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No.1279
福岡出身の青木です
福岡出身の青木さん 2008/06/09 (月) 17:29
はじめまして。
福岡県出身の青木と申します。
母から、うちの家紋はめずらしいほうだと聞き、私の先祖は誰に当たるのか調べてみたくなり
検索したところ、このページに出会いました。
私の家の家紋は「丸に重ね三階菱」です。
母が言うように、たしかにこの家紋の家は私の周りではとてもめずらしいのです。
先祖の墓参りに行ったら、周りにいくつも他の家のお墓はあるのですが、
私の先祖のお墓が際立って大きいので、何故なのか母に聞いても、
母は元々は青木の人間ではないので、詳しくは分からないようでした。
そこで、どうしても知りたくなり、投稿させて頂きました。
お墓に刻まれている一番古い名前は「佐々木」だそうです。
また、お墓の場所もそうですが、我が家の本籍は
「福岡県糸島郡二丈町」というところにあります。
この情報だけで分かるものでしょうか?
宜しくお願いします。
No.1281
Re: 福岡出身の青木です
副管理人さん 2008/06/09 (月) 18:03
>はじめまして。
>福岡県出身の青木と申します。
>
>母から、うちの家紋はめずらしいほうだと聞き、私の先祖は誰に当たるのか調べてみたくなり
>検索したところ、このページに出会いました。
>
>私の家の家紋は「丸に重ね三階菱」です。
>
>母が言うように、たしかにこの家紋の家は私の周りではとてもめずらしいのです。
>
>先祖の墓参りに行ったら、周りにいくつも他の家のお墓はあるのですが、
>私の先祖のお墓が際立って大きいので、何故なのか母に聞いても、
>母は元々は青木の人間ではないので、詳しくは分からないようでした。
>
>そこで、どうしても知りたくなり、投稿させて頂きました。
>
>
>お墓に刻まれている一番古い名前は「佐々木」だそうです。
>
>また、お墓の場所もそうですが、我が家の本籍は
>「福岡県糸島郡二丈町」というところにあります。
>
>この情報だけで分かるものでしょうか?
>宜しくお願いします。
>福岡の青木さん こんにちは。始めまして。
同じ青木サイトに良くお越し頂きました。これからも宜しくお願いします。
沢山の青木氏に関する資料をレポートしていますので、研究室の右メニューと全国の青木さんからのお便り質問がたくさんありますのでゆっくりと楽しんでお読みください。青木氏のルーツがお判りに成ると思います。ご質問がありましたならば、何なりとお便りください。
これからも、同じ青木さんでコミニュケ−ション致しましょう。
さて、ご質問ですが、情報が錯綜していますので、どれを捕らえて検証すればよいか判断に困ります。
先ず、家紋の「丸に三階菱紋」は甲斐の武田氏系青木氏です。家紋掲示板の1Pを参照して下さい。
つまり、天智天皇より光仁天皇までの5代の天皇が、夫々第6位皇子を臣下させて護衛役として、5つの国に配置したものです。
詳しくは、研究室の右メニューから皇族賜姓族のレポートを選ばれてお読みください。
概略は、天智天皇の第6位皇子の施基皇子が伊勢の守護王にし、その子孫を青木氏と賜姓したのが始まりです。
他に近江の青木氏、美濃の青木氏、信濃の青木氏、甲斐の青木氏があります。この5つの国に配置しました。天皇は天智天皇、天武天皇、文武天皇、聖武天皇、光仁天皇の5人です。この後2人の天皇を外して、嵯峨天皇からは、青木氏から源氏に変名して第6位皇子に賜姓しました。源氏は11代続きます。合わせて16代です。
お家は、この甲斐の国の守護王であった青木氏の分家が男系跡目が出来ずに、土地の豪族武田氏から養子を取り跡目を継ぎました。ところが、この養子にも男系が出来ずに、結局、女系となり家紋掟により、養子先の武田氏の分家の家紋の三階菱になったのです。
これが、武田氏系青木氏です。元は皇族賜姓青木氏の24氏です。綜紋は笹竜胆紋です。家紋掲示板の笹竜胆紋1Pを参照して下さい。「青木氏と血縁族(家紋)」のところの菱紋と笹竜胆紋のレポート参照してください。他にも沢山関係するレポートがあります。
武田氏系青木氏には武田氏系諏訪族青木氏と諏訪族青木氏もあります。
「地名地形レポート」では甲斐の地名で観て下さい。
ところが、墓所と国は福岡県です。先ずこの住所は何時の時代でしょうか。江戸中期以前の国が必要です。本籍とすると明治以降の住所ですので、これではルーツは新しすぎて出ません。
福岡には、賜姓青木氏は定住していません。
