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青木 三つの流れ
かんりにん [本物] 2005/06/19 (日) 07:55 [ メールウェブサイト ]
1.甲斐国 巨摩郡 青木村発祥(現 山梨県 韮崎市 清哲町青木)
清和源氏 新羅三郎源義光の後裔
一条信長―信綱――時信―――時光(「武田系図」) 甲斐国守護 青木
この系統に戦国時代、武田信虎・信玄親子に仕えた青木信親がいる。
子孫は徳川旗本四家、あるいは山梨・静岡に帰農した旧家が今に続く。
青木時光―常(経)光 → 山口に移動
安芸武田氏に従って広島に移動、後 毛利藩士になり山口に移動
※青木和泉守
戦国時代・・・長洲に移り、毛利元就に仕える
江戸時代・・・山口県大島郡安下荘にて医者に転職
↓
子孫 周弼――――幕末に長州藩の藩医になり、藩内で種痘を実施
周弼の甥 周蔵―明治の外交官として、不平等条約の撤廃に尽力
※青木信種(のぶたね)
甲斐武田氏家臣で韮崎白山城主
武田信縄・信虎・信玄の3代に仕える
天文十年(1541年)10月20日没
2.武蔵国 入間郡 青木村発祥(現埼玉県 飯能市 青木)
武蔵七党丹党の流れで秩父基房の子孫
秩父基房ー新里恒房ー真直(「丹党系図」)
称青木
戦国期 → 後北条氏・佐野氏に属す
主家滅亡後 → 帰農して関東一円に土着
この系統で、美濃(岐阜)に移った一族から戦国期の青木直兼・重直
親子が土岐・織田・豊臣に仕え、その子一重は徳川家康に仕えて摂津
麻田藩主に封ぜられて、後、廃藩置県の時まで14代が継承する。(参照)AAAへ
※この系統は、疑問点が多く残っており、摂津麻田藩と丹党の関係もわからない。
藩主になった系統の発祥地・・・美濃國安八郡青木村(現 岐阜県大垣市)
3.近江国 坂田郡 青木村発祥(現滋賀県 甲賀郡 石部町)
藤原時長―利仁―叙用―吉信―伊伝 ⇒ 利仁流
称斎藤
この系統は、六角氏→織田信長に仕え、江戸時代になり旗本として続く
・他流 ⇒ 藤原秀郷流、平姓など
・家紋
清和源氏系旗本青木家 割菱、葉菱
丹党青木家 定紋 (じょうもん)[第一級] 州浜(すはま)→三つ盛り州浜に後代おさまる
副紋 裏紋 霞に富士(青木富士)
替紋(かえもん) 霞に富士、木の字(青木の木を図案化)、鹿の角(鹿角(かずの))
・文献 青木系図(系図綜覧)、青木系譜(東大史)、肥前唐津青木系図(神宮)
諏訪社青木系図(長崎)、「私の家系追求」青木健著