写真技術と色の理論 (副題 自然美のある綺麗な写真を撮る方法)
序 さて、写真を趣味としている人、或いは写真が好きだが難しいし理屈が判らないと云う人は一度は”写真をより綺麗に撮れるノウハウが無いのか”と思ったことがあると思います。 意外にその「写真技術」に付いての解説が一般的にどこでも見られる事に成っていない気がします。 有っても難しい抽象的な事の芸術的な事が多い気がします。カメラの使い方ならあるかも知れませんね。 そこで、「芸術写真」では無く、”綺麗で自然美のある写真を撮りたい”と思う人は多いと思います。 一般に「綺麗な写真」とは「人間の目で観た通りの感じ」が表現出来ていると、人は「綺麗な写真」と先ずは云うのではないでしょうか。 脳の科学でも「綺麗」と云う印象は、その比較対象があり「汚い」が反意語ですが、「綺麗」には脳の中に先祖から培われて来たその無意識の「印象」が遺伝子的にインプットされているものがあります。それは人間が生きて来た「環境」に左右されています。 その「環境」とは「自然の美しさ」なのです。この「自然美」が長い間に一つの統一したものを脳の「印象記憶」として保存されているのです。 そうなりますと、その「自然」が違う、或いは「環境」が違えばその「自然美」の評価も違うという事になりますね。例えば、日本人の先祖はある程度の「穏やかな環境」と「自然豊かな環境」に恵まれて来ました。四季があるのは何よりの要素ですね。 ですから「日本人の自然美」と云う固有の共通したものがある事に成ります。 それはこれから論じる写真の「色」で最も表現出来るのです。 そうすると、論理的に「人種」では異なると云う事に成りますね。 その通りです。例えば、下記でも書いていますが、以前にもレポートした事がありますが、アングロサクソン系の人種は極寒の中から生き残り進化して来ました。そして、その環境で「身体」とその「脳」もそれに合わせて進化しています。 ですから、其処に存在する「環境」の「自然美」の感覚は必然的に違う事に成ります。その最も異なる「印象記憶」は何はともあれその「極寒からの自然美」なのです。 例えば、特に人はその「肌の色」と「自然美」に顕著に違いを出すと言われています。 「肌の色」は日本人は「淡いピンク色」ですね。でもヨーロッパ系は、本当は違うのですが、「やや赤みがかった色」を云っているのです。 この様に、「色」にはかなり「主観性」というよりは「人種性」に依って異なります。 そこで、その「色」と云うものに付いて根本から考えて見ようと思います。
「色」とは何か そこで、先ず、この雑学に入る前に、”色とは一体何だ”ということを知る必要があります。 ここから少し論理的に成りますが苦手な人は何とか追い付いて来てください。 出来るだけ優しく説明をします。 では先ず、簡単にいえる事は、「色」は「波」、つまり「振動波」と云う事ですね。 では、その「振動波」は”何の振動波”と次から次えと疑問が湧きますよね。 それは、「太陽から来る振動波」です。 では更に、その「太陽から来る振動波」は”何の振動波 何で来るのかな”と続きます。 それは「太陽の核爆発で起こる振動波」だと云う事で「エネルギーを持った振動の波だ」と成るのです。 では、その「太陽の核爆発で起こる振動波」は”何が爆発して起こるのかな”と疑問が湧きます。 それは、「全ての物質」の「核爆発振動波」だという事ですね。 「物質」の基の基と成っている「核」と云うものがあります。それが爆発しているのです。核爆弾のあれであの爆弾の大きい破裂が連続的に起こっているのです。一つが爆発すると、その物凄いエネルギーで更に隣の核も爆発してしまいます。この「核の連動爆発」が起こっているのです。そのためにその爆発の熱で太陽の表面の温度は6000ケルビン(ほぼ6000℃)と成っているのですが、その中の方は想像も付かない温度と成っています。この為の熱で連動して「あらゆる物質」の核が爆発を続けるのです。ビッグバーンで飛来した地球上にある物質では溶解する温度の最高は知る範囲で3200度程度です。地球と太陽は同じビッグバーンで発生していますから、ほぼ同じ物質が存在している筈ですね。そうすると、表面が6000度ですから内部の物質は全て熔け蒸発の領域にあると考えられます。 因みに鉄は1540度ですから、太陽の中ではとっくに蒸発している筈ですね。 蒸発すれば4倍以上ですから気体領域をとっくに超えている訳ですから、その物質のエネルギーを持つ核は裸の剥き出しですから隣の核との反応に依って核の分解が起こる事は素人的にも充分に考えられる筈です。 そうすると気体を超えて裸の核の状態の中で、”何で核が爆発すると振動が起こるのか”と云う疑問が起こりますよね。 それは簡単に云うと、「裸の核」の環境の中(+−の状態)で、物質の基の核が爆発すると+と−の引き合うエネルギーの渦が起こります。そうするとそのエネルギーの差がバランスをとろうとして「振動」として動きます。そもそも「振動」というのは原理は「高いところ」と「低いところ」の差で起こるのですから、差が無ければ振動は起こりません。 そうすると、その+−のエネルギーの差が次第に集まってきてエネルギーを持っているのですから「磁場の渦」が起こるはずですね。よってその渦の中にはエネルギー差の振動が集まり、そこで大振動が起こる事に成ります。従って、この振動は音の振動のようにエネルギーの無い振動ではなく、その振動には磁力(E)を持っていますので「振動磁波」が働きます。この磁波の力が集まって「磁束」が起こりその磁波の渦が起こるのです。 この大きなものが宇宙で起こるビッグバーンと連動して起こるブラックゾーンですね。 恐らくは其処に起こる磁波の渦の形は「とんがり帽子」をひっくり返した様な形で渦巻いていると想像できますね。強い所と弱い所の差を埋めようとして渦が収束して行きますからね。 太陽ではこの一つの核爆発で一瞬の一つのビッグバーンの連動が起こる事で振動が起こるのです。
