藤原秀郷一門の赴任地と発祥氏と主要五氏の分類
副管理人さん 2007/11/01 (木) 13:34
原秀郷一族の赴任地と発祥氏と主要五氏
藤原北家の鎌足より8代目の秀郷は関東の武蔵の国と下野の国の守護と成ったが、それ以後、朝廷より命じられた赴任地がどの様なところと成って居るか、又、発祥氏がどの様に成っているかを具体的に列記する。
藤原秀郷(元祖)は「藤原秀郷一族とその生き方」で詳細にレポートしたが、彼ら一族は戦略上その勢力を拡大し保つ為に、全ての赴任地に末裔を遺し土地の豪族との発祥氏の血縁族を作った。
当然、この護衛役を全て担った秀郷の第3子千国を始祖とする最古参の藤原秀郷流青木氏も同じ戦略を採った。
この史料から多くの事が読み取れるが、青木氏を理解する上でも、他の同門の末裔一族との大事な資料となる。
そこで、調査資料のその内容を次に纏めた。
順不同(鎌足 初代)
(内容は編集続行中とする)
赴任地 赴任者 注釈
武蔵 秀郷 8代目 平貞盛と「平将門の乱」鎮圧 (勲功:貴族 領国)
武蔵 千国 9代目 鎮守府将軍 秀郷の3子 青木氏始祖
武蔵 利仁 9代目
武蔵 忠正 14代目 利仁(秀郷進藤氏と利仁進藤氏と深く同族血縁)
陸奥 秀郷 8代目 鎮守府将軍(東北北陸の統治の将軍)
陸奥 千時 9代目 鎮守府将軍 秀郷の第1子
陸奥 千常 9代目 鎮守府将軍 秀郷の第5子
陸奥 千万 9代目 鎮守府将軍 秀郷の第6子
陸奥 文脩 10代目 鎮守府将軍
陸奥 文修 10代目 鎮守府将軍
陸奥 兼光 11代目 鎮守府将軍 青木氏元祖
陸奥 頼行 12代目 鎮守府将軍
陸奥 有象 8代目 鎮守府将軍 利仁の叔父
陸奥 時長 8代目 鎮守府将軍 利仁の父
陸奥 利仁 9代目 鎮守府将軍
近江 千種 9代目 秀郷の第4子
出雲 宗綱 19代目
美濃 秀忠 16代目 美濃大屋氏の始祖
伊予 行長 21代目 永嶋氏の始祖
下野 豊澤 6代目 秀郷の祖父
下野 正頼 10代目 秀郷の曾孫
下野 有象 10代目
下野 政頼 11代目
下野 行尊 13代目 介 太田氏の始祖 領国に成る
下野 宗郷 13代目
下野 朝政 16代目
下野 秀綱 19代目
下野 定秀 20代目
下野 貞朝 21代目
下野 秀貞 22代目 三代続く
下野 高朝 22代目
下野 義政 24代目
淡路 宗政 16代目 中沼氏の始祖
淡路 時政 17代目 宗政の子
淡路 時宗 18代目 時政の子
淡路 宗秀 19代目
淡路 宗行 20代目
淡路 政信 22代目
淡路 正信 22代目
淡路 秀直 23代目
淡路 嘉秀 24代目
淡路 義政 24代目
淡路 宗秀 25代目
淡路 憲秀 26代目
淡路 秀光 27代目
淡路 秀宗 28代目
淡路 氏秀 29代目
上野 朝光 16代目 結城氏の始祖 頼朝に合力し本領安堵
相模 公光 13代目 介
駿河 景親 14代目 権守
駿河 公則 15代目
駿河 景頼 16代目 権守 近藤氏 嶋田氏の始祖
駿河 常嗣 :
駿河 宗親 20代目 権守
駿河 長久 :(37)
加賀 吉信 11代目 介 利仁 半国に分轄 吉備氏の祖
加賀 忠頼 12代目 介 利仁
