返信


題名
お名前
メール
ウェブサイト
パスワード
コメント
添付

 <-掲示板に戻る


No.347

青森の青木です。
岩手の暇な青木さん 2006/12/19 (火) 10:48 [ メール ]
はじめまして。よろしくお願いいたします。
この一年、身の回りでいろいろありまして、ふと自分のルーツに興味を持ちました。

・青森は県南(※)
・家紋は下がり藤。
・墓はお寺には無く、伊勢神宮にルーツのある神社が管理する墓園である。

このくらいしか手がかりがありません。しきたりだとかの類は一切無く、肩肘張る
ことなく自由きままでいられるので、そういう意味でもご先祖様には感謝していま
す。

祖母が昔、「北陸のほうから移ってきたという話を聞いたことがある」と話してく
れましたがそれ以上詳しいことは判りません。直近の何代かは所謂お百姓さんです。
その土地に青木姓は少なく(5軒無かったと記憶しています)、いつの時代かは判
明しませんが開墾地だったと聞きました。
No.348

Re: 青森の青木です。
青木研究員 さん 2006/12/19 (火) 20:07
>はじめまして。よろしくお願いいたします。
>この一年、身の回りでいろいろありまして、ふと自分のルーツに興味を持ちました。
>
>・青森は県南(※)
>・家紋は下がり藤。
>・墓はお寺には無く、伊勢神宮にルーツのある神社が管理する墓園である。
>
>このくらいしか手がかりがありません。しきたりだとかの類は一切無く、肩肘張る
>ことなく自由きままでいられるので、そういう意味でもご先祖様には感謝していま
>す。
>
>祖母が昔、「北陸のほうから移ってきたという話を聞いたことがある」と話してく
>れましたがそれ以上詳しいことは判りません。直近の何代かは所謂お百姓さんです。
>その土地に青木姓は少なく(5軒無かったと記憶しています)、いつの時代かは判
>明しませんが開墾地だったと聞きました。
>
>
青森の青木さん 今日は。始めまして。

答えはすぐでます。
御家は藤原秀郷流青木氏です。
この藤原秀郷流青木氏に付いては詳しく研究室の「藤原秀郷一族の生き方」を参照して下さい。

「下がり藤紋」に付いては家紋掲示板の4Pの最初にレポートしています。

又、研究室の「青木氏と血縁族(家紋)」の藤紋のところでも詳しくレポートしています。

藤原秀郷は大化改新の藤原鎌足より8代目の人物で平の将門の乱で勲功を立て武蔵国と下野の国を領国となりました。そして貴族となり貴族は武力を自ら使えませんので第3番目の子供の千国と云う者を侍にし護衛隊の役目を与えました。
この千国が侍になつたので青木氏を与えました。この千国が元祖です。

そして、代々鎮守府将軍として陸奥(青森)に赴任してい居ました。この時の護衛軍が青木氏です。
鎌倉時代から江戸まで征夷大将軍と呼ぶようになりました。

藤原秀郷の主要5氏は青木氏と永嶋氏と長沼氏 進藤氏と長谷川氏です。
そしてこの藤原秀郷の総宗本家は24氏に広がっています
この総宗本家は全国66国のうち24国に国司として朝廷の命で赴任しています。この時全て青木氏が護衛しています。
この青木氏がその赴任地に子孫を残し土地の豪族と血縁を結び勢力を広げています。
だから、24地方には藤原秀郷流青木氏が存在します。
本国は武蔵国で入間郡を本拠地として116氏青木氏の本家筋が横浜神奈川を半径として円縁を描く様に取り囲み内側からより本家筋が取り囲んで居ます。
そして、栃木群馬まで拡大しました。

藤原氏は4家といい、南家、北家、式家、京家がありましたが同族の勢力争いを越しこの内勝ちのこったのは北家でこの藤原秀郷一門です。

この下がり藤紋は”下がる”を嫌い上り藤紋とする藤原氏が出ました。下がる藤紋はこの秀郷一門だけが使用しました。

青木氏は皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏の2流です。

(他に江戸初期と明治初期に第3の青木氏がありこの高位の青木氏にあやかって系譜を搾取と偏纂して名乗りました。)

念の為にこの皇族賜姓青木氏とは天智天皇より5代の天皇の第6位皇子が侍となり臣下して天皇の親衛隊として働きました。

この時にそれぞれ天皇自ら皇子に青木氏の氏を与えました。この青木氏は伊勢王、近江王、美濃王、信濃王、甲斐王としての国の守護となり5家5流24氏に子孫を増やしました。
この後、2代後の嵯峨天皇から青木から第6位皇子を賜姓源氏に変名し、そのかわりこの時青木氏は皇族出の者(全17人)が名乗る氏とし青木氏の使用を禁じました。

この禁令を藤原秀郷は朝廷の許可を得て青木氏を使うことを許されました。その理由はどちらの青木氏も藤原氏の血筋を引いているからです。

御家は現在も下がり藤紋を引き継いでいるとしたら陸奥に護衛役として同行して定着してから男系跡目が1100年程度できている事を意味します。

この藤原秀郷一門は4代目から兼光系と文行系に別れます。青木氏は3代目までは千国の直系で4代目からはこの兼光系から出ています。後に2代に渡り本家から跡目を入れて守っています。
この一門の綜紋は下がり藤紋です。

この下がり藤紋の青木氏は116氏に広がっています。当然に下がり藤紋から変紋して116もの家紋が出来ました。

これ等の全ての青木氏は鎌倉幕府樹立にて失職します。この時仕官した者や豪商や豪農等になりました。御家は農家を選んだとみられ江戸時代には本家は名主や庄屋などに成っていたはずです。
次第に土地と財産を分けて分家して普通の農家になっていったと観られます。

寺は室町期(乱世)くらいからその内に変化したものでしょう。本来は藤原秀郷流青木氏は自分の菩提寺を持っていました。このサイトの投稿している多くの青木氏は菩提寺を持っています。これも分家分派して変わったものと思います。

青木氏の地名地形データの所の陸奥(青森)の国を調べて下さい。

このサイトには沢山の藤原秀郷流青木氏の末裔の方が投稿していますのでそちらもお読みください
元は縁者の同族です。

ではまたレポートをゆっくりとお読みください。ルーツは詳しく成るはずです。何か有りましたらお便りください。

<-ホーム | 研究室トップ | 管理 | かんりにんにメール
青木氏氏を お知り合いの青木さんに 紹介してください。