Re: 皇族賜姓青木氏の背景 1の追記
青木研究員 さん 2005/06/27 (月) 09:50
2の佐々木氏の元祖の盛綱について、疑問の点があるので追記します。
宇多天皇の末裔としている事の説に付いて、
宇多天皇は15源氏を賜姓した天皇の一人です。したがって、盛綱は賜姓外の第7位以降の皇子となり、佐々木氏の跡目に入ったとなります。ここから佐々木氏は始まっていなく天智天武期からですから、必然的に跡目となります。しかし、元祖と記しています。
もう一つの疑問は盛綱は清和天皇の源氏で、父は源の頼憲としている説もあります。摂津多田源氏となります。
清和源氏盛綱は1の天智天武期の元祖の衰退した佐々木氏の跡目に入ったとする説です。そして各地に佐々木氏子孫を遺したとすると理屈はあいます。
同時期に源隆綱という者がいました。この隆綱も佐々木隆綱として記しているものもあります。しかし、隆綱は清和源氏源の頼政の子孫となつています。そして、太田氏の元祖となつています。
隆綱は頼政の子の広綱の子供です。つまり孫。しかし、佐々木氏です。頼政の子の仲綱の子の宗綱が佐々木宗綱と記しているものもあります。
清和源氏の同時期の者で盛綱と隆綱と宗綱の3人は佐々木氏の者としているのです。同時期に同姓同名の者が源氏方に居たとなりますが、明らかに疑問です。この3人は明らかに清和源氏源の頼光系の子孫です。源平の乱の始まりの以仁王の乱で没しています。
これらの3人の子孫は別の氏に引き継がれています。佐々木氏ではないと言う事です。
このように、どちらが正しいのか判らないほどに系譜には矛盾点を精査してよく検証する必要があります。
多分後刻に氏の欠落を没した者を使って都合良く埋め合わせたものと考えます。
結論は、多分、当時の15源氏の中では最大勢力の清和源氏一族が源盛綱をして1の佐々木氏の跡目に入り盛り返したと見ました。
賜姓青木氏と同様に跡目に入り、一族を盛り返しの策に出たとする説です。理由は32/66国の渡来系平氏の勢いに対する対抗策です。
背景 1の前段として。