No.458
Re: 北海道の青木です
副管理人さん 2007/04/29 (日) 22:56
>初めまして北海道在住の青木です。
>自分のルーツを知りたくて投稿しました。
>情報量が少ないので難しいかと思いますがよろしくお願いします。
>
>情報
>北海道に来る前は四国愛媛伊予三島に住んでたようです
>宗教は真言宗
>家紋は丸に横木瓜
>
>江戸の後期安政頃 伊予三島のそばの金砂村から坂上伊勢吉さんが養子に来た。
>
>以上です。
>
>麻田藩の飛び地領が伊予にあったそうですが何か関係があるのでしょうか?
北海道の青木さん 今日は。始めまして。
青木さんサイトによくお越しいただきました。
これからも同じ青木さん同士で宜しくお願いします。
さて、お尋ねですが、確かに情報が少ないですし、時代が新しすぎますので難しいですが、確定は出来ませんが、検証します。
一応この横木瓜紋は難しいのですが、藤原秀郷流青木氏の四国の青木氏の条件が備わっています。
(ただし、ご先祖の時代が新しいことが条件です。本来はこの木瓜の文様は原則として皇族賜姓青木氏(浄土宗)か皇族系青木氏(浄土宗)かですが、実は木瓜紋以外の横木瓜紋「血縁族の田中、大原氏」など3つの文様は時代と土地と宗派により発祥地「皇族青木氏2氏と藤原青木氏と藤原秀郷流青木氏(浄土宗、浄土真宗、真言宗)の混在地」のところで血縁とも成っているので難しいのです)
(研究室の青木氏と血縁族の所でも難しいと書いていますが)
そこで土地柄は四国と時代は新しいと仮定しての検証に成ります。
四国には藤原秀郷流青木氏が本家の藤原氏の朝廷からの赴任命令でこの四国に来ています。この時、一族の藤原秀郷流青木氏が護衛役として同行して土地に定着しています。
四国には阿波の国に剣片喰紋の藤原秀郷流青木氏と、讃岐の下がり藤紋副紋結び雁金紋の藤原秀郷流青木氏が定着し、この二つから四国(阿波、讃岐、伊予、土佐)と、隣の美作国と安芸の国に2つの家紋を持つ子孫(亀甲紋など)を広げています。
そして、この一族は宗派が浄土宗でしたが、当時平安末期には四国には浄土宗のお寺がありませんでしたので、真言宗か浄土真宗に入信しました。
そしてこの伊予には、讃岐の藤原氏一門の綜紋を保持する直流の下がり藤紋藤原秀郷流青木氏が存在しました。この一門を「讃岐籐氏」と云います。
御家はこの「讃岐籐氏」の藤原秀郷流青木氏の末裔で伊予地方に戦略的に移動した一族です。
詳しくは研究室の「藤原秀郷一族の生き方」等多くの藤原一族の関係するレポートを準備していますので、右メニューや検索などでお調べになって一度おゆっくりと読みください。
御家のことがよく判ると思います。
尚、研究室の「讃岐の青木さん」で検索していただきますと、御家の元の讃岐の親族の方の所の投稿に出会いますので検索してみてください。
この讃岐の青木さんは瀬戸内海を勢力範囲として廻船問屋などを営み絶大なる勢力を明治まで保持していました。
御家はこの讃岐の青木さんの一族で、伊予に渡って2氏との血縁で下がり藤紋から男系不継で家紋掟で変紋を余儀なくされた横木瓜一族です。
横木瓜の分家筋に当ります。
家紋掲示板の3Pに家紋を載せています。青木氏33文様の一つとして。
研究室の「青木氏と血縁族(家紋)」の木瓜紋のところのレポートもお読みください。
麻田藩の青木氏は時代が江戸に成りますので先ず異なります。御家は平安中期から鎌倉時代までで、その後は土地の郷士になったはずですから。
麻田藩青木氏は他説がありますが室町期から身を興して江戸で1万石の藩主に成りました第3青木氏です。この子孫として4000石の分家もありますが、この子孫だと名乗る明治以前にルーツをもたない第3青木氏が実に多いのです。
御家は33文様の一つの横木瓜の家紋を持つ青木氏ですのでルーツはもっと多くあれば確定します。
もし、他に色々と情報が出ましたらお便りください。お待ちしています。
先ずは研究室の検索で関係レポートをお読みください。ルーツが良くわかると思います。