No.1330
Re: 初めまして、仁賀木(にがき)と申します
副管理人さん 2008/08/27 (水) 18:24
>初めまして、こんにちは。
>
>家紋について調べていたところ、こちらに辿り着きました。
>いろいろと参考になる記述があり有難いです。
>
>ルーツについて教えて頂ければと思い書き込みます。
>
>名字は仁賀木と申しまして、知る限りこの名字は親類縁者だけのようです。
>本家は福岡県の南部の八女市上陽という山奥にあります。
>昔の国名では筑後です。
>
>家紋は、丸に梅鉢。
>現在の宗派は浄土真宗大谷派ですが、昔からのことは分かりません。
>
>
>霊的な方面から、平家のルーツだということを教えて頂いたものの
>具体的な情報がなくルーツがよく分からないままなのです。
>
>あくまでも推測なのですが、
>九州の山の中には平家落人伝説があちこちにありますので
>そういう関係なのかなぁとは思っていましたが・・・
>
>それ以前に菅原氏関係なのでしょうか?
>
>何かご存知のことがあれば教えて頂ければと思います。
>よろしくお願い致します。
仁賀木さん 今日は。始めまして。
ようこそ青木サイトにお越し頂きました。
これからも宜しくお願いします。
さて、このサイトは青木氏に関する資料を準備していて、他氏のことはよく判りません。
しかしながら、折角ですので、知る範囲でお答えします。
でも、判定する情報が少なく、新しすぎますので、お答えは限定されます。
ただ一つ家紋がありますので、それから推測します。
この家紋群は、既に、本サイトとでも観てご存知の菅原氏系の紋です。
地域は中部地方に分布しています。本来は畿内が多い筈ですが、党首の菅原道真氏は藤原氏の圧力を受けて配流を受けて散在しましたのでこの様な結果と成ります。
処が、筑後にあると云うことは、江戸期では「国抜け」と云いまして、領民は絶対に移動することは出来ません。もし、勝手に抜けますと、「一族惨殺の刑」の刑を受けますので移動は有りません。
出来るとすれば、国抜け成功か、明治以降の時しか有りません。
国抜けでは、一人国抜けに成りますので中部地方から九州までは一族では無理です。
従って、家紋とルーツはありませんね。
平家落人の説ですが、この平安末期の時期には梅鉢紋の氏と家紋化は有りませんので平氏では有りません。後の江戸初期頃に血縁で身元のはっきりした元平氏末裔の方の家紋が血縁で梅鉢になつたのです。平氏の一人は天皇家の相談役をしていて源平に参加しなかつた平氏がいたのです。この末裔です。身元もはっきりとしています。
第一に一人逃亡説に成りますと、氏家紋はありません。現在と違い、いつでも仕事にありつけることは殆ど有りませんし、そのような者を匿う事事態が犯罪ですし、氏家制度の封建社会の中での事は現在意識の判断はありません。
この様な者を昔は川原者といいまして、生きることさえ難しいのです。
山奥に逃げることさえ尚無理です。
としますと、明治初期の開放ですね。苗字令が3年と8年に出ていますので、その時からは庶民は自由に移動しました。多分、お名前からして、可能性が高いと見ます。
仁賀木に纏わる地名、由来が付近にありませんか。
私は推測ですが、沖縄からではないでしょうか。
新垣と云う姓は沖縄に多いのです。”しんがき”から”じんがき”にそれが、仁賀木となったのでは有りませんか。だからもとは沖縄の姓だし珍しいのです。
家紋は、明治初期の苗字令にて、身近なものを選んだのでは有りませんか。国民の8割はこの苗字令にもとづく苗字ですし、家紋も同様です。家紋は8000もあります。
身近に有るきれいな気に入ったものを採用したのです。
菅原氏ははっきりとした氏ですので、ルーツも大方取れますので、考え難いと観ます。
青木氏の所の家紋関係にも書くくらいですのではっきりとルーツを確定できます。
以上ですが、専門外ですが、ご質問ご不明な点が有りましたらお答えします。