No.14
青木城
横浜の青木さん 2005/06/19 (日) 06:16
家紋は「州浜」です。横浜の神奈川区に青木橋という橋があり、昔そこには青木城がありました。時代は鎌倉か室町か解りませんが、そこを中心に一つの流れがあります。例えば横浜市瀬谷区に「宝蔵寺」というお寺があります。今は衰退してますが、青木家のお寺です(今の住職は全く解らないかも知れません)。当然住職も青木の姓です。また、先祖代々の墓石の一部には「源」の字が含まれているものがあります。つまり源氏の一族でもあった様です。それをさらにさらに遡ると・・・マル秘・・・と言われました。
No.15
Re: 青木城
青木研究員 さん 2005/06/19 (日) 06:17
源頼信の子孫で当初は頼光の守護地の甲斐の国の青木氏で戦略上この地を分家の頼信にませました。
そして、この子孫の義光系の時信の子の源光がこの青木氏の跡目をついでいます。甲斐は皇族賜姓族の青木氏の守護地でした。のちに清和源氏とこの5家青木氏との平家にたいする戦略上の理由から跡目などの婚姻関係を結びました。この一族が頼朝の鎌倉幕府の直前にこの付近を根拠地に坂東八平氏の土地を侵略し頼信の勢力範囲をひろげました。
よって初期の甲斐の青木氏が存在するのです。甲斐を代一の踏み台として、横浜や鎌倉付近の地を第ニの根拠地としたのです。
ちなみに、坂東八平氏は第7世以降の皇族民で同じ清盛等の京平氏とはちがっています。この平氏を打ち破りまた後にはこの坂東平氏の後ろ楯で頼朝は幕府を作ったのです。
No.40
Re: 青木城
青木研究員 さん 2005/06/19 (日) 19:57
>源頼信の子孫で当初は頼光の守護地の甲斐の国の青木氏で戦略上この地を分家の頼信にませました。
>
>そして、この子孫の義光系の時信の子の源光がこの青木氏の跡目をついでいます。甲斐は皇族賜姓族の青木氏の守護地でした。のちに清和源氏とこの5家青木氏との平家にたいする戦略上の理由から跡目などの婚姻関係を結びました。この一族が頼朝の鎌倉幕府の直前にこの付近を根拠地に坂東八平氏の土地を侵略し頼信の勢力範囲をひろげました。
>
>よって初期の甲斐の青木氏が存在するのです。甲斐を第1の踏み台として、横浜や鎌倉付近の地を第ニの根拠地としたのです。この付近から勢力をのばしました。
>ちなみに、坂東八平氏は第7世以降の皇族民で同じ清盛等の京平氏とはちがっています。この平氏を打ち破りまた後にはこの坂東平氏の後ろ楯で頼朝は幕府を作ったのです。
移動してきた青木氏と州浜の家紋は藤原秀郷流の青木氏ですし。神奈川は藤原秀郷流青木氏の発祥地であるので、この地に両方の青木氏が存在したことになります。貴方の家紋が゜「州浜」であるとしますとルーツのお住まいが神奈川でありますと、藤原秀郷流青木氏です。この付近は上記しました様に清和源氏の頼信系の源氏と皇族賜姓族の青木氏と現地の藤原秀郷流の青木氏の3氏が歴史的に存在します。場合によっては坂東八平氏の「揚羽蝶」の家紋の平氏も出て来る事になると思います。
念のため、源の頼信の子孫が皇族賜姓族の青木氏の跡目に入って同化しています。そしてこの地に移動をしています。