加賀 忠親 13代目 介 利仁
加賀 至考 14代目 介 利仁
加賀 良時 14代目 介 利仁
加賀 政任 15代目 介 利仁
加賀 義俊 24代目
豊後 重光 12代目 滝口氏の始祖 利仁
豊後 忠綱 19代目
豊後 忠景 20代目
豊後 忠宗 21代目
豊後 秀久 23代目
出羽 有久 23代目
伯き 豊久 23代目
備後 公則 15代目
越前 高房 7代目 利仁の祖父
越前 大束 10代目 権守 利仁 利仁の子
越前 伊傳 11代目 押領使 利仁
越前 為延 13代目 押領使 利仁
越前 則重 14代目 利仁
越前 秀行 20代目 権守 利仁
越前 長範 20代目 介 利仁
相模 千春 9代目 権守 秀郷の第2子
相模 家綱 15代目
近江 脩行 12代目
能登 助忠 14代目 利仁
能登 伊経 26代目 利仁
能登 時員 17代目
豊前 貞宗 15代目
隠岐 文紀 12代目 讃岐に赴任 利仁
肥後 長成 22代目 利仁
飛騨 伊忠 22代目 利仁
筑前 為成 19代目 利仁
筑前 為重 20代目 為成の子 利仁
筑前 長経 21代目 為重の子 利仁
筑前 長範 20代目 利仁
越中 経泰 12代目 利仁
越中 則高 13代目 権守 経泰の子 甲斐 武田系青木氏始祖 柳沢青木氏 利仁
越中 延忠 14代目 介 利仁
越中 重吉 26代目 介 利仁
越後 興善 10代目 利仁
(筑後 長治 37代目)
(筑後 長定 39代目)
(筑後 長房 40代目)
讃岐 千常 9代目 秀郷の5子 (讃岐に隠れた純友の乱鎮圧)
讃岐 文紀 12代目
伊勢 藤成 5代目 特記(秀郷の曾祖父)
伊勢 基景 16代目
伊勢 基経 25代目
周防 忠頼 12代目
周防 知員 18代目
周防 忠綱 19代目
河内 村雄 7代目 特記(秀郷の父)
河内 秀能 18代目
河内 秀長 21代目
河内 秀貞 22代目
河内 久逸 25代目
(河内 長恒 37代目)
上総 公行 12代目
尾張 公郷 14代目
尾張 公澄 14代目
尾張 知昌 16代目
尾張 知忠 17代目
安房 国基 18代目 永嶋氏
安房 師綱 21代目 永嶋氏
伊豆 行信 22代目 行久曾孫(青木氏)
美作 末茂 5代目
大和 春岡 7代目
大和 秀宗 17代目
大和 信房 20代目
大和 頼房 24代目
常陸 時長 8代目 介
信濃 有綱 17代目 足利氏
信濃 高久 20代目
土佐 行政 20代目
備前 秀春 23代目
出羽 長村 18代目
出羽 宗朝 20代目
美濃 秀忠 16代目
紀伊 正長 20代目 以下は長沼氏支流中沼氏
下総 忠氏 21代目
山城 忠光 21代目
近江 時久 21代目
安芸 資久 21代目
尾張 資忠 21代目
但馬 氏忠 22代目
薩摩 用久 23代目
若狭 忠弘 25代目
摂津 頼久 25代目
遠江 勝久 25代目
相模 友久 25代目
この赴任地から秀郷勢力を隣国に広げたがこの国は含まずとする。
この赴任地は末裔を広く広げた官職の介や権守以上に限定した。
当レポート以前の史料は兼光系ルートの史料として記述しているが、ここには文行系も含んでいる。
秀郷一門としている利仁系も秀郷一門として扱われた。
