丹治氏系青木氏の摂津麻田藩の青木氏の問い合わせが多いので史料として掲示板から移動させました。
摂津麻田藩
青木氏
藩祖 - 青木 一重(かずしげ)
天文二十年(1551年) 青木刑部卿法印重直の長男に生まれる。
母 某氏、幼名 忠助
所右衛門(通称)、初名 重通、法号 宗佐
官位職歴 従五位下民部少輔
経歴 豊臣秀吉の黄母衣衆
慶長・元和の役後、徳川家康に仕える
元和元年(1615年) 一万二千石を領し麻田に住む→のち弟可直に二千石分与
寛永五年(1628年) 8月9日没 法名 梅隣院革屋令曇居士
葬地 麻布祥雲寺(のち、摂津畑仏日寺へ改葬)
墓所 江戸白金台瑞聖寺
正室 不詳
子女 正重(一重養子、小寺則頼子)→ 病により家督相続できず。
重兼(養子) → 二代
二代 - 青木 重兼(しげかね)
慶長十一年(1606年) 青木可直(一重弟)の長男に生まれる。
母 関右京亮某の娘
幼名 源五、職歴 甲斐守、号 瑞山
元和五年(1619年) 一重の養子となり、家督を相続。
寛文三年(1663年) 摂津多田院再興の奉行
同十二年(1672年) 致仕
天和二年(1682年) 没 法名 瑞山性正竹岩院
葬地 河原村北渓の山中
正室 酒井忠利養女(酒井忠季娘)
子女 可一(重兼養子、酒井忠勝三男)→ 正保元年(1644年)没
重成(養子) → 三代
女子 → 三代の正室
三代 - 青木 重成(しげなり)
寛永二年(1625年) 松平忠長家臣朝倉宣親の長男に生まれる。
母 酒井忠勝の娘、職歴 内膳→民部→甲斐守
承応元年(1652年) 重兼の養子となる。
寛文十二年(1672年) 家督を相続。
元禄五年(1692年) 大番頭・御留守居→側衆を勤める
元禄六年(1693年) 没 法名 陽徳院殿徹山道剛大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 二代重兼の娘
子女 直正(青木直澄養子)、重矩(四代)、女子、景孝(朝倉景行養子)、明教(加藤喜隆養子)、源三郎
四代 - 青木 重矩(しげのり)
寛文五年(1665年)三代重成の次男に生まれる。
母 正室 二代重兼の娘、幼名 源五郎
職歴 民部→甲斐守
元禄六年(1693年) 家督相続
正徳三年(1713年) 致仕
享保十四年(1729年) 没 法名 了心院殿雄山元英大居士
葬地 摂津畑仏日寺
正室 戸沢正誠の娘
子女 一典(五代)、女子(大給[松平]乗真正室→離婚→京都祇園宝寿院行快妻)
五代 - 青木 一典(かずつね)
元禄十年(1697年)四代重矩の長男に生まれる。
母 某氏、職歴 民部→出羽守→甲斐守
正徳三年(1713年)家督相続
元文元年(1736年)没 法名 春徳院殿瑞海元活大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 冷泉為経の娘
子女 一都(六代)、見典(七代)、一新(八代)、女子(加藤明義妻)、女子、寅太郎、
亀三郎(近江國唯念寺長寿養子)、正岑(井上貞高養子)
六代 - 青木 一都(かずくに)
享保六年(1721年) 五代一典の長男に生まれる。
母 正室 冷泉為経の娘、幼名 源五郎
職歴 出羽守→甲斐守
元文元年(1736年) 家督相続
寛延二年(1749年) 没 法名 覚翁院殿大徹浄真大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 谷 衛衝の娘
子女 見典(弟、養子)→七代
七代 - 青木 見典(ちかつね)
享保八年(1723年) 五代一典の次男に生まれる。
母 某氏、職歴 内膳→内膳正
寛延二年(1749年) 兄、一都の養子となる。
寛延三年(1750年) 家督相続
宝暦四年(1754年) 没 法名 清涼院殿秋岳浄映大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 不詳
子女 一新(弟、養子)→八代
八代 - 青木 一新(かずよし)
享保十三年(1728年) 五代一典の三男に生まれる。