この現象は太陽だけで見られる事ではありませんよ。実は地球の「自然の摂理」の中でも、これと同じ様なよく似た事が身近で起こっていますよ。台所ではIHのコンロです。洗面所では自動歯ブラシ器です。工場では高周波熱源などの装置です。 つまり、この原理は次ぎの通りです。 上記した磁束の真ん中には振動磁波の束の渦が起こります。この渦の真ん中に抵抗する何かのものをセットすると、その振動がその抵抗物の中の電子を無理に動かしその逆の方向に電流が生まれます。そうすると、そのセットした物質に電子の衝突が起こり、衝突した時の熱で加熱現象が起こるのです。IHのコンロはこの振動磁波の特長を利用しているのです。(誘導起電力と云う) 電動歯ブラシもこの電流でモータを廻しているのです。 この原理の大きいものが起こり、その時に起こる振動が渦の中心から「振動波の連動」で飛び出すのです。そこから発生するのです。この連続したものが振動磁波です。 では、爆発するとそのあらゆる物質の核の”その振動波はどの様にして遠い太陽からこの地球まで届くのか”と云う疑問が湧きます。 その答えは、太陽と地球の間には「宇宙ちり」以外に障害物がないからですね。 障害物が無いと”何で「核爆発振動波」が届くのかな”と疑問が湧きます。” 振動波とはどんなものか”という事を知る事で判ります。 先ず、衝撃が起こる。宇宙は「相対の原理」に基づく為に、衝撃の+エネルギーの反対の−エネルギーが同時に起こります。それでなくては衝撃は起こりません。反対のエネルギーが無い事は同じ衝撃が連続的に起こる事を意味します。その事は衝撃が無い事を意味していますね。 つまり、衝撃とは「ある処からの差」を云っているのですよね。
簡単に言い換えますと、「楽しい」と云う事は「楽しくない」と云う事があって、その「差」を言っているのですよね。「楽しくない」と云う事が無ければ「楽しい」と云う変化はありませんね。当然に、差が無いのですから「楽しい」という言葉も無い筈ですね。
この様に、核爆発が起こる事は例えば「+の衝撃」が起こると、多少の「タイムラグ(時間差)」が起こり「−の衝撃」が起こります。 同じく「−の衝撃」が起これば必然的に相対の原理で「+の衝撃」が起こる事に成ります。 ここにこの時、次の「三つの特長」が必ず生まれますね。 それは、次ぎの通りです。 「タイムラグ」 「衝撃の大きさ」 「速さ」 以上3つが生まれる事に成ります。 この事が色に関しては大事な事なのです。特に人間には大事な事なのです。 この衝撃の「+−」の事が繰り返して起こりますね。この衝撃に「障害と成るもの」が無い限り永遠のリサイクルが繰り返し起こります。
つまり、「タイムラグ」と「衝撃の大きさ」と「速さ」の「三つの特長」が起こる限りはサイクルは続く事に成りますね。 「三つの特長」が起こらないと、”衝撃は皆同じ”と言うことに成りますので、波は起こらない事を意味します。 そこで基に戻りますと「波」とは”あるものからあるものへの差”があるので「波」と云う言葉が存在するのですよね。 繰り返しますと、”全てのものが皆同じ衝撃”という事に成りますので、それは衝撃ではありませんね。当然に「衝撃」と云う言葉は必然的に存在しませんね。
さて、太陽で核爆発を起して衝撃振動波が起こりサイクルが起こると磁束の渦の中央から噴水のように打ち出される様にそれが宇宙に飛びたします。(トンガリ帽子の形のために) 宇宙には、空気を含む一切の障害物がないとしますと、「三つの特長」の持った波は「+−」のサイクルが次から次えと起こり始めます。 「タイムラグ差」*Nの条件で360度の方向に繋がって起こり始めます。 障害が無いのですから、「タイムラグ」と「衝撃の大きさ」と「速さ」の「三つの特長」に影響を与える事無く条件は永遠に維持される事に成りますね。 つまり、このサイクルでこれが太陽で起こった「核爆発衝撃波」として三つの特長を持ち続けて地球まで届いているのです。これが波なのです。
さて、そうすると、”あの太陽でそんなことが起こっているの””「三つの特長」は何で起こるのかな”と思いますよね。 そこで、それを解くには”太陽はどんな物で出来ているかのかな”と考えます。 地球は星のビッグバン(爆発)で生まれていますので、少なくとも太陽と同じ物質である事が考えられますよね。 そうすると、同じ物質であるので、その物質には上記した様に何がしかのエネルギーを持っています。そうすると”そのエネルギーとは何なのか”と云う疑問が生まれます。”鉱物は生きてもいないのにどんなエネルギー”と続きます。 この太陽から分裂したこの宇宙の世に存在する全ての物質には上記した様に「電磁波」なるものを持っているのです。当然に人間にも持っているのですよ。 この宇宙は相対の原理ですから、「+」と「−」とがあるのですよね。太陽を含む宇宙からから出た物質にはこの原理に依っていますので、「+」「−」になるものが物質に存在する筈です。 それが、「電磁波」なのです。未だすっきりとしませんね。 その電磁波についてももう少し詳しく考えると、物質は分子、原子、核とにより成り立っています。 その物質は幾らかなバランスを崩して他と引っ張り合う為に1か2か3か4か・・の+−の何れかのイオンを物質に触手の様に手を出して持っています。 このイオンの触手がある為に物質と物質との「結合と融合」が起こるのです。その基は核の振動です。 この核の中には僅かなエネルギーの差を埋める為に、更に「中間子」と「中性子」とがあり、夫々の役割を果たして微妙なエネルギーのバランスを保っています。 そうで無いと、いつかバランスが崩れて物質は破壊してしまいますね。 言い換えればこの「相対の原理」とは「バランスの原理」とも云えます。 そして、その為に物質には何がしかの行動が無くてはなりませんが、その核は「超微細な振動」をし続けているのです。一般的な概念では”鉱物は死んでいる”と思いますが、これでは”生きている”と成りますよね。そうなんです鉱物も生きているのです。「生きると言う概念」の問題ですね。 全く静止しているのではなく自ら核はバランスを取る為に中間子中性子を連動させて「超微細振動」を起こしているのですからこの概念の一つとも云えます。 更に、この磁力を持つ振動の磁波は人間を始めとする他の物質に影響を与えているのですから、これでは”生きている”と成りますね。 概念として観て見ると、この電磁波の最たるものとしての収束力が地球と成りますが、鉱物の集合体の地球の電磁波は地球の上に存在している人間を、この磁力の力、つまり、エネルギーの差で地球に引き付けているのです。 人間にもその人に相当する電位差(身長分)を持っていますので、その電位差と引き合い地球に存在出来ているのです。そうでないと、地球はマッハ2程度の速さで回転していますので、加速度により宇宙に飛ばされて行きます。そして破壊します。 つまり、バランスが崩れての現象が起こるのです。人間だけでは無く全物質が対象です。この様に、電磁波は太陽で起こった核爆発で振動と云う原理で届きます。
