青木氏のルーツ & 雑学研究室

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No.220
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はじめまして青木です
あおすけさん 2006/06/20 (火) 23:54
今は栃木ですが爺さんの代は宮城にいたそうです。家紋は松だったと思います。情報少ないですがぜひルーツを知りたいです
No.221
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Re: はじめまして青木です
青木研究員 さん 2006/06/21 (水) 10:14
>今は栃木ですが爺さんの代は宮城にいたそうです。家紋は松だったと思います。情報少ないですがぜひルーツを知りたいです
始めまして 栃木の青木さん。
ようこそ青木サイトにお越しいただきました。これからも宜しくお願いいたします。

さて、お尋ねの件ですが、情報としては栃木または宮城と家紋は松紋との事ですが、確かに情報が少ないのでお答えが難しいのですが、次ぎのことをお調べ頂くとよりルーツを検証することが出来ますのでお知らせください。

 先ず、松紋は全部で114もあります。この内青木氏に関わる家紋類は次ぎの二つです。

第1番目は丸に三階松紋です。
第2番目は抱き若松紋です。

この二つが青木氏に関わる紋と成ります。
そこでお家の家紋はこの内のどちらでしようか。

次ぎにお寺の宗派は何宗でしょうか。

次ぎにお爺さんの代とすると明治のころですのでルーツの確認は出来ませんので室町前後のころのご先祖の居たところですが判りませんか。このころの所在地は移動が出来ない社会でしたので古くから其処に居た事に成ります。
お寺の元々のご本家の菩提寺はどこでしょうか。

しかし、大まかに検証しますと、昔の国として武蔵国(埼玉)と下野の国(栃木群馬)には藤原秀郷流青木氏がこの一体を勢力圏ないに置いて子孫を拡大しました。
(研究室の藤原秀郷流青木氏関連のレポートがありますので詳細はここをお読みください。)

この栃木宮城群馬付近に昔からお住まいとしていたとするとこの藤原秀郷流青木氏の子孫となります。
(但し一部に武田氏系諏訪族青木氏の皇族賜姓青木氏の末裔が桃山時代にこの地に移動してきております。)

大きく分けますと青木氏は次ぎの二つに分けられます。

一つは、皇族賜姓青木氏5家5流24氏と藤原秀郷流青木氏主要9氏116氏に成ります。

お家はこの付近に長くお住まいと成りますと、家紋も三階松紋であるとするとこの藤原秀郷流青木氏であります。丸付き紋ですのでこの支流のおうちと成ります。松の形が三段階になっておりますし、松紋は大変似通っていますのでご注意ください。

更に、松紋は新しい家紋類に成りますので、江戸初期か室町末期に男系不継により松紋氏支流一族から養子による跡目をとり変紋を余儀なくされた藤原秀郷一門と成ります。

讃岐と栃木ではかなり離れているので難しいところです。
ただ、藤原秀郷流青木氏は護衛役として武蔵等から各地(24)に赴任して定住していますので可能性が遺されています。

松紋は江戸時代に多く使用された家紋類で讃岐地方に分布しているのです。
この二つの紋以外と成りますと明治初期の第3の青木氏と成ります。
詳細はお調べいただいたときにご説明いたします。(研究室にもレポートしています)

青木氏には平安初期より明治維新まで青木氏を名乗ってはならないと言う朝廷より詔がでていましたので他の氏と異なりその出生は限られています。

どんな事でも結構ですからお知らせください。お待ちしています。
No.222
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Re: はじめまして青木です
あおすけさん 2006/06/22 (木) 01:09
ありがとうございます。やっぱり情報が少なすぎますね・・・松紋は丸に三階松紋です。ほかのことも調べて見ますのでまたお願いします
No.223
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Re: はじめまして青木です
青木研究員 さん 2006/06/22 (木) 10:08
>ありがとうございます。やっぱり情報が少なすぎますね・・・松紋は丸に三階松紋です。ほかのことも調べて見ますのでまたお願いします
先ず大きな点は解決しました。
お家の家紋は丸に三階松紋との事ですが、これで青木氏のルーツの大まかなところは確実になりました。