次に、墓石には古い人では佐々木氏であるとの事。
佐々木氏は、近江青木氏と近江佐々木氏(何れも天智天皇と、天武天皇の皇子の子孫)で近江佐々木氏は天智天皇の第7位皇子の川島皇子の賜姓佐々木氏です。
そして、この賜姓青木氏の一族の者が同様に男系跡目が出来ずに、同族の佐々木氏より養子を取ったが、同じく女系となり、佐々木氏系青木氏となりました。
佐々木氏には、近江佐々木氏(第7位)と滋賀の宇多天皇の皇子(第6位)の佐々木氏があります。
甲斐の賜姓青木氏の武田氏系青木氏と佐々木氏との血縁を示す史料は有りません。
ただ、氏家制度の中で同等での血縁ですので身分的にはありうる血縁です。
養子に来られたとして、この佐々木氏の人は何時の時代の人でしょうか。少なくとも室町時代以前の人である必要があります。第6位と第7位の同族であるので佐々木氏も笹竜胆紋です。
笹竜胆紋の使用できる5氏の内の1氏です。
この佐々木氏も賜姓青木氏と同じく各地に末裔が移動しています。
この甲斐にも室町期の末期にも同族の足利氏の家臣となって各地に赴任して少ないですが定住しています。
問題は福岡です。
福岡は江戸中期以降か明治以降に移ったところでは有りませんか。
佐々木氏と家紋に付いては時代性が室町期に一致すれば解決します。
福岡は何時から、佐々木氏の人は何時の人。
福岡の本家の本家は本家筋が甲斐にある筈です。菩提寺を確認すると良いでしょう。
次に本家の宗派は。
何かルーツを物語る一寸したことは有りませんか。
家紋からは「青木氏と血縁族(家紋)」を読まれるとご理解していただく事が出来ると思います。
甲斐の皇族賜姓青木氏の24氏の一つ武田氏系青木氏の分家の分家です。
そして、研究室の皇族賜姓族青木氏のレポートがたくさんありますのでまずそれをお読みください。
先ずは、上記の事をお調べになり、又お便りください。お待ちしています。
No.1283
Re: 福岡出身の青木です
福岡出身の青木さん 2008/06/10 (火) 11:47
お返事を頂いてから母に聞いてみたところ、
福岡のお墓がある場所一帯は、元々は領土かなにかだったようで、
いつの時代かは分かりませんが、移り住んだようです。
No.1284
Re: 福岡出身の青木です
副管理人さん 2008/06/11 (水) 09:57
>お返事を頂いてから母に聞いてみたところ、
>福岡のお墓がある場所一帯は、元々は領土かなにかだったようで、
>いつの時代かは分かりませんが、移り住んだようです。
時代性がはっきりしないとわかりません。
つまり、ルーツの取れない第3の青木氏である可能性がありますので、先ず、時代の一番古い人明治以前のご先祖ですが、ご確認ください。
お墓のことでの情報が多いのでそれからの検証事を次に書きますのでお調べください。
領土となると大名です。大名となると先祖の事が判らない事はありません。またご本家がどこかもわかるはずです。
そうでなくても、又、名主、庄屋、郷士、郷氏でもご先祖はご本家が伝統がありますので大事に護っている筈です。この4氏のどちらですか。
お墓は、大きいと書かれていますが、その墓石は花崗岩(御影石)で出来ていますか。
御影石で出来ているお墓は昭和のはじめのお墓です。
昔は明治頃以前は墓石には御影石は使いませんし、特別な大名でも使いません。
墓の墓石には、五十塔のような墓石がありますか。これは50年以上のご先祖が祭られている墓です。どうですか。
墓石は3段になっています。(20年未満の木製の柱の仮墓)父母等の墓石、50年未満の祖父母などの墓石、そして50年以上の墓石、で出来ていますが、どうですか。
墓石の一番古い人の俗名は官職名がついていますがありますか。あれば何とかいていますか。
ご本家は何処ですか。見つけられますか。
宗派は何なのでしょうか。
本籍のところの戸籍簿の一番古い人(明治1年)の所に、平民か士分かの身分が書いています。
このところを先ず確認される事でしょう。
それ以前は菩提寺の過去帳に載っている事に成りますが、載っているか載っていないかで大きく異なります。
そのお墓のお寺は何宗ですか。そこは菩提寺ですか。
そこのお寺のご先祖の一番古い人は何時の人ですか。
寺に所属していない墓所は昔はありません。
昔は一般庶民は川原の渕に作りました。武士であれば寺の中にありました。
墓関係から以上のことでわかりますのでお調べください。
福岡の疑問がありますが、又お判りになりましたらお便りください。
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