ところが、その物質が持つ猛烈な電磁波の差で引き付けられて核の衝突が起こり、その衝突熱のエネルギーで核が更に破壊されて核爆発(爆発のすごさを表現すると6000ケルビンで℃では凡そ6千度の表面温度)が起こっているのですから、この理屈から地球に存在する物質の全ての核爆発が太陽で起こっている事に成ります。 そうすると、その物質の核爆発の特徴とする「特有の衝撃波の違い」が出てきますね。人間の指紋の様に、それが「三つの特長」と成って出てきます。 その3つの特長とは、「タイムラグの大小(波長)、衝撃波の大小(振幅)、波の速さ(エネルギー)」でその大小が生まれますね。 これが、地球に「特有波」と共に届いているのです。 では、その物質は地球では約360程度の物質数にも成りますので、太陽にもその物質が熔けてある筈ですね。その物質の全ての核爆発が起こりそれだけの違いの振動磁波のサイクルで地球に届いている理屈に成ります。 この波が地球に届くとここからが「色」と云う原理が働きます。
さて、いよいよ「色」ですが、では、その「三つの特長」が人間にはどのように見えているのか疑問です。 其処には、ある「物理的現象」と「人間の目」のシステムに依っているのです。
そこで、その前に、復習としてもう少し波の成り立ちに触れます。 ”何でその振動(波)が遠い地球に届くのか”と云う疑問の追求です。 先ず、+の第1の振動が起こります。そうするとその−(マイナス)の相対のエネルギーの振動が起こりますね。そのエネルギーを減らす障害物が宇宙には無いのですからエネルギーを保持したままにこのサイクルが前へと延々と繰り返されます。 この様に、宇宙は障害物が有りませんので、全く変化無く届きます。しかし、地球に届いた時から障害物が存在します。 ”そうするとその障害物にどの様な事が起こるのか”と云う疑問です。
その前に地球圏内ではどの様な障害物があるのかと云う事の疑問が先ですね。 先ず、地球には次ぎの2つがあります。 全ての物質さえも引き付けてしまう超強力な磁力波(バリヤーA)が存在しています。 更にはその周りには「空気と塵やガス」(バリヤー:B)が在ります。
そのバリヤーBには3段階で覆われています。 第1(95K)、第2(500K)、第3の成層圏(1000K)のB(1−3)で構成されています。
そうすると、このバリヤーB(1−3)の手前まではこの核爆発で起こった振動波が弱まる事無く「+−」のサイクルで届いている訳ですから、エネルギー(E)に変化はありません。 それが、(B)と衝突します。 猛烈な速さで届いた振動磁波は、その時、超高速な為にそこに含む物質との間で衝突が起こり分子が破壊されて、それによる分子爆発が生まれ閃光を発します。この現象が必ず起こります。 丁度、火打石で火花を飛ばす事と同じですね。金属と金属が衝突した時に出る火花の様に。 その時に発する特別な「波」との「火花」です。 それが、人間の目ではその「爆発波」が網膜の角質に入り「色」としてに入り目に写るのです。
太陽からこの360もの物質の振動磁波が届いている筈ですが、その内のほんの僅かな振動磁波だけが目の細胞が受け取る事が出来るのです。これを「可視光線」と云います。 この「可視光線」の「振動磁波」の大きい側には、紫外線(周波数:振幅700ナノ)、細かい側には赤外線(周波数:振幅400)があります。 後は地球の電磁波力に依って引き付けられて消滅するか、振動磁波の細かいものは人間の細胞を透過して地球も透過して再び宇宙へと飛んで行くのです。 この時、全ての物質の衝撃波が主に太陽から届いていますが、それを人間は「色」として捉えてある範囲しか見えていません。つまり、「光」、即ち振動磁波が「色」に変わるのです。 これが「可視光線」と云います。(波では、400ナノ(n)−700ナノと成ります。)
目に見える色(光)に変えるとすると、「7つの原色」と成りますので振幅の小さい順に、次のように並びます。
「赤外線」 「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」 「紫外線」です。
この「可視光線」外の「紫外線」、「赤外線」までは目には見えませんがある現象に依って確認出来ます。 この「可視光線」のそれは、真に、「虹」の現象として観えますね。 虹は雨上がりの空気中に、水滴が多いためにそれにこの7つの物質の振動磁波の波が当ります。 そうすると、K(カリウム)と云う物質の核爆発の振動磁波の光の変化の色の「紫」は振幅が大きいので、水滴の少ない所でも遮られて止まってしまいます。その時に衝突により色を発します。
Li(リチウム)と云う物質の光の変化の色の赤は振幅が細かいので水滴が多くても通過して最も多い所で遮られますのでその時に衝突により色を発します。 夕焼けも同じですね。一日の塵や埃などで光が遮られてその障害物の多さや細かさでその夕焼けの色が違ってきます。赤色の夕焼け、黄色い夕焼け、紫色の夕焼けとその中間の夕焼けが見える事に成ります。それは「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」の範囲で見える事に成ります。 端的に云うと、赤色の夕焼けは空気がより澱んでいる事に成り、赤色より右側の振動磁波も手前で抑えられてしまいますので衝突して赤色だけを発することになり、紫色の夕焼けは藍色より左側の振動磁波が透過してしまうくらいに澄んでいる事に成ります。 一日の空気が汚れて通過する振動磁波の波長が変化します。天気の良い日の塵埃の少ない時、多いときで色合いは変化するのはこの原理から来ています。 「真赤な夕焼け」や「紫の夕焼け」や「黄色の夕焼け」では空気の清み方が違うのです。
写真技術の原理 ですから、写真をとるときはこの原理を頭の中に入れて撮影をすると人間の目に映る自然の色が表現が出来て綺麗に撮影出る事に成るのです。
朝日にも同じ事が必然的に起こりますよね、塵や埃の沈んだ空気ですから夕焼けとは又別の色合いを示す事に成ります。朝日には、その空気の澄み具合と温度の上昇で「3つもの色合いの変化」をも起こします。これを「朝ぼら、曙日、朝日」と呼ばれていますね。 「朝日」では塵埃が増え温度も上がり地面の水分が蒸発してあがり絶対湿度も上がります。夕焼けとは環境が変わるために又別の趣が見える事に成ります。 「朝ぼら」や「曙日」はその傾向がより低い事になります。 「朝ぼら」の持つ趣や「曙日」の持つ趣が、写真性に与える影響を考えて、その被写体の趣を最大現に引き出す為には、この様にその撮影時期を選ぶと自然性のより綺麗なスナップが取れることが約束される筈です。
そもそも人間の思考の「綺麗」であるかどうかはその比較のものがある事による感覚ですから、その人間共通する比較対象と成るのが「可視光線」による「自然美」です。 人間は目に映るこの「自然美の色」を基準にして脳の感覚を表現しています。 「自然美」=「綺麗」=「趣」の数式がもし成り立つとしますと、「太陽から発する振動磁波の光が衝突に依って発色変化する色」の理屈を ”より上手く使うことである”と定義されますね。 同じ物を同じ位置から同じ撮影条件で間違いなく撮影すると、明らか違いが出ます。 この違いを「柔らか味」とか「爽やかさ」とかの「趣」で撮る時に使えばより素晴らしい自然の色合いの「表現力」が出せると言う事に成ります。
