No.64
.ルーツの姓の発祥
青木研究員 さん 2005/07/04 (月) 22:32
自分のルーツを調べるのに大変役にたつことはその姓が、又は氏がどの様に付けられたのかを知ることではないかと思います。
一説では姓は土地の地名で付けられたものが殆どと言う文献もあるようなので、ここでこの説を否定する為にも、次にそれらを網羅します。
日本の氏は次の3つにわけられます。
1 皇別の氏
皇族の令の規則で皇族を維持する上で、皇族を直接守護する親衛隊を作るために、又財政的な負担が大きくなるため、ある一定の規則を設けて軽減のために皇子と皇女を臣籍する。
このことによって生まれた一族。賜姓青木氏、賜姓源氏、など
2 神別の氏
天皇家を取り巻く各地の土着の豪族が自らの一族をまとめて集団で生活していた。そしてこのなかから強い者が出て他の一族を吸収して血縁によって一族を大きくした。これらを一つにまとめて氏を作り上げた。その様なものが全土に出来た。
3 諸蕃の氏
日本には約250万人くらいの外国から入った人たちがいる。
この人たちは集団をつくり各地に分散した。
特に最大集団で入国した一族は後漢滅亡の折に、光武帝の末帝の石秋王の子の阿智使王と阿多倍王の17県民(200万)が450年ころから650年ころまでに入国帰化した集団である。渡来系人が各地で定着して氏を構成した。(中国、朝鮮)
朝鮮からは百済、新羅等の動乱時にも入国した。
これら3氏は保護神を造り氏統制の役を果たした。
これらから多くの分流の氏が出た。
そして、これらの氏は各地に分散して行くが、この時に必要とするこれらを区別するために姓を設けた。
この姓が次ぎの7つの姓に変化していつた。
@ 血縁的な同族が形成する氏より採った姓
A 諸蕃の氏の阿多倍王が引き連れてきた技能集団の仕事別に呼ん だ職名を姓としたもの (部制度) 服部、織部、綾部
B 名田の制度から起こった名字
天皇から一般良民まで土地が与えられたがこの土地を登録する 際に名を書いたことから、その土地(字あざ)の名から「なあ ざ」が変化して、呼び分けるために「なあざ」を「名字」とし た。
C 皇族が臣下する際に賜姓や地名の賜姓を受けて出来た姓
家来が賜姓を受けて出来た姓
D Cが分家、分流、支流、分派していく過程で名字の一部をつけ た姓
E 自分の知行する土地の名称とBCDの名字に組み合わせたもの の姓(66あった)
F 武士の嫡子以外の者が地方に分散して行くときに、B等の名字 を採って、惣領家と区別するために付けた姓
以上3つの氏から、更に、7つの姓が区別する目的で付けられた。
この3つと7つとの関係を調べることでルーツが見えてくるのです。
それで、自分のルーツがどの程度の身分や家柄であったかという事も判るのです。これで姓は地名からだけではない事がわかります。
江戸時代に作られた文献にはおおくの間違いがあるのです。また、偏纂や脚色がみられるので、これを利用した人が信じて文献にするので変な説がでてしまいます。自分の姓が7つのどれに属しますか。青木氏の場合は1とC、2とD、1とDですね