シュ秀さん 今日は。始めまして。
青木サイトにようこそお越し頂きましてありがとう御座います。
これからもよろしくお願いします。
さて、お尋ねの件ですが、藤原秀郷流であるのかは提供頂きました情報では判断が付きません。
家紋の他に、先ず青木氏であるのか、江戸末期頃の出身地は、宗派は何宗か、菩提寺か檀家寺はどこか、他に御先祖の事で判る範囲で何かを提供して頂きたいのですが。
家紋の丸に酢奨草だけでは判りません。確かに丸に酢奨草の文様類は藤原秀郷流青木氏の中にありますが、他氏にもこの文様を多く使っています。
この文様はまたはカタバミとも云うピンク色の花を咲かす花です。ハート型の4つの花びらを持つ草でその軸をかじると酢の様にすっぱい草です。
主にこの文様を家紋にしたのは、愛知から静岡に定住分布した藤原秀郷流青木氏であります。
藤原秀郷流青木氏の総紋は下がり藤紋です。恐らくは男系継承が難しくなり養子をとり地元の豪族との血縁に依って更に男系継承がかなわず養子先の家紋と成った青木氏でありますが、この青木氏が子孫繁栄して赴任先に分布し定住したものです。
従って、その分布先や宗派等が判らないと判断が付かないのです。
尚、明治3年の苗字令と8年の督促令により藤原秀郷一門一族にゆかりの持った苗字の持たなかった庶民がこの2つの令に依って一門に関わった藤原氏の氏名を名乗りました。国民の9割はこの令に基づく氏です。この為に、この見分けが必要です。
この2令に基づく氏名には宗派や定住地や菩提寺や檀家寺や過去帳有無が異なりますので判断が付くのです。先ず江戸期の御先祖が無ければこの2つの令に基づく氏名となります。
家紋はこの時に自由に使いましたので、土地や宗派が一致しない限り一概に確定できません。
以上ですので再度お調べに成ってお便りを頂きます様にお願いします。
では、情報をお待ちしています。