フエリヤー理論 この様に、この振動磁波の「季節の澱みの知識」を観察して撮影する事が第1番目のポイントです。 当然にこの空気の澱み方は季節に依っても異なりますね。 夏は温度が高く、乾燥しますし、絶対湿度(空気中の水分)も高いですから空気は澱み傾向です。 冬はこの逆に成りますし、風も強く吹きますから塵埃も飛んで行きます。 この様に「春夏秋冬」、「気候」、「天候」、「地理」や「場所」での「酸素の多い少ない」等も撮影には大きく働きます。 この様に、これを写真技術では”フェリヤー(撮影の環境条件)が働く”と云います。 これを「フェリヤー理論」と云います。 先ず、色の元の知識が掴めましたがまだこの理論が続きます。
色を発する鉱物 では、その”太陽から来ている核爆発の物質のものとはどんな物か”と成りますが、地球には360の元素の内、次ぎの物質が人間には見えているのです。 今までは正直「色」は「色」としてのみ太陽から飛んできていると思っていたのではありませんか。 鉱物の振動磁波とは到底思っていなかったでしょう。 では、その鉱物又は物質はどの様な物なのでしょうか。
これは、主に「アルカリ金属」と「アルカリ土類金属」に所属する物質の爆発の振動磁波です。 第1 Li(赤)、Na(黄)、K(紫)、Cu(緑)、Ca(橙)、Cs(青紫)、Cr(暗赤) 第2 Sr(紅)、Ba(緑)、Ra(洋紅) 第3 B(黄緑)、G(青)、In(藍)、Tn(淡緑) 第5 P(淡青)、Bs(淡青)、A(淡青) 後の物質は地球を通過して行きます。
これだけの物質の光の振動磁波が色に変化するのです。 赤夕焼けの真っ赤はLiでした。Na:ナトリュウム(黄色)は皆さんも知っている何処にでも使われている物質ですよね。外灯ですね。あれはNaの黄色を出しているのです。ですから埃塵や水滴が有ってもNaの外灯の光線は届いていますよね。 ですから、黄色や赤の色合いを示している花や物は、この物質の光が花や物に当り色を発している事に成りますね。 この物質の色を簡単に試験で観る事が来ますよ。 例えば、銅の粉を市販のやや強いライターで燃やして見ると緑色の火花が見えますよ。 この原理を使ったのが夜空に咲く色とりどり「花火」の祭典ですね。 これを「花火」をも含む酸化反応による「炎色反応」と云います。
色合いの技術 この様にこの色でどんな物質の波が遮られているかが判るのです。 写真では、撮影する物がどんな色合いであるかを先ず観察します。 そして、その色合いが「可視光線」の左側にある物か右側にある物かをまず考えます。 そうすると、地球の環境は埃、塵、水分で覆われていますから、赤か紫かのどちら側の色合いが出易いかを考えます。 凡そは赤のLiの波が細かいので透過してしまいますから赤より右側の色合いが出やすい事が考えられますね。都会と田舎ではよりはっきりしますね。 そして、それが朝、昼、夕方なのかの撮影時期を考えます。 更に突っ込んで朝の何時頃、雨模様か晴天か曇りか、湿度、風の有無、日当たりや影、等を先ず考えて撮影しますと、これだけでもかなり「自然美」の色合いを出す事が出来ます。 フェリャーが正しく取れる事に成ります。 そこで、より理解を深める為に次ぎはこの「フェリヤーの理論」を進めます。
フエリヤー理論 写真では、色(光)の三原色(BGR)と補色の光の三原色(YMC)で撮影は一度に変化するので、この事を先ず覚えておく事が必要です。 ここで「色は可視光線」だけだと思っているでしょう。ところが違うのです。 その前に、元は光ですよね。そうすると、可視光線の一つ外に、「紫外線」と「赤外線」がありますよね。その紫外線や赤外線にも「色らしきもの」が幾らか有るとは思いませんか。 急に「可視光線」に成って仕舞うのですか。そんなに急に色に変わってしまう程に自然はきっぱりしていませんよね。 未だ「紫外線」、「赤外線」は光の状態ですね。 その光の状態で「僅かな色合い」を示しているのです。 そして、それが「可視光線」の色の基本に成っているのです。 この理屈が写真には大事なことなのです。 つまり、人間の脳の感性はこの「僅かな色合い」の光を重視しているのです。 可視光線の「BGRの三原色」の基を成し、このBGRの「深まりや鮮やかさ、明るさ」等微妙な「色合い」を構成しているのです。 ですから、この「光の色合い」はその可視光線の7色の「微妙な色合い」を変えているのです。 これが、「光の色合い」が(YMC)の「3つの色合い」なのです。 この事の詳細は例を上げて観るとなるほど”紫外線に色が人間の目に見えているな”と気付きますよ。 現実の目の前でBGRの可視光線ほどでは有りませんが起こっているのですから。 この事は後述します。 そこで、写真ではこの微妙に確かに目の前で起こっている「光の色合い」を知り認識する必要が先ずあるのです。 可視光線の根幹を成しているのですから、これを認識しないでは綺麗な写真は先ず撮れません。
光の色合い そこで先ず「可視光線」の知識とこの「光の色合い」の知識が必要と成るのです。大事な事なので更に解説を続けます。 太陽から届いた振動磁波の光は全ての光が交じり合うと「白」と成ります。 混じらない時は「黒」と成ります。当然ですよね。昼は白ぽいし夜は暗いので黒ですよね。 ところが、これが衝突すると色に変わるのですから、全ての色が交じり合うと「黒」に成ります。混じらないと「白」に成ります。これも当然ですね。 そうすると、ここで、この「光」の「色」と「三原色」の「色」とに何か特長のある原理が働いていますね。そうです。大雑把に云えば「反対の性質」が働いていますね。 これを理論では「反対」と云う定義ではありません。この現象は「+−」の相対の関係では有りませんね。少し違います。 元々「光」と「色」は同じ物では有りませんからね。BGRの色だけでならば「+−」の相対の原理となるでしょうが。そこで、この関係を色理論では「補色の関係」にあると云うのです。 反対の様で基が違うのですからお互いに助け合っていると云う関係にもあると云えますよね。 そこで、この関係を良く観て見ると、この「光の色と可視光線の色」には3つに分けられますよ。
先ず可視光線を見てください。 「赤、橙、黄、緑、青、藍、紫」 この可視光線は次ぎの通りです。 「黄色系」 「紫色系」 「青色系」 以上3つに分けられそうですね。 兎も角も「濃度と強さ」は別としてこの3つに分けられるのでは有りませんか。
