青木氏のルーツ & 雑学研究室

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◆-岡山の青木Re: 岡山の青木
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No.159
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岡山の青木
青木 忠孝さん 2005/12/27 (火) 23:00 [ メール ]
父より由緒ある先祖と聞かされており、自分なりに先祖を調べておりましたが
たまたま、本件のサイトを発見致しましたので投函いたします。私の知っている内容を記載しますので何かヒントでもあれば是非、ご教授頂きたくよろしくお願いを申し上げます。
   1.墓石  岡山県(津山線亀甲駅から山中へ)
        青木日向守光政 天野城主 寛永
   2.落武者 墓石の周りには沢山の墓石がある(殉死と聞く)
   3.家紋  五瓜剣片喰?(ケンカタバミカゲイノモンとも聞くが?)
以上
No.162
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Re: 岡山の青木
青木研究員 さん 2005/12/30 (金) 18:25
>父より由緒ある先祖と聞かされており、自分なりに先祖を調べておりましたが
>たまたま、本件のサイトを発見致しましたので投函いたします。私の知っている内容を記載しますので何かヒントでもあれば是非、ご教授頂きたくよろしくお願いを申し上げます。
>   1.墓石  岡山県(津山線亀甲駅から山中へ)
>        青木日向守光政 天野城主 寛永
>   2.落武者 墓石の周りには沢山の墓石がある(殉死と聞く)
>   3.家紋  五瓜剣片喰?(ケンカタバミカゲイノモンとも聞くが?)
> 以上
岡山の青木さん 始めまして。
大変に回答が遅くなってしまいました。実はパソコンが壊れてしまいまして返信する事が出来なくなっていました。実は今解決しましたのでお答えします。

いくつかの質問をさせていただきます。

先ずは、貴方のお家の情報としては提供されました上記の3つですが、他に宗派などがわかりましたらお伝えください。

次に、岡山県の亀甲駅と言う内容ですが、この付近に古くからお住まいがあるのでしょうか。郡とか村などがわかるとよいのですが。
(亀甲紋一族との関係)

三番目に家紋は「五瓜の剣片喰紋」でしょうか。又はこの家紋の白黒の反転紋の「蔭五瓜剣片喰紋」(カタカナ文)でしょうか。この二つの家紋ではお答えが異なってしまいますので済みませんが返信していただけませんか。

兎も角も、先にこの3つの情報(五瓜剣片喰紋として)で先に検証します。
もしこの家紋でしたら次ぎのレポートを先ずお読みください。

と云いますのも、お家のルーツと同じ一族の方から二つの問い合わせがあり、昔は同じ親族である事が判明していました。
ところが又この二つの親族の出会いが奇遇であると言う意外なのに、更に貴方のお家が現れました。
この3つのお家は元は1150年頃は親族でありました。

では、その2つの親族のことはこのサイトの貴方のお問い合わせの下のところにレポートさして頂きました。
私のみならずこのお二方も大変驚いて居られました。
先ず、この二つのレポートをお読みください。
八王子の青木さんと四国の青木さんへのお答えです。(研究室サイト参照)

このお二人のお家のルーツは藤原秀郷流兼光系青木氏です。
そして、貴方のお家のルーツもこのルーツと同じです。

家紋も同じです。
家紋は全国で約8000と言う家紋があるのですが、この内青木氏に関する家紋類は33紋様です。

更にこの内青木氏に関係する片喰紋は6つあります。つまり6流6家です。
この6流6家の青木氏は二つの氏に分類されます。

6流6家の青木氏紋
一番目は片喰紋 2番目は丸に片喰紋 3番目は剣片喰紋 4番目は5瓜に剣片喰紋 5番目は子持ち亀甲剣片喰紋 6番目は隅入り平角片喰紋

其れは「片喰紋」の宗本家筋系列の3家と「剣片喰紋」の支流族3家とに分けられます。

その剣片喰紋一族の中の更に「五瓜剣片喰紋」のまったく同紋の四国の青木さん一族がこのサイトで出会ったのですから8000分の1に成ります。
多分、このお二人の一族は極めて地理的にも近い所からかなり近親族であったことが覗えます。

そして、この「五瓜剣片喰紋」の本家筋に当る方が八王子の青木さんです。
「丸に剣片喰紋」の青木さんです。
この八王子の青木さん藤原秀郷流兼光系青木氏の直系1氏と直流4氏と支流4氏の九氏とその分流一族の本家筋がこの武蔵の国と下野の国を周囲を円を描く様に分担して上記の夫々の宗家と本家筋族が固めて国を他の勢力から守っていました。
この内の八王子付近を防衛していたのが、「剣片喰紋の宗本家一族」とその分家筋に当る「丸に剣片喰紋の本家」筋です。