母 某氏、職歴 主税→美濃守
宝暦四年(1754年) 兄、見典の養子になり、家督相続。
明和七年(1770年) 致仕
天明元年(1781年) 没 法名 善応院殿心珠衍明大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 久留島光通の娘
子女 一在 → 明和三年(1766年)没、女子(九代の正室)、一貫(養子)→九代、他 早世男子四人
九代 - 青木 一貫(かずつら)
享保十八年(1733年) 伊達村年の三男に生まれる。
母 伊達吉村の娘、幼名 伊織、職歴 甲斐守
明和七年(1770年)一新の男子早世により養子になり、家督相続す→大番頭を勤める
天明四年(1784年) 没 法名 養源院殿慈眠衍端大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 八代一新の娘
子女 健行(佐野義行養子)、貞喬(設楽貞猶養子)、政佑(米津政従養子)、一貞(十代)、
女子(渡辺春綱正室)、女子(斎藤利恵妻)、一寧、喜代三郎、他 女子四人
十代 - 青木 一貞(かずさだ)
安永五年(1776年) 九代一貫の四男に生まれる。
母 正室 八代一新の娘、幼名 源五郎
職歴 出羽守→甲斐守
天明六年(1786年) 家督相続→柳間詰を勤める。
文政四年(1821年) 致仕
天保二年(1831年) 没 法名 正法院殿一乗義貞大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 佐竹義忠の娘、継室 池田定常の娘
子女 重龍(十一代)、一興(十二代)、衛モ(谷 衛弥養子)
十一代 - 青木 重龍(しげたつ)
寛政十二年(1800年) 十代一貞の子に生まれる。
職歴 内膳正→美作守→駿河守、幼名 源五郎
文政四年(1821年) 家督相続
弘化四年(1847年) 致仕
安政五年(1858年) 没 法名 龍光院殿天祥本瑞大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 森 忠賛の娘
子女 一興(弟、養子)→十二代、重義(十四代)
十二代 - 青木 一興(かずおき)
文政五年(1822年) 十代一貞の子に生まれる。
職歴 美濃守
弘化四年(1847年) 兄、重龍の養子になり、家督を相続す。
嘉永二年(1849年) 没 法名 玄了院殿俊徳義勇大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 不詳
子女 一咸(養子)→十三代
十三代 - 青木 一咸(かずひろ)
文政十一年(1828年) 奥平昌高の子に生まれる。
職歴 甲斐守
嘉永二年(1849年) 一興の養子となり、家督を相続す。
安政三年(1856年) 没 法名 泰雲院殿一峰清咸大居士
葬地 江戸白金台瑞聖寺
正室 戸田光庸養女 ラ(戸田光行娘)
子女 重義(養子、十一代重龍子)→十四代
十四代 - 青木 重義(しげよし)
嘉永六年(1853年) 十一代重龍の子に生まれる。
幼名 源五郎。職歴 民部少輔。
安政三年(1856年) 一咸の養子になり、家督を相続す。
明治十七年(1884年) 7月8日 子爵位を授爵す→同年 没
正室 松平信宝の娘 由(のち、離婚)、継室 塩田伝兵衛の娘
15代 信光(のぶみつ)
16代 蔚(しげる)
17代 淳一(じゅんいち)
2003年 4月27日(日) 01:22:27
[返信]
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80 青木一重流青木氏のルーツ
青木研究員
一重氏の孫 重吉氏は当初は信州の丸子に住まいしていましたが、それ以前は武蔵国足立郡の青木村に住んでいたと記録されていますので、9/14の土地ですので藤原流青木氏と判断しました。
信州小県郡にも青木村がありましたがこの青木村は武蔵の国足立郡の青木村から時間経過から移住したものと推測します。
2005年 6月18日(土) 20:40:05