「黄色系」を「Y」、「紫色系」を「M」、「青色系」を「C」と成ります。 この3つに分類で出来ますね。
当然に上記した様に「補色関係」にあるのですから、この3つの分別に相当するものがある筈です。 そこで、考えて見ます。 補色ですから「色」として見る事にします。 例えば、橙、緑などは黄色系の中には青が入るとこれに近い色合いに成りますよね。 この考え方で観てると次ぎの様に成りますね。
「黄色系」(Y)のものは「青色系」と観る事がで来ます。これを「B」とします。 「紫色系」(M)のものは「緑色系」と観る事が出来ます。これを「G」とします。 「青色系」(C)のものは「赤色系」と観る事が出来ます。これを「R」とします。
人間の目に見えている振動磁波の光は可視光線としての色として見えていますから、これを「色の3原色」と呼びますね。 当然「光の3原色」と観る事も出来ます。 「YMC」は「イウロー、マゼンタ、シアン」 「BGR」は「ブルー、クリーン、レッド」 以上3つと成ります。
「Y」に対して「B」、「M」に対して「G」、「C」に対して「R」の補色関係にあると云う事に成ります。
「YMC」「BGR」の働き さて、この事が判るとして、この関係が”撮影でどのように働いてくるのか”と云う事が浮かんで来ます。 そこで、例題を挙げます。 ある「B」系の背景があります。この環境は木々などで撮影する場合が多いですよね。 其処に、人が立ちます。 そうすると、その「青色系:B:ブルー」の中に人の肌色の顔があるのですから、この肌色には「B」に引っ張られて補色関係の「Y」が働き、肌色に黄色が働き褐色ぽい顔色になってしまいます。 これは人間が観た自然色ではありませんね。人間の目は脳の印象記憶でこれを瞬時に修正しています。 ”私の顔はこんな日焼けした顔していないよ”として”綺麗に撮れた”とせずクレームがつきます。
ある「G」系で画面が6割以上も占める背景があります。其処に、顔とか花とかを中心に据えます。 そうすると、フェリヤーが働き、補色の「M」が働き、花が「M」が強く混じった色の花が出来上がります。何か紫ぽい花と成ります、肌色の顔ですと赤っぽい赤紫色ぽい顔が出来ます。 同様に、クレームですね。写真を叩きつけられるかもね。
M(マゼンタ)中間色 ところで、この「M」(マゼンタ)ですが、聞きなれない色の呼び名ですね。 この色はつまり、光は「極めて薄い赤紫」の色合いを示し、”色なのか色でないのか判らないもの”で、つまり原色では有りません。 これを「中間色」と云う色理論では呼ばれている色合いです。 この「M」と「C」は「全ての色」に対して大きくその色合いを与えるもので、この様な働きをするものを「中間色」と云います。 これから撮影する場合、花や物や人物等の被写体をよーく見てください。そうすると”なるほど 少し原色と違うな”と感じる筈です。これがYMCの「中間色」が働いているのです。
さて、この「中間色」ですが、日本人はこの色合いが含まれた色を「綺麗」とし、「自然美」の感覚としているのです。つまり、日本人の「綺麗」の根源はこの「中間色」なのです。 その中でも、この聞きなれないM(マゼンタ)を最も好むのです。 万葉の昔から、「薄紫」が最も高位の色とされている理由はこの所にあるのです。 このM(マゼンタ)とこれを含んだ色合いを「綺麗」とする遺伝子を持っているのです。 ところが、上記した人種の印象記憶ではアングロサクソン系の人種は、余りこの中間色に反応を示しません。もとより「原色の美」を好みます。 つまり、「中間色」又は「中間色を含んだ色合い」のものは濁り、澱み、くすみとして嫌います。原色の中でも特に、赤系統を好む傾向があります。 それは何度も言うようですが、極寒の中で進化した人種の遺伝子がその様にさせているのです。 況や、極寒の中での生死はその血液の凍結を防ぐ最も大切な条件であったからです。 彼等の体型や顔や目鼻や皮膚の全てがこの「血液の凍結」を防ぐ事から進化してあの体型に成っているのですから。 そのYMCの中間色ですが、花の「自然美」が判りやすいと思いますが、中間色又は中間色を含んだ色合いの花と原色の花とを示すと、日本人は「中間色」系を「自然の美」として「好み」を示します。 しかし、「原色」の美は「感動」とした反応をする事が統計的に判っています。 「好み」(中間色)の「自然の美」 「感動」(原色)の「自然の美」 以上2つとに脳の印象記憶で分けている事が判るのです。
漫然と聞くと、どちらも「綺麗」と聞こえていますが、それを分析すると、上記の様に脳では分類しているのです。 故に、その理屈から云えば脳科学では「感動」は「血液」の如何を意味しています。 ですから、上記したアングロサクソン系の人たちは遺伝子から「血液」即ち「感動」を基幹とした反応を示す事になるのです。 当然に、日本人としては、写真を撮る時、又は観る時には、この脳の反応が働いている訳ですから、この「中間色」(YMC)を如何にして取り入れる工夫をするかに掛かる事に成りますね。 自分と他人は「綺麗」と反応して評価するのですからね。 当然に、日本人にもある「感動」を与える写真の工夫は、”如何に「BGRの取り入れ」を工夫するか”に掛かることを意味します。
そこで、問題に成るのが、「綺麗」で且つ「感動」の写真ですね。 つまり、「難しい写真」と成る事です。 そこで、その典型的な被写体があります。それは、「秋の紅葉」に挙げられる風景です。 「原色の自然の美」とも云えるものですね。確かに「感動」を与えます。 観ると「血」が騒ぎます。そして綺麗です。感動と綺麗が融合しているのです。難しいですね。 しかし、反対に「春の花々や植物」は「中間色の自然美」ですね。「感動」「血が騒ぐ」と云った脳や前頭葉の働きでは無い「何か静けさを感じる美的感覚」では有りませんか。 ”感動して心が動く”と云うものでは有りませんね。
この季節による写真にはこの様に”何か違うもの”を感じます。 「淡い色合い」で何とも云い難い印象を持ちます。 最近は西洋花が多く成りましたが、矢張り、春の野辺の花の色合いの綺麗さは「血液」が騒ぐと云うのでは無く「遺伝子」が騒ぐと云う感じがします。 これが我々日本人に持っている「遺伝子」の「YMCの感覚」がその様に複雑に美的感覚を分けているのです。日本人は「繊細」な人種と判定出来る要素ですね。 アングロサクソン系の人たちは全体を「血液」の「感動」に依る事から、当然に日本人の様には論理的にこの難しい事は起こらないことを意味します。 彼等は全て、遺伝子から来る「血液」による「感動」を主体としている事に成ります。
