ご無沙汰しております。
その後、暇を見つけてはこちらのサイトを読ませて頂いたり、当地域の郷土資料などを閲覧したりしております。
当家に直接つながる証拠は未だ発見できませんが、少しでも理解を深めたいと試行錯誤しております。
ところで郷土資料などを閲覧するうちに、愛媛県における青木氏の足跡と思われる情報をいくつか入手しましたので、参考資料として記述させていただきます。
1.愛媛県今治市に『青木神社』、またその神社があった場所がかつて『青木通り』と呼ばれていた。
青木神社はこちら。現在は今治市の式内神社『姫坂神社』の境内に移設されております。
hhttps://www.google.co.jp/maps/place/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E7%A5%9E%E ..... ,17z/data=!3m1!4b1!4m2!3m1!1s0x35503a56f515a64b:0x10ce6978d3d2f12?hl=ja
神社の由来書にはこのようにあるそうです。
青木神社由緒
一、祭神 少彦名神
一、神徳と沿革祭神 医学の神様として広く信仰さ れている少彦名神様は、太古各地を巡って 医術と医薬の道を指導し大勢の病人を救 済なさった神徳の高い神様であります。
青き(青木)通り(現、北日吉町一丁目)は少彦名 神様のご駐蹕の古跡に小千国造が神籬を 立てて祭祀を行ない、のち社殿を造営され た大そう古い神社であります。江戸時代藩主の祈願所として庶民の信仰 あつく、病に悩む人々特に「咳」の守護神 として祈願と感謝に奉納する草履は相当 の数であったと伝えられています。明治四二年にここに遷座されましたが今 も霊験を頂く祈願者は市内一円から附近 の町村からそのあとを断ちません。」
「青木通り」は現在の青木神社の位置から南東に少し下がった、現JR今治駅の裏手の辺りですが、現在は住宅地図などを見る限り『青木姓』は見当たらないようです。
ただ愛媛県今治市はかつて伊予の国府が置かれていたとされる土地(考古学的発掘による証拠は未だ発見されていない)で、また青木氏とゆかりの深いとされ愛媛には2カ所しか確認されない新明神社(この情報も当サイトで勉強させていただきました)が存在する土地でもありますので、青木の足跡と考えて不自然ではないと思われます。
また同市内には『青木地蔵』もあり、四国88カ所の『番外』と位置づけられ、お遍路用の無料宿泊所が設置されており、地域の人々によって今も世話がなされています。調べてみますと『青木地蔵』は全国にいくつか点在するようです。
ところで、当家の先祖が住んでいたとされる『愛媛県三間町(現愛媛県宇和島市三間町)』は、地域的には『鬼北地区』と呼ばれる地域に属しており、現在そこにはいくつかの町が合併した『愛媛県鬼北町』があります。高知県西南部との境を形成する地域です。
この鬼北町に、愛媛県におけるもう一つの『神明神社』があることを、他ならぬ当サイトの記事で知りました。
行政区分では隣町になりますが、当家の先祖が庄屋をしていた、とされる地域から遠からぬ場所であり、注目しております。
ところでここからは余談といいますか質問になるのですが、愛媛県西南部について調べるうちに、愛媛大学の川島勉教授が書かれた「永禄期の南伊予の戦乱をめぐる一考察」なる論文を拝読しました。
愛媛大学のサイトに全文が公開されております。
http://www.ed.ehime-u.ac.jp/~kiyou/0402/pdf36-2/2.pdf
これによりますと永禄八年以降、土佐一条氏が伊予侵攻を本格化させ、それに『三間の衆』が従っており、この地域が土佐一条氏の勢力下にあったことが分かります。
歴史についてほとんど興味を持たなかった者ですが、調べますと土佐一条氏は土佐一条氏は、1468年(応仁2年)に一条兼良の子で関白の一条教房が、応仁の乱の混乱を避け、京都から所領であった土佐幡多荘(現在の四万十市中村)に下向した、とあります。
最終的には長宗我部氏の傀儡となって消滅するようですが、一時は土佐を二分するほどの勢力を持ち、西園寺氏や大内氏とも婚姻関係を結び、四国西南部に大きな力を振るったようです。
押しも押されぬ藤原北家、初代は関白までなった人物が下向したとなれば、四国の青木氏も無関係であったとは思えません。また『小京都』とまで呼ばれた都市を建設する財力や、土地を治めるための戦力も、四国の青木シンジケートの協力なしには不可能と思えます。
また下向に際しては、京都から多くの貴族や武士が随伴したという話もあるようです。
この時、四国の青木氏はどのように動いたと考えるべきでしょうか。
我が先祖がなぜこの伊予西南部に移動したのか、その事への手がかりになるのでは、と思い質問を差し上げました。
例によって中途半端な知識でご不快な点も多々あろうかと存じますが、不出来な青木子孫が不出来ながら努力を続けているのに免じて、ご教示いただければ幸いです。