青木氏のルーツ & 雑学研究室
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◆-福島の青木香保里さん
└Re: 福島の青木香保里さん
└Re: 福島の青木香保里さん
No.1356
福島の青木香保里さん
副管理人さん 2008/11/25 (火) 19:53
福島の青木香保里さんから、次ぎのお尋ねがありましたので、お答えします。
お尋ねの件
実家が山形県東村山郡中山町です。何百年前かに「故あって」四日市から、殿様に?従って山形に移り、以来山形の地に住まうようになったとか。何かの戦さまたは権力争いに敗れ落ち延びたのか?と想像しています。山形では代々の殿様に御典医として仕えていたようです。数年前伊勢にいく途中で妙に懐かしい気持ちになったことを、山形の親戚に話したところ上記のようなことを初めて教えられ、以来何だか気になっています。山形の菩提寺は曹洞宗のお寺でした。家紋は丸に二つ引き。四日市、あるいはその周辺に現在お住まいの青木さん、あるいは似たような話をきかれたことのある青木さんがいらっしゃったら、教えていただけませんか?
福島の青木香保里さん 今日は。 始めまして。福管理人です。
改めて、研究室から、お答えいたします。
お答えに付いて、ご質問やご不明な点がありましたら、こちらからRE(返信)でお尋ねください。
お尋ねは次ぎの通りと思います。
実家のご先祖は山形県 何百年前から在住。
元は4日市。
殿様に従って、何らかの理由で山形に移動。
伊勢に行く途中で懐かしく成った。
家紋は丸に二つ引き両紋
宗派の菩提寺は山形の曹洞宗
情報は以上ですが、この6つの情報で繋がることがありますので、この範囲でお答えします。
このことに付いて、菩提寺にはお家の過去帳がありますが、最も古い人はなんと言う方で何時の時代の人でしょうか。
四日市には菩提寺かご親類がありますでしょうか。このご本家筋の菩提寺の宗派は何宗でしょうか。
もし、お判りになる事が出来ましたら、お便りください。
以下のことを確証する史料に成ります。
では、お答えします。
先ず最も重要な情報は家紋で「丸に二つ引き両紋」です。
この家紋は、皇族賜姓青木氏5家5流の青木氏と言う氏がありますが、この支流紋です。
研究室の右メニューには「皇族賜姓青木氏の背景」や「皇族賜姓」関係の資料をお読みください。
詳しくレポートされています。
青木氏氏ブログでも読む事が出来ます。
地名地形データーにも関連史料があります。
概容をここではお答えします。先ず、青木氏は2つのルーツに分類されます。
皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏です。
お家は、皇族賜姓青木氏で、伊勢賜姓青木氏、近江賜姓青木氏、美濃賜姓青木氏、信濃賜姓青木氏、甲斐賜姓青木氏の5家5流です。各5国の国府に定住しています。
この5家5流は、夫々天智天皇、天武天皇、文武天皇、聖武天皇、光仁天皇の5人の第6位皇子で、夫々の王です。この制度は大化改新の天智天皇の第6番目の皇子を天皇の護衛隊として臣下させ天皇より青木氏を与えられた氏です。この制度で発祥した他の氏には、嵯峨天皇から始まった賜姓源氏で青木氏より変名して11代続きました。清和源氏の義経、頼朝はこの氏で賜姓青木氏とは同族です。
合わせて16代と成ります。
この内、近江では土地の豪族賜姓佐々木氏系青木氏を、美濃では土地の豪族土岐氏と血縁した美濃土岐氏系青木氏を、信濃では土地の豪族足利氏と血縁した足利氏系青木氏を、甲斐では土地の豪族武田氏系青木氏が発祥しました。他に諏訪族青木氏があります。
お家は信濃青木一門の足利氏系青木氏です。
信濃の皇族賜姓青木氏の者が男系跡目の継承がとれず、土地の豪族足利氏から養子を迎えますが、再び男系の嫡子に恵まれませんでした。そこで止む無く家紋掟により女系と成った為に養子先の家紋に変更します。そして、信濃皇族賜姓青木氏から、養子先の系列になりました。それが信濃の足利氏系青木氏です。族としては賜姓青木氏です。この足利氏は家紋が「二つ引き両紋」が主紋です。