量的感情と質的感情 「感動」とは確かに「綺麗さ」もその一つですが、主に「強さ」や「壮大さ」や「広大さ」に対して起こる「量的感情」が主体です。そして、秋の「感動」の綺麗さはその字の如く主に「動」による綺麗さでは有りませんか。
それに対して、春のYMCの綺麗さは「静」による綺麗さを示しているのでは有りませんか。 YMCの淡い色には、「感動」の「動」の強さや壮大さ広大さの「量的感情」の印象は少ないと思います。どちらかと云うと、「質的感情」と区分けする事が出来ます。
この様に、まとめますと「静」の「光」の「YMC」中間色による「自然美」の「綺麗」は、殆どは日本人の「遺伝子」による「質的感情」の「綺麗さ」とでも云えるものなのです。 そして、それは色理論としてはYMCが「色の根幹」の印象を左右しているのですから、むしろその上記「まとめ」である事が正しい感情と云う事に成ります。 ですから、写真撮影ではこの「YMCの如何」を習得して表現する事が「本当の自然美」であると言えます。
YMC さて、そこで、そのYMCの全てが均等に左右しているとは限りません。 質的、量的にも特長を持ちます。経験による私的感覚ですが総合的には、この関係はM>C>Yであると観ています。その原因は日本人の「進化による遺伝子」と「四季による環境変化」によって起こっていると判断しています。
ではそのYMCが個々にどの様な特長を示すのかを説明します。 中でもM(マゼンタ)の美は日本人以外の人種では綺麗だとする感情を高める統計的なものは無いとされています。 市場の店頭で起こっているその例題を述べます。
M(マゼンタ) このM(マゼンタ)に関して普通にプリントすると、10人の日本人があるアスファルト道路の入った被写体写真に対して、このマゼンタを抜いた本来の色のアスファルト道路としてプリントすると、10人がこの”道路の色はおかしい”云うのです。 あの汚いアスファルト道路に対して、Mだと認識はしていないのですが、”M(マゼンタ)の様な色合いを少し欠けている”と要求するのです。通常、0.2−0.3程度の色合いを求めます。 そして、Mを補正を欠けると納得するのです。 この様に、写真店等のところでは道路だけではなくてもプリント全体にM(マゼンタ)0.2の補正を掛けているのです。それで初めて、”綺麗だ”と評価されるくらいに日本人にとってはこの中間色の存在を綺麗の前提としているのです。 そもそも、補正に依らずとももとより、「静」の「光」の「YMC」による「自然美」の「綺麗」は綺麗なのですが、遺伝子的な強い感情なのです。
C(シアン) 淡い青の色合いを示すC(シアン)は、特にM(マゼンタ)程にその傾向はありませんが、恣意的に欠けさしていると、強さとかシビヤーさとかシャープさとしてクレームが付きます。 観やすいものとしては、真っ白い光の当った花などよーく観てください。光がよーくあたった一部分に薄い淡い青、或いは水色の光り輝く部分があります。この部分がC(シアン)が当ったところです。このC(シアン)はより真っ白を白く見せつけます。 可視光線外の何ともし難い紫外線にこのC(シアン)が多く含まれている為にフェリヤーが強く働き自然美を阻害してしまうので注意を払う必要があります。 最近ではこの紫外線は大変に知られ、嫌われる光ですが、そうでもないのです。 殺菌作用や季節の植物の発育には欠かせない光でこれなくして生物は生きて行けないものなのです。 しかし、可視光線外の紫外線に含まれるこのC(シアン)の中間色としての存在そのものが知られていないのが現実です。最近ではやっと「アントシアン」として知られるように成りました。 従って、普通は一般的には「可視光線」の範囲での色合いの構成と知られ観られていましたが、ところがこのシアンが光として写真技術にも大きく影響しているのです。 より写真技術を上げるとすると、逆にこのC(シアン)を如何にコントロールするかの技術が必要となりますね。上記した様に強弱、鋭鈍、明暗等の輪郭等の印象記憶をコントロールする場合に必要と成ります。
もとよりM(マゼンタ)は言葉そのものの認識が低くても中間色としての色合いは日本人なら誰でも知っている事ですが、太古の昔から知られていました。 しかし、このC(シアン)の言葉はもとより色合い自身も認識されていないのが今も現実ですね。 それだけに写真技術を上げるにはこのC(シアン)の論理的な知識を習得してそれを活用する事で「綺麗な写真」が撮れる前提要素と成るでしょう。
Y(イエロー) 次ぎはY(イエロー)なのですが、イエローは日本語で黄色ですね、でも、この光の中間色のイエローは色のイエローとは少し違います。 その色合いはやや淡い薄い透明的な光り輝く黄色です。 日本人はこのY(イエロー)の有無には余り反応を示しません。それは遺伝子と進化から来ています。 日本人は黄色人種ですし、その環境は森林や家屋等にイエローの多く含む環境にあります。ですから、多少のY(イエロー)が過不足があっても違和感を持たないのです。この中間色のY(イエロー)が働くと顔等は黄土色や日焼けしたように成ります。 色の黄色にこのYが多く含むと輝くようなイエローと云うか黄色が出来上がります。 テレビ等の画面に最も多く出て来る自然美から離れた不良画面はこの中間色のY(イエロー)が代表的です。余り意識していない事から来ていると考えます。 この光の中間色のY(イエロー)は原色を好む人種には大変に好まれます。それは色としての可視光線の原色の黄色として存在するからです。 原色の黄色の変化として、日本人の中間色の嗜好品的な所までは行きませんが、使われるのです。これを加える事による変化を好みます。 「感動」を主体とした反応である事から、強弱、鋭鈍、明暗等の輪郭等の印象記憶を要求する事に拠ります。
どちらかと云うと、C(シアン)等の使い方もこのY(イエロー)に近いものがあります。 更にどちらかと云うと、多くは画面が汚くなる傾向があります。このフェリヤーが働いた画面等は見られませんね。 とは言え一概には云えないことですが、写真撮影期の「春榛の緑」とすれば必要な中間色ですが。秋の銀杏の葉などにも使われる色合いですので、機会の多さ被写体の多さからすると同等に学び使う必要が出てきます。
