No.991
五瓜紋の古堅 勤さん
副管理人さん 2007/08/20 (月) 21:32
古堅 勤さんから家紋掲示板にご質問の投稿がありました。回答はこちらに移します。
古堅 勤さん この提供された写真では五瓜の家紋と見ます。
このサイトは青木氏に関する家紋研究です。ご覧に成った家紋掲示板は青木氏に関わるものばかりです。
他氏に付いては、専門外なので詳しく有りませんので、ご理解ください。
木瓜の家紋類の文様は80以上に成りますが、御家はこの五瓜のご紋であるとしますと、この研究室の「青木氏と血縁族(家紋)」木瓜紋のところを参照して下さい。この家紋の事を書いています。
参照して下さい。
御家のご先祖の詳しい情報は判りませんので、この程度の情報しか提供できません。
ただ、鎧兜以外の写真では、武将が持つもので、戦場に出て行く時に、馬上で酌み交わす[馬盃」(馬上盃)とか、守り形見とする「馬形」とか「水差し」も映っています。
また、紫檀の木で掘られた床柱か欄間に使用する様な彫刻等は大変な価値のあるものです。
宝石で形取られた「山水画」も大変なものです。大財力を示すものです。
これらをもしお持ちに成られているのであれば、名のある武将でしょう。
ただ、武将としての実際に使用された鎧兜には家紋入りの「軍配」がつき物ですが、見当たりません。更に武将であれば、「家紋入り刀掛け」や「家紋入り飾り刀剣」も共にあるはずです。
弓矢に相当する「飾り矢」も考えられます。
保存すると言う事から考えると鎧兜だけという事は考え難いことです。
ガラス入りの保存としていますから、明治以降の時代性もあり、保存も抜群で、戦場傷も見当たりません。
「飾り鎧兜」として何処かに保存されていたものでしょうか。400年も立つのに胴周りの漆も剥れていないようですので。鎧兜から見て比較的新しい時代のもののようですが。
もしもお調べに成っているのであれば、この点の疑問点も解消されるとよいと思います。
織田氏はいろいろな家紋を持つ氏ですが、この家紋は織田木瓜紋と見ますが、織田氏一族の中の武将でしょうか。
御家と織田家との関わりは有るのでしょうか。古堅氏との関わりが有るのでしょうか。
もし、関わりがあるとしたら支流分派一門となりますので、この家紋は使用できないはずですが。
織田氏の本筋で、最後まで生き延びられたのは織田信雄ですので、この直系一族の党首の者でしょうか。
織田氏は平家の末裔と言われています。故に源氏兜は使用しないはずです。また、兜の角の形でだれの鎧兜とかわかりますから、この点も検証されるとよいのではないかと思います。
読まれまして判らない所がありましたら、又、ここにお便りください。
家紋掲示板ではメモリーが有りませんし、管理上整理するためにこのレポートの返信でお願いします。知る範囲でお答えします。