。
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■初秋の花 [2009/09/02(Wed) 08:18]
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■解説 初秋と云うか晩夏と云うか余り少ないこの時期の野に咲く花の一つです。 学術的な名前は判りません。植物の専門書を調べましたが出てきません。 多分、野生蘭の一種だと思います。
この植物は水分が適度にあり、木陰や風当たりのいい所に生殖しています。
この環境も前に展示した野生蘭と育つ環境は同じで花が無い時は葉や根も同じ見分けが着きません。 花が咲くものと咲かないものとがあります。環境が適合しないと咲かないのではと思います。この様に繊細な花質を持っています。
山麓の池や木陰の下に見つけることが出来ます。 しかし、この花は最近ではかなりの田舎の森近くまで出かけ注意していないと見つける事は出来ません。見つけることが難しい所に咲いているのです。 寒さに弱いようなので関西地方以西に生息しているのではと思います。
よく観ると小さい花が幾つも棒状に重なって一つの花と成っています。 万葉歌に詠まれるような花の趣があります。 どぎつくない薄い淡い赤紫の花で花が群生しています。 切花にすると趣が消える様です。 陰に咲く花の趣は控えめで、愛らしい印象があります。 侘、寂で云えば侘ですね。俳句の一つも出てきそうな趣を醸し出しています。 庭の椿の木下の片隅に自生しているもので、此花が咲くのを毎年楽しみにしている花なのです。 そこで、一句 野辺の花 咲く花の末 わびしげに 路なる果てぞ はかなしかな
写真性を無関係に都会に住む人に一時の安らぎを提供します。
では今は少なくなった野辺の花をご覧下さい。
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■百日紅 [2009/08/25(Tue) 21:16]
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■解説 赤の百日紅(さるすべり)です。 百日紅には200種くらいあると云われています。 この百日紅は小枝に花が咲きます。
晩夏の風物詩ですが、赤でも何か涼しさを感じる不思議な木の花です。 特に周囲の環境で赴きが違う気がします。
周囲には緑の木々を配して、赤の涼しさを演出します。 Gの補色Mを出して赤の補助色にします。 花は小さいので全体の花として際立つピントを避けます。そして、柔らか味を出します。
花のイメージの柔らかさだけでは芯が有りませんので、花の横には木姿を配置して強さを演出します。
この涼しさは子供の頃の「カキ氷」の印象が強くて、”ちりんちりん”と鐘を鳴らして旗を立てて自転車で売りに来ます。その時パンツ一つで海から帰ってそれを楽しみで縁側で食べた時の涼しさが思い出すのです。実にシンプルな満足感を思い出します。
皆さんは如何ですか。
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■朝顔 [2009/08/02(Sun) 09:47]
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■解説 アサガオです。特にポヒュラーな花ですし、写真性としても普通のスナップです。
夏は私の周囲ではなかなか花としてのものが有りません。
ただ、暑く蒸し暑いなかで、庭先の草むらの中に咲き、窓を開けると朝早くに何かしらこころを和ましてくれる花です。 早朝のそよ風に吹かれて精一杯に花を開いて冷たい朝の風を受けています。
朝顔の趣を壊さずにそれを単純にアングルだけを配慮して撮りました。 暫く展示が無かったので、まぁ一時の癒しにしてください。
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■白百合 [2009/07/07(Tue) 21:15]
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■解説 壁際に咲いた白の百合です。
後ろの壁が背景になって百合が際立っています。 汚れた壁が何となく百合と調合して様に成っています。 其処に影が当り雰囲気が違います。。
百合の白と柔らか味を出す為に、余り強くない朝明けの日差しを使いました。 朝の5時頃ですので百合の裾の色は暗くなって余計な部分を消してくれています。 周りの影も壁に当り何となくぼかしが効いて居るようです。
目で見た感じと違い周囲の余計な汚さが消されて意外でした。 何かしら、百合の白と壁の影と裾の黒とで幻想的な趣がありませんか。
壁が画面を斜めに半分にして図案を誇張しましたが、日本画的な趣を醸し出しています。
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■涼宵花 [2009/07/02(Thu) 10:43]
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■解説 梅雨の時期と秋の9月の末頃に2度に咲く涼宵花は又赴きは違います。 今は梅雨の時期です。 梅雨に咲く花の元気一杯の真っ赤な花はこの花が代表的な花です。 でもこの花の呼称が涼と宵です。つまり、9月末のイメージで名付けられた名前ですね。 この花には、本来、納禅葛(のうぜんかづら)という名前があります。
今の花は「のうぜんかづら」ですね。 3月も次から次えと長く咲き群生し続ける花なのです。 大変なエネルギーが要りますね。
そんな強い南国の花に赴きを向けていますが、でも何となく日本的な咲き方をします。 特に、この梅雨の空、山が一面に霧で咽ぶ景色に咲く趣はなんとも云えません。 日本画の趣を全面に押し出しています。