先ず、三階松紋は主に讃岐から阿波国現代の香川と徳島県に成りますが、この地方に分布しています。

この一族は寒川氏や福家氏や飯田氏や新居浜の2新居氏らがこの家紋を使用しています。これらの氏名は地名にもなっています。
江戸時代には西尾氏永井氏などが家紋としました。

多分この一族のどこかとお家の青木氏とが血縁を結んだことを意味します。

この地方には武蔵の国と下野の国から朝廷の命により守護などを含む官職として藤原秀郷の一族が赴任しています。

当然、この本家の護衛役としての青木氏はこの赴任地に付き従います。
藤原氏の戦略として赴任地には必ず土地の豪族との間に血縁をもち勢力を拡大するために子孫を残す方策を採っています。藤原秀郷の一門は24地方に役職として赴任していますが全てにこの方策を採っています。

藤原秀郷の主要5氏は青木氏、永嶋氏、長沼氏、と長谷川氏、進藤氏です。
青木氏は藤原秀郷の第3子の千国が元祖になります。
この元祖は貴族ですが貴族は武力を持つ事が出来ませんので、第3子を武士にして自らを守る親衛隊としての役目を負荷させました。
これが青木氏です。各地に朝廷の命で赴任しますがこの護衛役を担ったのです。ですから子孫を多くのこして護衛軍を作り出さねばなりません。
其れが116氏にもなった所以です。
青木氏は直系1氏と直流4氏と支流4氏の九氏が主要氏です。これが116氏にもなりました。元は直系の「下がり藤紋」です
お家はこの116氏のひとつです。116家紋があることに成ります。

お家はこの九氏のどの系列から出ているかです。今の情報ではわかりません。
讃岐の三階松紋との血縁がある事は直流か支流のどちらかです。

関東に何時もどったかの情報があれば2つのどちらかに決める事が史実から判定できます。
三階松紋の新しい家紋と家柄と勢力から見て支流4氏から出ている可能性があります。

本家は武蔵や下野の本拠地を守る必要がありますので、分家を拡大させて各地に送りだしたのです。
本家は根拠地を総宗本家を入間郡に於いて横浜から栃木までを円を描く様に3重程度に取り囲んで守っていました。

この藤原秀郷は藤原氏のなかでも4家のうちの最も勢力のあった北家です。
この子孫は各地で勢力を拡大し、例えば平泉の藤原氏もこの子孫です。

この藤原秀郷は大化の改新の藤原鎌足の子孫で8代目に当ります。
この秀郷は「平の将門の乱」で軍功を上げて武蔵の国をてにいれました。

この秀郷の末裔の「宗政」という者が阿波国に、「文紀」という者が讃岐国に赴任しています。鎌倉期前に。
多分、宗政は他の家紋の持つ一族との血縁を結び子孫は阿波国を始めとして讃岐や安芸国に分布させています。家紋が異なっています。

ですから、この「文紀」に付き従っていった青木氏が土地の三階松の家紋を持つ一族との血縁を結んだと考えられます。
この時、本来であれば家紋は秀郷の子孫であるので青木氏であるのであれば「下がり藤紋」か他2つ程度の家紋に成ります。

ここで、他2つの家紋になるかどうかはご先祖の出生にかかわることに成ります。大まかに平家の血筋を持つのかどうかに関わります。第1点目

「下がり藤紋」として室町末期から江戸期にかけてお家は男系の相続が出来ない事が起こり定住地でこの三階松紋の一族から養子の跡目を入れて跡を次ぎ更に次ぎの代でも男系が途切れて最終家紋掟に従い養子先の家紋を引き継ぐ結果となったと見られます。

この家紋を持つ青木氏が更に分家してかこの三階松紋さえも男系で継ぐ事ができずに本家の了解を得て丸付き紋になったことも考えられます。
この丸付き紋は三階松紋の分家筋になる時も使用します。3回も家紋が変化することはまれですので男系不継と見られます。