中間色YMCの使い方 そこで、「好み」(中間色)の「自然美」と「感動」(原色)の「自然の美」をコントロールする”この難しい写真を撮るにはどうすれば良いのか”との課題です。 先ず、あくまで「原色の自然の美」の「BGR」を中心に、中間色の「YMC」を引き出すかの写真技術と成ります。そうすると、必然的には「YMC」の理論を学び会得するかに掛かる筈ですね。 難しい被写体ですから、簡単にこれだとする一つのものはあり得ません。故に複雑なそれを系統化した其処に理論が生まれるのですから。 それを系統化して論理的にしたのが「CC理論」なのです。 その中には、当然に補色に関係する「フェリヤー理論」も必要ですね。 本文の目的とするレポートですが、日本人の自然美は多くは、原色BGRの理論も必要として、よりこの「YMCの理論」と「フェリヤーの理論」を会得する事に関わります。 そして、それを融合させた理論の「CC理論」があるのです。 この「CC理論」のSカーブに付いて後述します。
そこで、それを理解する為に必要とする予備知識として知るべき事があり、その為に話を元に戻します。
撮影の予備知識 同じく、ある「R」の多い花などの背景に人が立つとしますと、或いは別の花を中心に据えるとしますと、その人物や中心の花には「C」が働き、何か青覚めた人物や花が出来上がります。 これでは写真では有りませんね。 今度は、「Y」「M」「C」の背景に同じ様に撮影の対象物を撮ると「B」「G」「R」の補色関係が働き観るも堪えない写真が出来ると考えられますね。趣が出るのか疑問に成りますね。 しかし、この「BGR」の背景に「YMC」が中心に来るとに較べて、そのフェリヤーの影響は少ないと見えます。”何故かな”と成るでしょう。 それは「YMC」の背景に「BGR」が来ると、人間の目或いは脳は次ぎの様な事に成ります。
先ず、1つは目は、フェリヤーが働いてくる「BGR」は可視光線のよくある色ですし、中央の被写体の色の殆どはこのBGRの色で構成されている事だから目立たないのです。脳、目は”反応し難い”のです。 2つ目は、YMC全体の背景と云う被写体が自然界では少ない事により、確率的に認識できないのです。恣意的、故意的にスタジオでの背景を作らないと「全体背景」としては先ず見られません。 3つ目は恣意的、故意的な特別なものは除くとして、自然背景の「BGR」に対して「YMC」はその色の根幹をなしているのですから、むしろその色合いのはっきり感等の明度の助長として働くからで目立たないのです。
テレビ等でよく観察してください。主にこのBGR背景でのフェリヤーの働いた画面が出てきますよ。 人間は「人の肌色」(YMCの中間色です)に対する印象記憶が何よりもすば抜けて強く違いを見抜きます。又、これには納得する色理論が働いているのです。後でこの理論を解説します。
人種の色の好み この様に、フェリヤーは自然の摂理現象の「光と色」関係がある以上この現象が起こります。 写真はこれを目の錐体(覚質)細胞の覚質層(受光細胞)に残像として遺すわけですから、人間の印象記憶がある以上また避けることも出来ません。 ところが、恐らく、”この印象記憶が人或いは人種により異なる”と考えるでしょう。 その通りです。日本人は全世界の人種の内で最も自然色を好む人種なのです。恐らくは自然に周囲が囲まれ育まれてきた結果だと思います。 例えば、アメリカ人又はアングロサクソンのヨーロッパ人は自然色から離れたやや赤みがかった色を好みます。人肌は赤みの人肌を自然だと云います。実際は違うのですが。希望的観測と云うか印象と云うかのものですね。 これは、彼等の祖先が生き抜いて来た「極寒の環境」から来ていると云われています。そのために肌は赤く血液が通って居るのが良いということに成ります。 アングロサクソンの白色人種は極寒であったために血管が体の中に引き込めて進化した結果のために白色に成っているからです。鼻が長く高く毛深いのはこの進化から来ているのです。 日本でも北部の人はこの若干の傾向を持っています。 色とはこの様にその祖先の如何が左右するのですが、兎も角も、好みの範囲ですが、論理的「自然色の美」は変わりません。 そんな事を言っていても、フイルムや画像ソフトが売れなくては困ります。そこでその好みの範囲でフイルムやソフトはその好みに合わせています。この合わせる理論があるのです。 それを「CC理論」と云います。それを一つの図表化にしたものがあり、これを上記の「BGR:YMC」の関係と「CC理論」とを合わせた「CCカーブ」(Sカーブ)と云うものがあります。 これは大変撮影の時に重要なものですので、後で解説します。 我々は、日本人ですので、「自然美の色合い」の理論で更に進めます。
自然美の理論 YMC 紫外線 では次に「可視光線」外の紫外線と赤外線とに付いて述べます。 この「2つの光線」も色に影響するのです。当然に写真にも作用するのです。 先ず、紫外線です。700ナノ付近の光線です。 この光は現在はかなり知られて来ましたが、この光は物に作用して殺菌する能力等があります。それはその光の持っているエネルギーに拠ります。衝突した時に発生する熱エネルギーで菌が死滅するのです。また、紫外線に多く含まれる「C」(シアン)が光線として物体に当りますとそのシアンの毒性で菌などは死滅する事に成ります。(用語としてアントシアンと呼びます。) 青酸カリという劇薬を知っていると思いますが、これはシアン化カリのことです。(C)は青色系ですから青と呼称します、シアンの酸化イオンと(K:カリ)のアルカリイオンが反応したものだと云うことです。このシアンが猛毒で怖いのです。炭素と窒素で出来ています。これをCNイオンと書きます。 このシアンがアントシアンとして作用します(ここではシアンと記する)。紫外線にはこのシアン(C)の光を多く含んでいます。 光は物質の振動磁波だと上記しましたが、この紫外線にはCN物質の振動磁波の光の状態のものが含んでいることを意味します。 例えば判りやすく例を挙げますと、柿の実、或いは葉や赤い紅葉はこの紫外線に含まれるシアンが柿に当りシアンの補色の赤に作用して赤く色づくのです。 色づくだけでは有りません。このシアンは柿の実の中の味物質に衝突してCとNが分離してCが更に醸成して炭酸(CO)イオンとなり、紫外線の当る量が増え、更に進んで果糖になりブドウ糖の糖分へと変化します。これが真っ赤に熟した甘い柿の実なのです。 柿の葉や赤の紅葉も同じで紫外線の当る量が多くなるとシアン(C)の補色の(R)へと変化するのです。簡単に云えば赤い夕焼けと同じですね。 ですから、この時期の葉で太陽光線に強く当った紫陽花の葉は危険なのです。緑の葉でありながら、葉には紫外線が当っても補色の色に変化せずに緑のままでこのシアンを溜め込むのです。それだけに紫陽花の葉の緑の力が強いという事ですね。虫は紫陽花の葉を食べませんね。虫食いの紫陽花の葉を見たことが有りません。 ところが、例外の紫陽花の外では、つまり、紫外線が当る事で、葉の緑の色素は分解されて葉の内部の細かさが赤を受け付けるのです 赤の夕焼けと同じです。この物質にアントシアンが残るのです。シアンは元は「薄い青みがかった白 」です。写真技術では「薄い青みがかった白」だと大事ですので覚えて置いてください。 このC:シアンの光が衝突することで補色の赤(R)の色に変わるのです。 他に例としては、銀杏はこの紫外線のシアンを吸収しますが、紫陽花ほどでは無く黄色程度のところで葉の内部の分解は留まりますが、この葉も危険です。ですから、生きた化石として長く生き延びてきたのです。 同じく銀杏の木にもこの溜められたシアンが働きスポンジ状の木の内部に溜め込みます、当然に菌や虫は食べませんので腐らずに木は生き残れたのです。