お家は丸付き紋ですので、この足利氏系青木氏の分家筋に当ります。
信濃の国府にはお家の本家の本家の「総宗本家」の賜姓青木氏が定住しています。
綜紋の家紋は笹竜胆紋です。信濃国府付近(県庁所在地)にこの笹竜胆紋の青木氏がいますが、ここがお家の宗家です。
初代は天智天皇の第6位皇子の「施基皇子」の「伊勢王」の末裔の皇族賜姓青木氏です。(645年)
伊勢松阪がその本拠地です。伊勢は守護地でした。後に3分轄されます。
そこから伊勢と奈良の国境の名張から員部や桑名付近までこの一族が分布しています。
ここに5家5流一門の青木氏の総菩提寺があります。
室町初期までは賜姓青木氏5家5流を祀る独自の寺でした。後に、青木氏が守る天皇家の天領地でありましたが、徳川時代に、紀州徳川氏の独自の菩提寺に成りました。3度の火事で明治期より一般の寺と成りました
青木氏は嵯峨天皇期に詔を出して「青木氏」を他氏が使用するのを禁じました。3期を除いて原則明治3年まで守られました。
そこで、この伊勢青木氏と信濃青木氏一門とは明治氏初期まで深い付き合いをしていました。
伊勢と信濃西との中ほどに「伊勢町」と言う地名があるくらいです。
お家が、旅の途中で、何かしら懐かしく思ったのはこの青木氏総菩提寺の先祖の魂が貴方の魂をひきつけ貴方に働いたものと思います。この事からと思います。
4日市はその名張と伊勢松阪と信濃のライン上にあります。伊勢町は信濃よりのところにあります。
4日市にはこの伊勢の賜姓青木氏がぎりぎりのところで、信濃賜姓青木氏とのぎりぎり合流点に定住しています。
さて、この皇族賜姓族の足利氏系青木氏の足利氏の「二つ引き両紋」は北条氏の幕府を倒して室町幕府を1338年に開きます。そして、全国を統治する為に、関東には関東官領(1368)を、北北陸地方に奥州探題を配置しますが、この「奥州探題(陸奥)」は後に「羽州探題」とに分かれます。
「羽州探題」は出羽国ですが、秋田、山形です。
お家は、この時、足利家の分家筋の者がこの羽州探題として山形に赴きました。この時、親族の足利氏系青木氏の分家が付き従いました。
(青木氏は元々は護衛を専門としての役目を持っていました。)
この時に、1360年頃に移動しました。
お家のご先祖はこの時に移動したものと考えます。
足利氏の元は奥州の陸奥の国の土豪でした。ここは藤原秀郷一門の赴任地で、藤原秀郷一門が務める「鎮守府将軍」でした。鎮守府将軍を務めていた時に土豪の足利氏と血縁をしました。その後この藤原氏一門が信濃に赴任しましたが、この時に、この血縁した足利氏(花山氏、小山氏、小田氏)の一部が護衛として同行しました。そして、信濃の土地に定住して足利地方に勢力を持ったのが土地の地名を採った足利氏です。
陸奥付近には藤原秀郷流青木氏も護衛として定住しています。
この付近には青木氏が多いですが、藤原秀郷流青木氏が多い事に成ります。
ですから、お家は足利氏と賜姓青木氏と藤原秀郷の血筋を持つ青木氏ですが、元の先祖の故郷の地域の土地に出向いたと言う事に成ります。
その後、藤原秀郷一門の主家と陸奥から移って来た足利氏との間で跡目相続の事件が起こります。
陸奥から来た足利氏の本家と、その分家に秀郷一門の者を跡目として入れて本家争いが興ります。
分家の足利氏が勝ち、元の本家の足利氏は米子に逃亡します。
この分家氏が本家となり、その後室町幕府を開き遂にはこの足利氏が信長に1573年に潰されますが、この時一族全ては西の山口と四国に逃げましたので、逃亡しての山形ではないと考えます。
この時は、関東の武蔵より北にむけて山形には信長の勢力は及んでいせん。山形に逃亡した青木氏の史実も有りません。ですから、北陸道一帯7国とこの出羽には藤原秀郷流青木氏が多く定住しています。
そこで、次ぎに宗派ですが、本来はこの皇族賜姓青木氏の宗派は浄土宗です。ところが、この宗派は江戸初期まで、限定された地方にしかありませんでした。
その限定した所とは、皇族賜姓青木氏が存在する土地と藤原秀郷一門が定住する関西と西関東域です。