では次ぎに何で今栃木なのかです。ご先祖が関東にあるのかです。
一つはこの元赴任地で定住していたが、何らかの理由から青木氏総本家すじから丸に三階松紋のお家の本家筋のみが関東に呼び戻された可能性があります。このような事は頻繁に軍事上行われていたのです。ですから、多分、この四国には三階松紋の青木氏が僅かに残っている筈です。
四国には三階松紋の青木氏以外に宗正に従った藤原秀郷の青木氏が分布しています。この点が決め手になるものと見られます。第2点目

ここで2つの問題を解決する情報が出て来るかです。
後は宗派と菩提寺と本家の所在地の確認です。第3点目
お家に古物か何か残っていませんか。そういうものが手がかりに成ります。
仏壇の内部の形なども大きく左右します。第4点目
丸に三階松紋には5の紋様がありますが、本家の右三階松紋ですか。第5点目

以上、今のところはこの程度の検証になります。また、お判りになりましたらお便りください。ちょつとした事でもけっこうですから判ることがあります。
研究室の藤原秀郷の所を一度お読みになる事をお勧めします。なにかヒントをつかめるかもしれません。
No.225
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Re: はじめまして青木です
あおすけさん 2006/06/26 (月) 01:04
こんばんは。
少しだけ情報が入りました。
お寺の宗派は日蓮宗とのことですがこのことでしょうか?菩薩寺まではまだわかりません
あと、本家は宮城の加美群です。今は市町村合併で名称は変わっているそうですが・・・いつごろかまではわかりませんが昔から宮城にいるみたいです。
爺さんが埼玉に越してきて、その後父さんが栃木に越してきたので
もともと関東人ではないみたいです
No.226
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Re: はじめまして青木です
青木研究員 さん 2006/06/26 (月) 11:42
>こんばんは。
>少しだけ情報が入りました。
>お寺の宗派は日蓮宗とのことですがこのことでしょうか?菩薩寺まではまだわかりません
>あと、本家は宮城の加美群です。今は市町村合併で名称は変わっているそうですが・・・いつごろかまではわかりませんが昔から宮城にいるみたいです。
>爺さんが埼玉に越してきて、その後父さんが栃木に越してきたので
>もともと関東人ではないみたいです
今日は。大変な情報を頂きました。大変にご苦労されたと思います。
早速ですが、お答えします。

先ず先に家紋のことですが、藤原秀郷流青木氏は本来は家紋は「下がり藤紋」です。
しかし、当時の氏家制度では家紋掟というものがあり、男系家督を前提としています。
したがって男子の跡目が生まれなくては家を維持することが出来ません。
女子の場合は養子を他の家柄のつりあうところからとりますが、この時は家紋は「下がり藤紋」を使うことは本系ではないことから出来ません。

よって、仮に養子元先の家紋を使います。生まれてくる子供が男子である場合は元の「下がり藤紋」に戻す事が出来ます。しかし、再び女子である場合は2代続いての女系になる事で家紋は養子の親の家紋を引き継ぐか、更に子供の養子元さきの家紋にするかを決めます。普通は養子の親の家紋に成ります。2代続いての変紋はしない仕来りです。

特別に、仮にこの家の本家筋が「下がり藤紋」に丸付き紋とする事に同意する場合は「丸に下がり藤紋」とする事もありますが、本来は丸付き紋は男子の分家筋が使う家紋です。(藤原氏は丸付き紋を一切使用しませんでした)
この様に、同じ氏でも家紋が異なってくるのです。元の家紋を維持することは大変な事なのです。男系が絶えなかったことになるのです。特に総宗本家は妻を4段階に分けて儲けて何とか男子を作ることにします。

お家の三階松紋に丸つき紋ですので上記の事が2度起こっている事に成ります。先ず「下がり藤紋」から「三階松紋」にそして、丸付き紋にと成ります。

藤原秀郷流青木氏は家柄が最も高いものであつたので多分三階松紋の丸付きの分家筋とは血縁はしないと見られますので三階松紋の本家筋との血縁から男系の不継により丸付きとしたのではないかと見られます。

そこで、この一族は讃岐地方の一族ですから「藤原文紀」に同行した護衛役の青木氏が土地の三階松紋の豪族の地族と血縁して男系が出来ずに三階松紋から丸付き紋にとなったとされます。