此処で、藤原秀郷流青木氏は藤原秀郷の一門の中でもトップの座に居る家柄です。
その役目は、秀郷総宗本家が朝廷の命による24地方の守護として赴任するときに、代々恒に護衛軍としての役目として生まれた一族です。
藤原秀郷は「平の将門の乱」を鎮めた功績に対して朝廷より恩賞として武蔵国と下野の国を与えられました。
そして、貴族(公家)としての扱いを受けました。
ところが、公家になると武力を使うことが当時の掟で出来ませんので、自分の子供の代3番目の子供の千国と云う者にこの親衛隊としての役目を与えて公家一族から外し侍としました。

この藤原秀郷の子の千国これが藤原秀郷流青木氏の始まりの元祖です。
藤原秀郷はご存知のように大化の改新の藤原の鎌足から第8代目の人物です。
藤原氏は藤原鎌足の子供の藤原不比等からその子供が四家(北家、式家、京家、南家)を作りました。
しかし、最終的には北家が生残りこの北家の秀郷が関東に勢力を伸ばしたのです。奥州の覇者の藤原3代もこの地に守護として赴き勢力を伸ばしたこの一族の末裔です。

藤原秀郷のー族は上記しましたように主要5氏といいまして、次ぎの各氏に成ります。
藤原秀郷の4代目の文行系から長谷川氏と進藤氏の2氏
同じく4代目の兼光系から青木氏と永嶋氏と長沼氏(中沼氏)の3氏
これが主要5氏です。
他に姓の後ろに藤のつく姓の氏はこの藤原秀郷の一族の分家族です。左藤、佐藤、遠藤、近藤、工藤などです。

これ等の主要5氏は長谷川氏は111氏に、進藤氏は48氏に、青木氏は116氏に、永嶋氏は34氏に、長沼氏は52氏に子孫を広げています。
貴方のお家は上記の9氏からこの116氏に子孫を持ちました。
藤原秀郷一族の主要一族の中の最大勢力です。
この勢力で総宗本家の守護として赴任する土地に護衛軍として赴いたのです。

そして、四国の青木さんと同じく四国阿波国の守護として赴任した宗政とその子の時宗の親子に付き従った剣片喰一族の青木氏の子孫がこの四国瀬戸内海沿岸に勢力を張っていた土地の豪族との血縁で、跡目相続の関係から男系の切れた一族を立て直すために「五瓜紋」を持つ一族から跡目を受けて家系を保ちそれにより家紋を変更余儀なくされたものです。
その為に藤原秀郷流一族の青木氏の家紋9氏から「剣片喰紋」と変紋となり、更に四国を制していた豪族の五瓜族(日下部氏、伴氏、紀氏、関口氏、岸氏、堀氏、馬渕氏、田中氏、大原氏の何れか)との婚姻で青木氏を繋ぎ「五瓜剣片喰紋」となったものです。

時代は室町初期1250頃からで、その後江戸初期頃前に五瓜剣片喰紋となったと予想されます。(青木氏と血縁族の木瓜紋のレポート参照)

この四国に根を張った藤原秀郷流五瓜剣片喰一門が仕官先にて移動して広島と岡山の付近に勢力を伸ばしたことは史実として残っています。
そして、永正8年の岡山(船岡山)の合戦に功績を立て取り立てられ出世したたと美作国の史書に記されています。藤原一族の青木氏となっています。
多分、この一族の末裔と見られます。

安芸国、備後国、美作国等に青木氏が定着していますが、以上の事からこの内貴方のお家は美作国の青木氏ではと考えます。安芸の国の青木氏と備後の青木氏とは歴史の内容が異なっていると考えます。
最初の質問事項が判りますと私の持っている資料と一致しある程度の人物と村が判明します。

そもそもこの片喰一族の総本家の一門のルーツは中沢氏から出ております。そして、分家した後に剣片喰一門は酒井氏のルーツから出ています。
何れも大大名ですが、お家の一族はこの酒井氏との血縁で変紋して剣の片喰一門となつたものです。

その後は四国の五瓜の紋所の土地の豪族との血縁で更に変紋して「五瓜剣片喰紋」となったものです。この家紋片喰紋は他の紋所と比べて125の紋所を持つので家紋に他の一族の家紋を組み合わせての変紋の多い家紋です。
つまり、この一族は他の一族との婚姻を深くする事により一門の安全を保ったものと推測します。

では、このルーツ調べの下の二つのルーツ調べのレポートと青木氏と血縁族の片喰紋のところのレポートと家紋掲示板の上から二つ目の片喰紋のところのレポートと「藤原秀郷一族の生き方」とを「青木氏の発祥」のレポートをゆっくりとお読みください。

