■青木功 ■青木遺跡


青木功 ( いさお )

⇒ 生年月日:1942年8月31日血液型 B型
身長・体重 180cm/80kg
出身地 千葉県我孫子市
出身校 千葉県我孫子市立 我孫子中学校卒業
ゴルフ歴 14才〜
プロ入会/受験回数 1964.12.1/2回
初競技 1965.関東プロ
自己最高スコア 1973.KBCオーガスタ 筑波関東プロ -22
師弟関係 林 由郎

中学卒業後東京都民ゴルフ場に就職。
そこでヘッドプロをしていた林由郎プロのバッグかつぎからスタート。
1971年の初勝利を関東プロで飾る。
1974年からはマスターズ連続参加。
1978年世界マッチプレーを制して、『世界のAOKI』となった。

その後 数々の大会を制し、現在はシニアで活躍中。

http://www.isaoaoki.com/
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青木遺跡 ( いせき )

⇒ 島根県 出雲市にある遺跡
 国道431号の改修に伴い、2001年度から発掘を開始。当初は中世遺跡とみられたが、本年度の調査で下層にも弥生―奈良時代の遺構、遺物が確認された。銅鐸(どうたく)片と人骨が弥生-古墳時代の包含層を調査中に出土した。約10キロ南東には、別の遺跡-加茂岩倉遺跡(加茂町)があり、今回の銅鐸片より古いタイプの銅鐸が出土していて、出土数は39個で全国最多となっている。  

 青木遺跡の銅鐸片は横六センチ、縦三・五センチ。近畿式と呼ばれる銅鐸で、外縁を装飾する「飾り耳」部分と分かった。年代は弥生時代後期(二世紀ごろ)とみられる。人骨は二十代女性。銅鐸片から十センチ離れ、墓穴とみられる同じ掘り込み跡から出土した。周辺からは保存状態の良い人骨も多数発見された。

 銅鐸は本来、農業共同体が所有し、豊作を願う祭りに用いたり、集落の境界に埋めて安全を祈ったりしたとされる。銅鐸を個人が所有していたとみられるのは数例しかなく、墓への埋葬例もなかった。 つまり、銅鐸が墓穴跡から出土したのは青木遺跡が全国初。

ニュース(山陰中央新報 - 2003年5月16日)
出雲市の青木遺跡から出土した中世の鉄製品からベンガラ製造の可能性
 出雲市東林木町の青木遺跡で出土した鎌倉から戦国時代の鉄製品のさびを、東京文化財研究所の朽津信明主任研究官が分析した結果、鉄製品を使って顔料の鉄丹ベンガラ(赤鉄鉱)を作っていたとみられることが分かった。人工的に鉄丹ベンガラを作る技術は江戸中期以降にできたとされていたが、鎌倉から戦国期の中世にさかのぼる可能性を示す国内初の資料となる。17日から松江市で開かれる日本文化財科学会大会で発表される。
 青木遺跡は国道431号の建設に伴い、2001年度から島根県埋蔵文化財調査センターが発掘調査を実施。
 昨年夏までに鎌倉から戦国時代の遺構面で、掘っ立て柱建物跡の柱穴の一部で鮮やかな赤色顔料が確認され、約100点の鉄製品が出土。鉄製品のうち、長さ5-10センチのくぎや小刀、鉄片など約20点は表面が赤色などの物質に覆われていたため、同センターが同研究所に分析を依頼。朽津主任研究官がエックス線分析顕微鏡による元素分析などを行った。
 その結果、約20点の鉄製品とも、製品の表面全体が結晶度の高い純粋な赤鉄鉱にきれいに覆われていた▽柱穴の赤色顔料の粒子は鉄丹ベンガラの粒子と酷似−などの事実が判明。
 純粋な赤鉄鉱は通常の大気中で鉄のさびとなりにくいことなどから、さびた鉄製品を火で焼いて赤鉄鉱を作り、鉄丹ベンガラとして削った後、残りの鉄製品を捨て、できたベンガラを建物の柱に塗ったと考察した。
 朽津主任研究官は「鉄丹ベンガラを作る技術が中世にさかのぼり青木遺跡で使われた可能性が考えられる。青木遺跡の人々はベンガラを身近な建物に使い自給自足的な印象を与える」と話す。
 ベンガラは古代から呪術(じゅじゅつ)的な意味を持つ赤色を表現するため、土器や壁画などに塗られた。青木遺跡は出雲大社に近い場所に位置。出雲大社境内遺跡で発見された鎌倉時代の巨大柱は大量のベンガラで彩色されており、同遺跡の鉄丹ベンガラを作る技術と関係するのかどうか、今後の調査と分析が注目される。

ニュース(2003年10月14日)
青木遺跡で国内最古級の神像が出土(島根)
 島根県埋蔵文化財調査センターは14日、同県出雲市東林木町の青木遺跡から、奈良時代後半〜平安時代前半(8〜10世紀)のものとみられる木彫りの神像(高さ約13.5センチ)1点が見つかった、と発表した。同センターによると、神像は国内最古級で、当時の信仰のあり方や神像彫刻史の貴重な資料としている。神像は高さ約13.5センチ。冠をかぶり、両手で笏(しゃく)を持つ姿で彫られている。貴族の正装姿の座像で ひげの部分に墨を塗った跡があった。同センターは「社寺の中に祭られている神像はあるが、遺跡から出土するのは極めて珍しい」という。
 また、今回の調査では地鎮のために果物を入れたとみられる、モモやナシの種が入った5つの土師(はじ)器のかめや、「伊」や「美」などの文字が書かれた土器や木簡なども出土した。桃やナシを入れた甕(かめ)5個は 十字形に埋められていて、まじないを行ったとみられる類例のない遺構だ。

 建物跡は計8棟確認された。このうち、「田」の字形に柱を配した掘っ立て柱建物跡(3.2メートル四方)は、出雲大社の「大社造り」に似ており、「美談社」の社殿だった可能性もある。
 椙山林繼(すぎやましげつぐ)・国学院大教授(考古学)は「建物や墨書土器の多さから、役所関係の施設の中に神社があったのではないか。古代の神社の実態はわかっておらず、重要な発見だ」と話している。
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