向こうには山霧が掛かり、花には雨の雫が残るなんともいえない風情です。 散歩をする老人が黙って立ち止まり、手を後ろに廻しゆっくりとした息遣いで一時の憩いの場としてじっと観ています。手入れの苦労がすっ飛んでしまいます。
この趣を表現しました。 皆さんもお忙しい中で観てみませんか。如何ですか
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■浜木綿 [2009/06/28(Sun) 09:42]
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■解説 はまゆうの花の種類は大変多いですが、田圃道に咲く満寿沙華は赤い花です。 でも、南国鹿児島などではこの花は黄色です。浜に咲く花は白です。 これ等が交配して白の満寿沙華が最近咲いています。
この花は水色ですが、中間色に近い色の為に、太陽の紫外線を強く受けて色が飛んでしまいます。シアンの影響を受けるわけです。 浜に咲く元気な花の赴きを持つのですが、写真は太陽の光(YMC)の影響を受けてなかなか難しいものです。 ハーフトーンは直射光を嫌いますので余計に赴きを表現するのが思うように行きません。この写真例を撮りました。 ですから花の趣をカバーする為に隣りに庭石を取り込みました。 花とその周りの環境を含めた趣としました。
でも、矢張り、光も間接に近いのですがこれだけでもシアンの影響を受けてしまいました。
強い日差しの趣も含めての雰囲気として見て下さい。 カバーする方法はフラッシュ調整して対抗してシアンを抑えるのがよいのですが、敢えてしませんでした。
全体の「はまゆう」の趣を表現しました。
花だけでは趣を
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■紫陽花 [2009/06/25(Thu) 20:42]
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■解説 紫陽花はその字の通り陽が良く似合う花ということですが、どの様な太陽の光が合うのかを挑戦しました。
そしてアングルと図案化のために左右に暗い部分を入れて紫陽花に当る太陽の光を際立たせる事にしました。 そして、昼前の強い光を利用しました。 紫陽花の大部分を占める葉のグリーンのフェリャーが働き紫陽花の色が補色に引かれます。マゼンタを強くします。 薄暗い梅雨の時期ですので、紫陽花の色合いが映えません。光をより目立たせる工夫に努力しました。 光と図案を誇張した紫陽花です。
紫陽花の手入れは難しいのです。 剪定の場所を間違えると花は咲きません。「2又一葉」が条件です。 剪定の時期を間違えることでも咲きません。20日/7月までです。 また、土壌の酸性度でも色合いが毎年違います。
この様な癖を持つ紫陽花の光の強さの趣に挑戦しました。
如何ですか。
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■てっせん [2009/06/22(Mon) 20:49]
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■解説 てっせんの持つ趣をどの様に表現したら良いか考えました。 くっきりとした青紫のてっせんは群生して咲く花では有りません。 そして、その軸も実に頼りなさを感じます。 軸又は茎は葛のようです。 この弱々しい葛に一つくっきりと太陽に向けて咲きます。
そこで、この植木鉢を少しずらして壁を背景にして後ろに汚いブロックの景色で抑えて花だけを引き出し、朝日の強い光を選び花の輪郭をはっきりとする事で「くっきりさ」をより引き出そうとしました。 背景を単純化させないために左横に陰と葛の一部を入れて面白みを出しました。
葉は余り周囲に蔓はびこらせないような角度からとり他の木に巻きつく頼りなさを表現しました。そして、緑の葉と対照的にしてひっそりと咲く鉄線の孤独さをなくしました。
「てっせん」という名が弱々しさを感じさせません。 一つの花でもそれなりの趣を出す花です。
つまり、弱々しさの中に秘める芯の強さの趣を感じます。 それを表現しました。
如何ですか。
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■キューイ [2009/06/19(Fri) 20:40]
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■解説 キューイの花ですが、特に綺麗という写真ではありません。 写真には図案性というものがあります。
逆行で撮り、キューイ以外を光としてそのアングルの中に図案性を表現しました。
写真をとる前に先ずこの図案性をあんぐるの中でどの様に表現するか、その図案性が出来れば、趣を表現する工夫を考えます。その一つとしてフェリャーです、次ぎは光です。 光でも陰、光の取り入れ方、方向、強さ、色などを瞬時に考えてまとめます。
そして、最終趣をまとめます。
この写真はその図案性を表現しました。 配置、バランス、形状、強調点などのをまとめます。
これが出来れば、色を入れればよいわけです。逆行に対してフラッシュ6000ケルビンで対抗すると色が出てきます。 このフラッシュの量をコントロールするとシアンなどの光をコントロールした写真が出来ます。 その見本としました。
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■睡蓮 [2009/06/09(Tue) 19:00]
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■解説 睡蓮は一種独特な趣きを持っています。
花の形は大変華やかです。でも何か日本的優雅さが感じられます。 そして、カッカ照り付ける所より静かな日陰のところが似合います。 そして、余り群れずにひっそりと一つ水面にゆったりと浮かびながら咲いている姿が良く似合います。 花が咲かなくても蕾でも充分にその趣を漂わせます。 そして周りの雑多な景色でもそれを消してしまうほどに花の力を持っています。 何なのでしょう。この花の力は。 これほどに一つの花が大きく趣を持っているのは。
