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No.308

家紋について
アキラムス さん 2006/10/14 (土) 23:20
かんりにんの代理投稿

初めまして、初めて投稿させて頂きます。
私達の青木の墓地は埼玉県さいたま市中野林にあります。
その墓地には古い墓石があります。その中に寛延、元禄、享保、天明、寛政、延享、文化の年号が彫られている墓石が多々あります。また施主の名に青木理兵衛、青木源兵衛の名も記載されています。
このサイトを拝見して私共の青木は藤原秀郷の流れだと察する事が出来ますが
私は家紋で解らない事がありますのでお答えして頂けませんか?
それは私の本家筋は丸に片喰なのですが、隣の墓地の家紋は丸に唐木瓜なのです。どのような関係があるのかご存知でしたらご教授宜しくお願いします.
No.310

Re: 家紋について
青木研究員 さん 2006/10/15 (日) 11:19 [ メール ]
>かんりにんの代理投稿
>
>初めまして、初めて投稿させて頂きます。
>私達の青木の墓地は埼玉県さいたま市中野林にあります。
>その墓地には古い墓石があります。その中に寛延、元禄、享保、天明、寛政、延享、文化の年号が彫られている墓石が多々あります。また施主の名に青木理兵衛、青木源兵衛の名も記載されています。
>このサイトを拝見して私共の青木は藤原秀郷の流れだと察する事が出来ますが
>私は家紋で解らない事がありますのでお答えして頂けませんか?
>それは私の本家筋は丸に片喰なのですが、隣の墓地の家紋は丸に唐木瓜なのです。どのような関係があるのかご存知でしたらご教授宜しくお願いします.
始めまして。 埼玉の青木さん 今日は。

埼玉は草加に長く居りましたので懐かしく思います。

さて、早速ですが、お尋ねの件ですが、上記した年号は新しいものですのでこの時代はルーツ歴史上確定が困難な時代なのです。
農民を含む一般の力のある者が戦国時代から出世して家を起こし系譜や家紋や氏を作り上げた時期で社会も又この系譜や家紋や氏名を出世することに重きを置いていました。

よつてこの時代から古くルーツをさかのぼる事は出来ず、又出来たとしても信頼性が著しく低下します。
ご承知と思いますが徳川氏や豊臣氏などもよい例でこの家柄や系譜を搾取し偏纂しています。

そこで鎌倉期まで遡りますと確定が出来ますのでその範囲でお答えします。

先ずお家の「丸に片喰紋」は間違いなく藤原秀郷流青木氏であります。
藤原秀郷一族に関する詳細は「藤原秀郷一族とその生き方」で詳しくレポートしていますので一読ください。

お家のルーツは四国阿波国にて土地の片喰紋の豪族との血縁にて発祥した青木氏で「下がり藤紋」の綜紋から男系跡目が2代続きで叶わず養子先の家紋となる事を家紋掟から余儀なくなつたものです。
この片喰紋の青木氏は総宗本家の藤原秀郷の末裔の宗政と時宗の親子の赴任先に護衛役として同行したものであります。

元は「下がり藤紋」が藤原秀郷一門の綜紋です。

この片喰紋の事に付いては家紋掲示板の「片喰紋」のところと研究室の「片喰紋」のところのレポートを参照して下さい。詳細にレポートをしています。

研究室の所に5人程度のこの片喰紋の持つ青木さんが投稿していますので参照して下さい。ご先祖は親族です。

この四国には護衛役として藤原秀郷の宗家の守護国司などの官職の役務として同行しましたが、この変紋を余儀なくなった藤原秀郷流青木氏が源氏の鎌倉幕府樹立期に藤原秀郷一門全てはその職を失います。
この時、この阿波国から一族の一部は領国の武蔵や下野国に戻りました。

阿波にも定住した青木氏も居ります。阿波にはお家のルーツのご先祖の住まわれた青木村が存在します。

藤原秀郷一門は日本全国66国のうちその勢力を示すとおり24国に何らかの官職で赴いています。
この24の土地に全て子孫を遺してきているのです。

もとより藤原秀郷流青木氏は藤原秀郷一門の千国を元祖とする主要5氏の一つですが藤原秀郷一門を護衛することを役務として生まれた氏です。
そして、この青木氏はの主要9氏があり、直系1氏、直流4氏、支流4氏から成り立っています。