と言うのも、浄土宗派は青木氏や藤原氏の高位の氏が入る事が出来る宗派でしたので、出羽地方には有りませんでした。
そこで、移動定住した一族は止む無く他の宗派に入信したのです。
本来、この高位の青木氏と藤原氏は自らの氏神と菩提寺を持つ事が許されて、青木氏と藤原氏が神職や住職に成って赴任地で祀りごとをしていました。
浄土宗が広まったのは徳川家康が浄土宗奨励の令を出した事によります。
しかし、江戸時代でも奥州や出羽までは無理でした。
そこで、実家の現在の菩提寺の一番ご先祖を調べる事で判別確定が出来ます。
元の元は信濃の国府か、それより北よりの越前との国境付近ところに本家の浄土宗の菩提寺がある筈です。
お家は出羽に定住した経緯はこの様に成ります。
その結果の情報は以上の様に合致します。確定は情報が少ないので困難ですが検証は可能です。
伊勢松阪市本拠として青木氏の元は、現在の玉城市や四日市市や名張市はお家の総菩提寺のあるところでルーツが祭られていたところと成ります。
青木氏の総宗本家の宗家伊勢青木氏は大化より守護としてこの一帯に3つの城を持っていました。
これ等の詳しい事は研究室のレポートに沢山ありますので、ゆっくりと楽しんでお読みください。
家紋のことは家紋掲示板、レポートは研究室の「青木氏と血縁族(家紋)」などにもありますし、現在シリーズで連載しています。
「藤原秀郷の主要5氏の家紋の研究」にも具体的に賜姓族の史料もあります。
皇族賜姓足利氏系青木氏や信濃賜姓青木氏の方からのお便りも沢山あります。
研究室の検索からお調べになってください。
兎も角も、右メニューのレポートの皇族賜姓一門関係のレポートから先にお読みください。
お家の一族のことを詳しくレポートしています。
お読みになってご質問やご不明点が有りましたらご遠慮なくお便りください。お答えします。
実は筆者は伊勢青木氏で御家とは同族賜姓族です。
No.1360
Re: 福島の青木香保里さん
福島の青木ですさん 2008/12/02 (火) 09:59 [
メール ]
福管理人さま。
早速のご返事有難うございました。四日市の親類との行き来が途絶えているようですが、本家筋の菩提寺の宗派は曹洞宗ではない可能性があります。明治以前に中山町の曹洞宗の寺に医家の跡取りである人物が医家の道をとらず僧侶となり、曹洞宗の寺院に住職としてはいり、以来その寺が菩提寺となったようですので。他の宗派だった可能性が考えられると思います。なるべく早く、山形の菩提寺の過去帳を見せていただき、最も古いご先祖の名前なども調べてみたいと思います。このサイトで、青木氏に関する詳細な資料が拝見できるのに感激いたしました。まずは教えていただいた史料から熟読させていただきます。
No.1361
Re: 福島の青木香保里さん
副管理人さん 2008/12/02 (火) 13:42
>福管理人さま。
>早速のご返事有難うございました。四日市の親類との行き来が途絶えているようですが、本家筋の菩提寺の宗派は曹洞宗ではない可能性があります。明治以前に中山町の曹洞宗の寺に医家の跡取りである人物が医家の道をとらず僧侶となり、曹洞宗の寺院に住職としてはいり、以来その寺が菩提寺となったようですので。他の宗派だった可能性が考えられると思います。なるべく早く、山形の菩提寺の過去帳を見せていただき、最も古いご先祖の名前なども調べてみたいと思います。このサイトで、青木氏に関する詳細な資料が拝見できるのに感激いたしました。まずは教えていただいた史料から熟読させていただきます。
ご返事ありがとう御座います。
家紋掲示板に笹竜胆紋と青木氏のステイタスの大日像の生仏像様が掲載されていますのでご覧下さい。
伊勢青木氏の宗家青木氏のステイタスとして天智天皇から与えられた日本最初の仏師の鞍造部止利作の仏像です。(現在、筆者の伊勢青木氏があるところに保管され祀られていますが、安全の為場所は不記にします。また、総菩提寺の場所と寺名も安全の為不記にします。)
では、お便りをお待ちしています。
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