それは進藤氏を仲介として同族血縁を繰り返した事による。
その結果、秀郷の領国の武蔵、下野国内で圏域を広げ、また守護職も勤めた利仁流系である。
短期間の赴任も含む為に末裔を遺していない国もある
赴任地は平安末期までとする。(...)は鎌倉幕府以降の1200年以後の赴任地とされる。
藤原秀郷一門は鎌倉幕府樹立(1185-1192)により官職を全て失う。
藤原勢としては、朝光が関東一円で合力して勲功を立て、本領安堵されて平家に取られていた上総の結城は戻る
当時、平均寿命50歳とすると、この時期(平安末期)までの代は、17代(+1−1)位から25代(+1−1)位と見られる。
系譜には同名がある。
利仁系に付いて、次の系譜になる。
鎌足−不比等−房善−魚名−藤成−豊澤−村雄−秀郷
鎌足−不比等−房善−魚名−鷲取−藤嗣−高房−時長−利仁
(藤成の弟の鷲取の系譜と成る。)
長沼氏の赴任地は短期間である。(宗家を除き赴任期間は通常2年から5年程度である。)
参考として当時の日本の国は66国である。
藤原秀郷一族一門の発祥氏
秀郷主要五氏は次の通りである。
4代目兼光系―青木氏 永嶋氏 長沼氏
4代目文行系―進藤氏 長谷川氏
この主要五氏は以下の氏を発祥している
秀郷の4代目から次の様に分流する。
但し、青木氏は秀郷2代目より初代となる。
途中、4代目兼光系より13代目で総宗本家より行久が跡目に入る。
青木氏は秀郷の子の千国より出ているので末裔の最古参である。
青木氏主要9氏は直系1氏 直流4氏 支流4氏である。
下記の氏以降の支流分流分派は列記していない。
以下の氏は綜紋を「下がり藤紋」とし直系主要氏である。
秀郷主要5氏
兼光系 青木氏 永嶋氏 長沼氏
文行系 進藤氏、長谷川氏
但し、進藤氏は秀郷流進藤氏と利仁流進藤氏とがある。共に相互に血縁を繰り返している。
(他に、支流とする清和源氏進藤氏、綾氏進藤氏、未勘の諸流進藤氏もある)
名前 発祥氏 注釈
千国 青木氏 主要五氏の祖 青木氏116氏に末裔広がる 秀郷の3男
秀忠 大屋氏
考綱 長沼氏 秀郷主要五氏 52氏に末裔広がる
成俊 佐野氏
成行 足利氏 本家を排斥して分家に跡目入れて本家を継ぐ
行長 永嶋氏 秀郷主要五氏 伊勢より東の永嶋氏の祖 34氏に末裔広がる
行久 青木氏 秀郷主要五氏 宗家より鎌足24代目で跡目
兼行 渕名氏 秀郷一門24氏主要5氏外の支流系分派の初代
行尊 太田氏
政光 小山氏 陸奥小田氏末裔
親実 松野氏
為輔 進藤氏 利仁流 元祖
景頼 近藤氏 (嶋田氏も祖)
景頼 嶋田氏
行景 進藤氏 秀郷流主要5氏 48氏に末裔広がる
知廣 尾藤氏
公清 佐藤氏
朝光 結城氏
宗政 中沼氏 長沼氏末裔
行義 下川辺氏
重光 滝口氏
助宗 斎藤氏 始祖
叙用 斎藤氏
実景 斎藤氏 勢多
親頼 斎藤氏 美濃
実盛 斎藤氏 長井
宗重 長谷川氏 秀郷主要五氏 111氏に末裔広がる
吉信 吉備氏
則明 後藤氏 元祖
公澄 尾藤氏 元祖
公郷 後藤氏 祖
基景 伊藤氏
以上24氏である。
主要5氏―24氏―361氏に成った事になる。
秀郷主要五氏の系譜
秀郷の主要五氏の一族を夫々について分類すると次の様になる。