本来は藤原秀郷一族すべては『浄土宗』です。しかし、浄土宗は限られた家柄身分の一族しか檀家になれない宗派でした。したがって各地に赴任する時は浄土宗の寺がありませんのでやむなく浄土真宗かまたは鎌倉期前後には日蓮宗に宗派換えをしました。

よって、このことから、お家のご先祖は鎌倉直前(1160年ころ)の時に四国に赴任移動して土地の三階松紋との縁組をした事が裏付けられます。
そして、鎌倉幕府成立で藤原一門全ては職を失います。その時、これらの゛赴任地で定住していた青木氏は多くは故郷の本家筋のある土地に戻りました。

ではどこに戻ったかと言うことですが、ここで大変な確実な情報です。

それは宮城県の「加美郡加美町菜切り谷字青木原村」と言う場所がありますが、ここにお家のご先祖一族すべてが青木村を形成してここに住んでいました。

戦国時代を除き江戸時代まで「国抜け」と云って他国に出てゆくことは禁止されていましたのでここにご先祖がねむって居られます。

詳しいことは「地名/地形データーベース」のリンクを開き宮城県をクリックして下さい。其処に、お家のご先祖がここに住んでいた事を書いていますので参照して下さい。
(私の研究が正しかったことを証明し意味します。)

そのために青木村があるのです。この青木村は藤原秀郷流青木氏の「文紀」に同行した青木氏が住んでいたところです。

このことから、お家の青木氏は藤原秀郷流青木氏の九氏のうちの直流4氏のいずれかの青木氏です。天智天皇の「大化の改新」の藤原鎌足の8代目の藤原秀郷が元祖になりその第3子の千国が青木氏の祖と成ります。其れより更に青木氏は2度の秀郷本家からの跡目を受けて青木氏を継承しています。

詳しい事は「藤原秀郷一族の生き方」のレポートを参照して下さい。
かなり長文のレポートですのでゆっくりと時間をかけてご先祖のルーツを勉強してください。詳しく載せています。
他のレポートも読まれますと、青木氏を立体的に理解されると思われますし楽しくなるはずです。大変な家柄のお家であることが証明されました。
(ご子孫を大切にお守りください。)

そこから、元は宗派は浄土宗で、家紋は「下がり藤紋」で、一族の全てご先祖のお墓はこの加美郡加美村菜切り谷青木原にある筈です。
そして、この村には浄土宗のお寺があり、そこには菩提寺がある筈です。
その菩提寺は青木一族のみを祀るお寺であった筈です。
寺には「過去帳」という昔の戸籍簿がありますので調べられても良いかも知れません。場合に依ってはご先祖の全ての人の名が記録されている筈です。
ただ、戦国時代に殆どの浄土宗のお寺はターゲットとして焼き討ちにあっていますのでなくなっているかもしれません。

又、この付近に神社があればその神社は元はお家の守護神でした。
普通の氏はこの様に一族の寺とか神社はもてませんが藤原秀郷流青木氏は身分家柄から持てる力がありました。

(もう一つの皇族賜姓青木氏5家5流24氏も持っていました。この青木氏とは私の伊勢青木氏を除く母方が藤原系血筋でつながっています。
又、皇族賜姓青木氏のあとの皇族賜姓源氏とも母方の藤原氏でも繋がっています。)

しかし、この付近には青木氏が点在するはずで、全てご親類と成ります。
インターネットでもおおよその事は確認出来る筈ですし、役場などでも資料はあるかもしれません。一度お尋ねになられては如何でしょうか。
ルーツのところに立ちますと遺伝子が騒ぐのでしょうか何か変な気分に成ります。

ほぼ検証は間違いなく確定しました。後はご先祖の名をクリヤーにするだけです。歴史的なことは藤原レポートに載っています。
加美郡では直流4氏のどの氏であるかの確認の情報も得られるかも知れません。

早速ですが、お家の讃岐の青木氏の存在が確認されました。
讃岐の青木さんからお尋ねがありました。
ルーツはご親類と成ります。

では、又ご質問がありますればお尋ねください。
丸に三階松紋を左隅に掲示しますのでクリックして下さい。拡大します。

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