そして、この9氏から116氏もの家紋の異なる青木氏が生まれているのです。
男系跡目が叶わず下がり藤紋から116もの家紋類が生まれています。
此れ全て親族です。

そして、この青木氏は武蔵の入間郡を中心に神奈川横浜を半径として円を描く様に取り囲み領国を守っています。
中心になるほど直系の青木氏が守る仕組みに成っていました。

当然に116氏もの家紋の異なってしまった青木氏がこの円ないに存在します。
この円内に存在する青木氏の多くはその家紋の一族の本家筋と成ります。

この中に、美濃から移動してきた土岐氏系の横木瓜紋即ち唐木瓜紋の青木氏も存在します。
木瓜紋の家紋掲示板の九つある木瓜紋のところ参照してください。研究室の所の木瓜紋も一読ください。

この木瓜紋の一族は土岐氏系青木氏であります。
この木瓜紋の青木氏は美濃国にて皇族賜姓青木氏と土地の豪族の土岐氏との血縁にて発祥した一族です。

土地の清和源氏と血縁をした支流源氏の土岐氏から養子縁組にて跡目をとった皇族賜姓青木氏の血筋を持つ一族で男系跡目が2代続きで叶わず家紋を養子先の土岐氏のものとした青木氏です。

この土岐氏が滅亡した時この一族の九つの青木氏は東の藤原秀郷流青木氏を頼ってこの土地に移動してきたものです。
この中に唐木瓜紋の青木氏がいたのです。

このような行動をとった青木氏としては武田氏が滅んだ時に他の氏として武田氏系青木氏が越中越後に逃亡し陸奥の藤原秀郷流青木氏を頼り、又武田氏系諏訪族青木氏もこの武蔵国の藤原秀郷流青木氏を頼って神奈川横浜と栃木に移動しました。(武田氏は陸奥で藤原秀郷一族の兼光系の血筋を受けています。 兼光は青木氏の元祖)

片喰族と同様にこの一族も大きな一族です。

そこでお墓が同墓地にあるということは何らかの血縁関係を後の江戸期に関係をもつた親族であった事が頷けます。

お家は丸付き紋ですので、片喰紋の本家筋に対して青木氏の分家筋に当ります。
また、唐木瓜紋も丸付きもんですので分家筋に当ります。

この付近には116氏の藤原秀郷流青木氏もあるのでまだたまだ家紋の異なるルーツを同じくする青木氏が存在する筈です。
皇族賜姓青木氏の血筋を受けた木瓜紋の土岐氏系青木氏のほかの氏も存在する筈です。

この116氏の家紋類については研究室の「青木氏(家紋)と血縁族」をお読みください。詳しくレポートしています。

上記しました様に青木氏はこの藤原秀郷一門の青木氏と皇族賜姓青木氏の二つが主に存在します。

この二つは伊勢青木氏を除き母方の藤原氏で繋がっています。
藤原秀郷は大化の改新で有名な藤原鎌足の8代後の末裔です。
平泉の藤原氏もこの一門です。

皇族賜姓青木氏は5家5流24氏に成ります。
詳細は研究室の皇族賜姓青木氏のレポートを参照してください。

以上概要をお答えしましたが、先ず家紋掲示板や研究室の所の関係するレポートや多くのご親族の投稿されご質問にお答えした内容などを参考にしてをお読みいただき又ご意見やご質問をお寄せください。

念の為に研究室の検索を利用すると便利です。
お待ちしています。
No.311

Re: 家紋について
青木 浩さん 2006/10/16 (月) 13:08
お早い回答を頂き誠に有難うございます。
以前、私は転勤で水戸に行った時、歴史館にお勤めになっていた桜井明さんから家系図及び家紋について、話をした伺ったことがあります。
家系図を本当に追えるのは茨城県でも2,3家しか居ないと、殆どの人は家系図はその時代に金力のある人が改ざんをしている事が多々あると言っていました。
私もそうなのかな?と思っていました。
そう云えば、茨城県の内原に青木一族が住んでいたことを思い出しました。
たわいも無い話です。
今回投稿させて頂く機会を与えて頂き有難うございました。
また青木のルーツについてこんなに研究している事に、私は感動いたしました。
追伸
私どもの青木の菩提寺は真言宗の林光寺です。
林光寺は鎌倉時代に設立されたと言っていましたので
青木の先祖についてもう少し勉強しようと考えています。

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青木氏氏を お知り合いの青木さんに 紹介してください。