貴方のお家の全てのルーツの経緯などや家柄などがお判りいただけると思います。是非お勧めします。

これらを読まれまして、ご質問がありましたら、ご遠慮なくお尋ね下さい。

これからも、このサイトにお越しください。恒に青木氏に関する新しいレポートが記載されていますのでご覧下さい。
左すみをクリックすると拡大します。
No.163
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Re: 岡山の青木
青木 忠孝さん 2005/12/30 (金) 22:03 [ メール ]
早速、貴重な情報を誠に有難う御座います。貴重な情報にただ驚いているばかりです。もう少し自分の頭の中を整理しようと考えております。理解するのに少し時間がかかりそうです。本当に有難う御座いました。取り急ぎご質問の件は下記に記載申し上げます。

1.墓石の場所
 岡山県久米郡三咲町打穴(ウタノ)
この場所は青木が多い(父も既に逝去しておりますが上記に住んでいました)
2.宗派 真言宗
3.家紋 五瓜剣片喰(母も100%自信はないようですが正しいようです)
                                 以上
No.164
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Re: 岡山の青木
青木研究員 さん 2005/12/30 (金) 23:09
>早速、貴重な情報を誠に有難う御座います。貴重な情報にただ驚いているばかりです。もう少し自分の頭の中を整理しようと考えております。理解するのに少し時間がかかりそうです。本当に有難う御座いました。取り急ぎご質問の件は下記に記載申し上げます。
>
> 1.墓石の場所
> 岡山県久米郡三咲町打穴(ウタノ)
> この場所は青木が多い(父も既に逝去しておりますが上記に住んでいました)
> 2.宗派 真言宗
> 3.家紋 五瓜剣片喰(母も100%自信はないようですが正しいようです)
>                                 以上
早速のご返信有難うございます。
お答えの内容で全て解決いたしました。
岡山県の久米郡付近であれば間違い有りません。
久米郡と隣の真庭市付近を勢力範囲にしていた青木氏が存在としていました。
この史実は「東作志」と云う史書に記載されておりまして青木氏を研究している者には有名な史実です。
昔の郡の構成で吉野郡があり(現在の久米から真庭市付近か)この地に青木村があり、ご先祖がこの地に一族郎党を集めて青木村を形勢していましたが、其れまでは前記しましたように家系上「里正與三郎」と呼称していました。
しかし、出世と勢力拡大の糸口を掴んだことより元の村の姓に戻し「青木與三郎」としたとあります。
その後、「青木左膳秀章」より5代目の重一とその一族は前記した合戦で大功績を上げて天野に城を築いたとあります。この者は藤原秀郷の末裔で青木氏であると記されています。
この様に貴方の情報と史実と完全に合致します。

駅名にもあります様にこの付近に土着の豪族の亀甲紋族が存在していましたが、この一族との関係は確定できませんが、その後になんらかの血縁か合戦での強力関係が存在したのではと考えられます。
その理由として、青木氏の6つの片喰族の中には「子持ち亀甲剣片喰紋」が存在します。
この一族は土着の亀甲紋族とお家との血縁関係を持った分流青木氏であると考えられます。
お家の勢力と血縁関係にある亀甲一族の勢力が合戦にて大功を上げたことに成ります。
亀甲一族は六角氏と森氏です。六角氏は史実にも出て来る室町幕府の主要6大名です。
この一族のバックがあつたと考えられます。

従って、検証の結果のレポートいたしました一族がお家のルーツと成ります。

そして、このルーツは総宗本家の藤原秀郷と主要九氏の一族は鎌倉時代前はこの家柄のものは浄土宗と決まっていました。
又、この一族に関係する支流の多くは真言宗の宗派でした。
これには理由がありました。浄土宗は特別に限られた者が入る宗派でしたので地方に赴く際には菩提寺とする寺は多くありません。そこで、その元となる比叡山の真言宗に入信するのが決まりとなっていました。
比叡山は最大勢力で各宗派の元ですからどこでも菩提寺とする事ができたのです。藤原秀郷の支流一族は真言宗でした。

お家の言い伝えと検証とは完全一致します。
大変に名家ですのでご先祖のことを理解されるのも意味のある事でしよう。
その意味でも時間をかけて研究室のレポートをお読みください。

ご先祖の個人名に付いては個人情報に関わることですので上記以外に詳しくは記述いたしません。(菩提寺の過去帳を参考にされるとよいと思います。)

ご質問や理解できないところに付いてはご遠慮なくおたずねください。
No.165
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Re: 岡山の青木
青木 忠孝さん 2005/12/31 (土) 13:16 [ メール ]
貴重な情報誠にありがとうございました。父より由緒ある先祖と聞かされておりましたが殆ど無関心でありました。しかし、父を亡くしてから少し先祖の事が気にかかっておりましたので、定年退職後にルーツを探ろうと考えておりました。しかし、こんなに早く、また大変に名家である事を知る事が出来ました。心より厚くお礼を申し上げます。私自身は4人の子供をもうけましたが残念ながら全て女です。このままでは青木の姓が途絶えてしまいますが名家である事を肝に銘じしっかりとした人生を歩めるよう心掛けたいと考えます。本当に貴重な情報、貴重な時間を提供いただき心からお礼を申し上げます。

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