つまり、当然にシアンを含んでいるのですから、写真ではこの紫外線の太陽光を最も気にする必要がありますね。どう言う事かと云うと、写真は光と物体の肖像ですから、アングルに光の取り入れ方が重要です。取り入れすぎるとシアンが働きますし、その光の中心に肖像物体を入れて撮るとシアンの補色が働き赤みが自然色から離れて働きます。上記の理論よりフェリヤーが働き過ぎますね。 そうすると、撮影時は光は写真を生かすかどうかのものですから、何とか取り入れる必要があります。そこで、フェリヤーが働かないように撮影肖像物から離して取り入れる必要が出てきます。 むしろ反対の場合のも在りますね。 撮影肖像物が赤であり特に強調したい場合は、むしろ紫外線を当ててフェリヤーを働かせればより綺麗に写ります。 更には、白色をより強調したい場合は、アングルの中心から僅かに外してフェリヤーを外して紫外線を直接当てる事でCの薄青みがかった白が出てより白く見せる事が出来ますね。 注意は当然に光の綜合色の白が強く成るのですから、ハレーションが起こります。このハレーションを防ぐには紫外線の時期を選ぶ以外には在りません。紫外線の少ない光です。 朝の上記した3つの時期と成り局部的に当てる事でかなり抑えられます。だから、朝日でもこの様に3つもある事の自然論を知っておく必要がありますね。 つまり、地球の空気の澱みの有無を知る事が写真技術では大切な要素と云う事です。 こうなると、物理に成りますが。マア其処まで行かなくてもこの程度の原理を覚え使う事で綺麗な写真が撮れる事に成れば覚えて活用したほうが得ですね。 この様に、上記した理論を駆使して紫外線を撮影から利用するのです。推して知るべしで撮影には紫外線は色々なアングルに「シアン」というものが大きく働きます。 太陽光の綜合色となる即ち紫外線ですから最も重要ですね。 紫外線フィルターも在りますがこれも使うことも一つです。芸術写真を撮る事等にはお勧めですが。 紫外線の効能は「シアン」以外に「趣」として観ると活力や明るさ等もありますからね。 又、他の方法では4000ケルビン程度のフラッシュで紫外線を迎え撃つ事も出来ます。光の方向に向かって明るいですがフラッシュを焚くのです。 慣れてくると、フラッシュの発射角度や時間や強さをコントロールする事でも微妙な趣を出すにはこの方法も可能です(場合によっては自分専用に改造か作る必要がある 殆ど充電量をコントロールする事で可能)。
写真を撮る一番最初に考える事は、被写体が決まると”「光」をどうするか”ですから、シアンの影響が続けて記憶から出るぐらいにしておく事が必要です。
赤外線 次ぎは、赤外線です。 紫外線ほどではありませんが、この光も働きます。 赤外線は400ナノ程度以下ですから、実に細かい振動磁波ですから殆どのものを透過します。 当然、空気の澄んだ時には多くこの赤の光とか赤外線の透過量が多いと成ります。 そうすると、どうなるかの問題です。 赤外線量が多いと云う事はその量が衝突する物体に赤傾向が強く成ると云う事ですね。 朝の「曙」はその赤の綺麗さが良くて「曙」と呼ばれ好まれているところですね。 赤の夕焼けとは少し違います。赤の夕焼けは空気中の澱みでやっと透過してきた赤の振動磁波が空気の澱みに衝突して発光して赤を示すのですが、朝の曙は澱みが少ない事でその量が多くて衝突してより多くの赤を発光している訳ですから。「質と量」の内の「量的」なところが違うのです。 そうすると、写真性では、先ずは「色濃度」はもとより「色の深み」と云う形で出て来る事に成ります。 紫外線のシアンの白っぽさの元気感、活力感、とかに較べて、赤外線の補色の赤は「しっとり感」「落ち着き感」とか「深み感」が出る事に成ります。 夜明けの赤外線は「低い角度」で入ってきますから、撮影時はこの角度をも配慮する事がその趣感をより強く出すので大切です。 この様に、赤外線と紫外線とは相対的な趣を醸し出す事に成ります。大まかには逆に働くとして覚え利用する事です。 赤外線は振動波が細かいですから、つまり透過は良いわけですから衝突や透過に依って起こる色合いではものを「暖める能力」を持っていますから「暖かい感じ」がしますし、被写体に当ると透過の影響で花の花びらなどでは透き通る事に依って「透明感」のある「色合い」を示します。 この様に、赤外線の「透過」と衝突による「赤味」から撮影時はこの2つの影響を論理的に考えることで赤外線の趣を引き出す事が出来るわけですね。 紫外線の様にYMCのC(シアン)が強く出る事が有りませんが。強いて云えば「下地にM傾向」と云う事になるでしょうが、赤の中にMですので目立ちません。BGRの根本の一つMですから赤の色合いは良くなる事は確実ですね。 現実に、論理的には振動磁波が物体に衝突する事で発生する熱エネルギーにより紫外線の「熱さ」に対して、赤外線が当ると穏やかな「温もり」を起します。「遠赤外線ヒーター」はその証拠ですね。 この論理的な現象から目に見えないのですが、これを活用する事が写真ではより「自然美の綺麗さ」を表現する事が出来ます。従って、意外には配慮されていないのが現実ですが、上記した様に大きく影響するのです。 推して知るべしで、逆に赤外線の影響を少なくするのには赤外線フィルターも在りますが、紫外線の処で述べ現象と同じ事が起こります。使う目的にあわすことが必要ですね。 フラッシュは逆効果で赤外線の効果を消す事の手段としては使えますが、それも面白みなどを出す目的での事に合わす事が必要ですね。 兎も角も、この赤外線を含む赤色系は、「空気の澱み」がある限り紫外線と較べて難しい事に成ります。 ですから、都会で撮影する時と、田舎で撮影する時と、町で撮影する時と、森で撮影する時では、「空気の澱み」と「酸素やオゾン」の量が異なるので、違う色合いを示す事に成ります。 森や林で、木々の多い所で撮影すると「深み」のある「しっとり感」とかが出てよい写真が撮れ易いのもこの事から来ています。
次ぎは中編、後編と続きます。
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