進藤氏
藤原秀郷流進藤氏
藤原利仁流進藤氏(秀郷流の斎藤氏が中間血縁族)
未勘の諸流進藤氏
未勘の諸流進藤氏の末裔支流分流
清和源氏進藤氏(乙部氏が中間血縁族)
清和源氏進藤氏(武田氏が中間血縁族)
綾姓進藤氏(羽床氏が中間血縁族)
藤原姓進藤氏
清和源氏吉良氏族進藤氏(吉良氏が中間血縁族)
藤原秀郷流進藤氏(近衛氏が中間血縁族)
以上が未勘である。
長谷川氏
藤原秀郷流長谷川氏(尾藤氏系)
藤原秀郷流長谷川氏(下川辺氏系)
藤原秀郷流長谷川氏(長久系)
藤原秀郷流長谷川氏(重吉系)
藤原姓長谷川氏(利仁系進藤氏)
藤原利仁流長谷川氏
未勘の諸流長谷川氏
未勘の諸流長谷川氏の末裔支流分流
(藤原氏外)
本宗橘氏系長谷川氏
菅原姓長谷川氏
長沼氏
藤原秀郷流長沼氏(渕名氏が中間血縁族:一門)
藤原秀郷流長沼氏(小山氏が中間血縁族:一門)
藤原秀郷流長沼氏(土岐氏が中間血縁族)
藤原秀郷流長沼氏(藤原秀行流:一門)
藤原秀郷流長沼氏(宇都宮氏が中間血縁族:一門)
未勘の諸流長沼氏
未勘の諸流長沼氏の末裔支流分流
藤原秀郷流中沼氏(島津氏が中間血縁族:室町期)
藤原秀郷流永沼氏(織田氏が中間血縁族:室町期)
藤原秀郷流長沼氏(桓武平氏)
藤原秀郷流長沼氏(源姓)
永嶋氏
藤原秀郷流永嶋氏(佐野氏が中間血縁族:一門)
藤原秀郷流永嶋氏(結城氏が中間血縁族:一門)
肝付氏系永嶋氏(肝付氏系:九州永嶋氏:後漢の阿多倍一門)
阿多倍系永嶋氏(大蔵氏系:九州永嶋氏:後漢の阿多倍一門)
日下部氏系永嶋氏(大蔵氏系:九州永嶋氏:後漢の阿多倍一門)
未勘の諸流永嶋氏
未勘の諸流永嶋氏の末裔支流分流
村上源氏北畠氏永嶋氏
藤姓佐野氏永嶋氏
藤姓永嶋氏
青木氏
上記の赴任地24地方の末裔24氏の青木氏 116氏
直系1氏、直流4氏、支流4氏
直系
藤原秀郷流青木氏(千国:一門)
直流
藤原秀郷流青木氏(行久:一門)
藤原秀郷流青木氏(佐野氏が中間血縁族:一門)
藤原秀郷流青木氏(玄審:一門)
藤原秀郷流青木氏(安明:一門)
支流
藤原秀郷流青木氏(忠英:一門)
藤原秀郷流青木氏(正命:一門)
藤原秀郷流青木氏(正胤:一門)
藤原秀郷流青木氏(政之:一門)
未勘の諸流青木氏
第一期の室町後期、第2期の江戸初期、第3期の明治初期の第3青木氏が存在する。
この3期の系列は確定できない。
藤原秀郷流青木氏の未勘氏
美作国 吉野郡青木村、真庭郡に末裔青木氏
越後国 古志郡
佐渡国 加茂郡青木村
三河国 渥美郡、額田郡
因幡国 八東郡
豊前国 下毛郡
下総国 猿島郡
岩代国 安達郡青木村
磐城国 袋内
以上赴任地外に室町期から江戸期にかけて赴任地、転封により移動定住したと観られる末裔。
家紋等不詳である。
注意:千国、行久、佐野氏から血縁発祥した青木氏以外の玄審から政之までの青木氏は、系譜が取れる範囲のものとして表示し、これ等は行久、佐野氏からの系流の青木氏である。
以上に分類できる。
以上、3つの内容に付いて、分類し整理した。
この分類から、藤原秀郷一門のその当時の活動状況等が解り、他の史料と組み合わせたりすると更に多くの考察が出来るので大いに利用して頂きたい。