私は”人間の遠い祖先の引き継いだ脳の記憶にあるのでは”と思っています。 だから睡蓮と仏が結び付く花に成っているのだと。
日差しの少ない所の角度から撮りました。 感じる花力を表現する為に、敢えて、睡蓮の入れている雑多な火鉢の片隅を故意に入れました。 葉の茎が水面に白く光りしっとり感を出しました。
雑多な被写体のある写真でも睡蓮の花力が当然の様に見せていますが如何でしょうか。
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■影と蘭 [2009/06/07(Sun) 08:24]
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■解説 「春光と洋らん」の光の趣に対して、この写真は影と蘭をテーマにしました。 赤紫の蘭の花がその趣を醸し出しています。
蘭全体を撮ると又光の有無の趣が少し変化するので、蘭の花に絞ってその影と花の趣の相乗性を表現しました。
又、少し違った日本的な静けさの落ち着きのある趣が出てきます。
「春光と洋らん」の場合は、光が葉に当り反射する効果を期待し、花の色を後ろの葉の薄暗さで際立たせる方法で撮りました。 この「影と蘭」は葉を多く入れるとその濃緑の色のフェリャーが働き自然の色合いを壊す事を嫌いました。 後ろの背景をマクロでぼかしてゆるやな色合いとしました。 そして影の効果を引き出し全体を静けさの中に入れるように撮りました。
写真のアングルは別として、花と葉が光の撮り方で随分趣が違う事に成りますね。
これ等のマクロレンズやフェリャーなどの「写真テクニック」の噛合わせで良い写真が 撮れると思います。
光と花の写真を見てください。
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■春光と洋らん [2009/06/06(Sat) 13:19]
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■解説 春に日差しに当り輝きを放つ様に咲いています。
光によってその花の持つ趣を引き出しより趣を放ちます。 よく観ると、光にも趣があるのだなぁーと感じます。そして、その趣は春夏秋冬の趣が。
その春夏秋冬の持つ趣と季節の花の持つ趣が相まって相乗効果の趣を醸し出すのです。 この蘭の花の趣、5月春の光の趣で素晴らしい感じがします。
写真の構図は大した事は有りませんが、趣がカバーしてくれています。
勿論、マクロです。若干逆光気味で取りました。逆光のハレーション的な現象を作り出して光を強調しました。フラッシュを弱く調整してハレーションの白味をなくしました。
これに対して、光を抑えた蘭を撮りましたので次の展示に出します。 比較してください。
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■庭石とさつき [2009/06/05(Fri) 15:58]
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■解説 庭には枯れ山水として石が不規則に配置されています。 そして、その石が全体の庭の雰囲気に馴染み自然石の様にたたずんでいます。
石としては大した石では有りませんが、何かこの石を見ると自分に落ち着きが感じるのです。 その横には丸く手入れした「さつき」が木全体に花を咲かすのではなく、そっと咲いています。丁度、横の石の雰囲気に合わす様に。 いかにも、長年連れ添った夫婦のように。目立たずに寄り添っています。 その花の白と赤が入り乱れて毒々しくなく咲き方花の色合いまで石にあわしています。 石もその黒茶色を誇張せずに年月を感じさせて座っています。
年老いた夫婦が寄り添って気取らずに記念撮影しているかのようです。
この花と石二つで「枯れ山水」が出来ています。 「侘、寂の庭」と詠んでいるのです。
親から教えられた知識で毎日、庭の手入れしています。 ”「枯れ山水」「侘、寂」の趣の庭とは”自問自答しながら。
皆さん 何かこの写真を見て小鳥の鳴き声が小さく聞こえてきませんか。 聞こえてくると「趣の庭手入れ」は成功です。
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■白杜若 [2009/05/31(Sun) 08:35]
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■解説 白の杜若は比較的少ないのではないでしょうか。
白は全ての光を吸収した色です。従って、その色から来る趣は少ないでしょう。 しかし、花に白となると違ってきます。「純粋」の強弱に関わる趣となるのでは。
例えば、この白杜若と紫杜若は色を取り除くと元は同じです。色が違うだけです。 日本人が最も好む複雑な趣を持つ紫に対して、殆ど「純粋」だけをテーマとした白との違いが何処にあるのでしょうか。 光の白=Y+M+Cです。C=白の最大要素 なので、つまり、紫の趣−白の趣=紫の趣−YM=赤の趣(Cの補色)と成ります。 牡丹のような赤系の趣を人間が好むのは、それは、命の根源の血液の色だからではないでしょうか。そのように本能的に脳が記憶しているのでしょう。 そこに生きた人間の感性が働き直接「赤」ではなく「紫」となるのではないでしょうか。
その対象の白の杜若の花を展示します。 その二つを見比べてその趣の差を発見するのも脳の訓練として良いのでは。 実はこれは写真技術の向上の手段なのです。 科学的にこの「訓練の力」で写真設定をすると良い写真が撮れるといわれています。
如何ですか、その趣の差が感じますか。
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