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  [No.817] 青木直孝について
     投稿者:   投稿日:2011/12/19(Mon) 22:47:11

先祖について調べています。
私の先祖は旗本青木(5200石と聞いています)の出身です。
下記のURLに「直孝」とあったのですが、おそらく私のひいひいおばあさんで「直孝」とかき「ゆう」と読みます。菩提寺も先祖より聞いてるのと同じです。

「直孝」の母親の実家を知りたいです。
私のひいひいおばあさんの「直孝(ゆう)」の母は、上杉(武家)の出と聞いています。
「直孝(ゆう)」の母親の名前と、その上がどのように繋がっているか知りたいです。
生前、祖母がゆうより聞いた話によると、ゆうの母の実家(上杉)に、小林平八郎がいたという話も聞いています。
家系図は、母が赤ちゃんの時に破いてしまったので、今はありません。

「直孝(ゆう)」の実家の場所も知りたいです。
祖母からは、田沼家の隣にあったらしいと聞いています。

分かりましたら、教えて頂ければと思います。


  [No.818] Re:青木直孝について
     投稿者:福管理人   投稿日:2011/12/20(Tue) 09:52:03

山口さん 今日は。始めまして。

ようこそ青木氏氏のサイトにお越し頂きました。
これからも宜しくお願いします。
サイトには実家先の青木氏に関する資料が取り揃えていますのでお読みください。
左メニューでお知りになりたい事からお調べに成ると良いと思います。
基本的な事は研究室やルーツ掲示板などからお読みください。膨大なレポートですので、ゆっくりと楽しんで少しづつお読みに成られると良いと思います。

さて、そこでお尋ねですが提供頂きました情報は次ぎの通りですが、
旗本、直孝、上杉、菩提寺の存在の4つですね。
これでは到底ルーツの糸口は無理ですね。
家紋、宗派、江戸以前の年代、男系のルーツ、仏壇形式やお墓の形式などの先祖を物語る情報が必要です。

先ずそこで、この4つの情報から概容を探り出しますが、情報が少ない為に正しいかは判りません。
先ず、「直孝」は祖祖母であるとの事ですが、江戸以前は男系が家系の基本と成って記録されていますのでルーツは辿れません。
と云いますのは、「菩提寺」があるとされていますが、江戸期以前の菩提寺ですか。先ず、この菩提寺は檀家寺ではありませんか。
菩提寺とはそもそも氏の単独で独善的に独自に管理運営されている寺の事で一族一門の者しか祭祀されない寺の事です。青木氏は古代密教の浄土宗か或いは便宜的に浄土真宗と成ります。
主に「密教」を主体とする寺で「3つの宗派」がありますが、この宗派に入信するには限られた青木氏等の氏と成ります。
旗本と書かれていますので、青木氏の菩提寺が江戸にはありません。
上杉と成っていますが、この上杉家は先ず判別が付かない程に各地に多く、本来上杉家は滅亡していてありません。極めて末端の長尾家が上杉家を引き継いだのです。その後も直径の上杉家はありません。
要するに一つではありませんので、どの上杉家は確定できないので無理で、謙信も子供はいませんでしたので上杉ではルーツは探れません。
「旗本」の情報で探りますと江戸に成りますが、江戸には各地の末裔の「6つの青木氏」が各地から移動して来て定住しています。然し、このどのルーツかは地理的な情報が無いので判断が出来ません。
「上杉」として仮に謙信の上杉として「越後」と成りますが、越後には青木氏は「4つの青木氏」が定住しています。元々からの藤原秀郷流青木氏の越後青木氏、信長に滅ぼされて逃亡して来た賜姓諏訪族青木氏と武田氏系青木氏、一部少ないですが秀郷流青木氏と血縁した藤原利仁流青木氏の越後青木氏です。
そこで、仮に上記する菩提寺として、菩提寺には「過去帳」なるものがあり、お家の累代のご先祖の方の名前が書かれています。これでルーツが判ります。
檀家寺として、江戸中期以後のご先祖の名前が「人別帳」と云うものに書かれています。

又、お家のご先祖のご本家が判れば其処には明治維新の戸籍簿があります。この中に何処から来たかは判ります。

兎も角もルーツは「男系」で「ご本家」を探し出しその情報からルーツが割り出させるシステムに過去の慣習には成っています。
青木氏は武家であるとして、皇族賜姓青木氏5家5流29氏と藤原秀郷流青木氏119氏から成り立っています。この2つの青木氏には「特定の特徴」を持っていますので、その特徴をつかめる情報があればルーツ解明は可能です。ただし念を押しますが男系です。
武家で無い青木氏としては、上記2つの青木氏に関係する情報があれば、その代の青木氏を探し出す事が出来ますがルーツは明治維新までです。
明治維新の3年と8年の苗字令に基づく青木氏か、室町期末期の「第3青木氏」に発祥した青木氏があります。家紋、宗派、土地でこの第3青木氏かどうか簡単に判ります。
先ずは男系の情報を把握してください。
旗本5200石とすると、家臣では大身ですので、他に情報や上記の情報が必ずある筈ですよ。
地主としてのお家ご本家の土地が必ずあります。

5200石とする何か証しがある筈です。大名に近い旗本で恐らくは「布衣」の身分に成っていますから証拠が残る筈ですしご本家筋に必ずたどり着ける筈です。仏壇とか墓は普通とは違います。
家紋でも判断が付きますし、本当に口伝ではなくとも5200石の青木氏かも判ります。
青木氏の中で5200石では極めて限られてきます。

ですからもう少し情報が有りましたらご提供ください。インターネッサイトからの情報では無くお家の直の情報です。其処から、少しづつ判ってきますよ。本来ではこの程度の大身ならば判るはずなのですが。
ちょっとした事で雑学で重要な事が判るのです。
青木氏ルーツ掲示板などにはこの様な事がわかりますよ。それらの努力で、失ったとするならばそこからルーツを紐解きましょう。

では情報とお便りをお待ちしています。



  [No.819] Re:青木直孝について
     投稿者:山口   投稿日:2011/12/20(Tue) 23:41:12

早速、ご回答いただき有難うございます。
我が家には何も残っていないのが現状です。
最後に残っていたのが母が赤ちゃんの時に破いてしまった家系図でした。
先日、戸籍をたどったのですが、私の曾祖父を筆頭とした除籍謄本でやっと「青木直孝(ゆう)」の漢字名が分かったところです。
そこから更に前にさかのぼろうと思ったのですが、第一次大戦・第二次大戦・関東大震災等で燃えてしまい、役所に行っても除籍謄本が手に入らない状況です。
後は、青木直孝から曾祖母や祖母が聞いた内容しか分かりません。
また、直孝は離婚をしてるので、お寺に行ってもさかのぼれない状況となっております。
参考までに教えてください。
5200石の青木家を探すにはどのようにしたら良いのでしょうか?
やはり、石高から探すのは難しいでしょうか?
宜しくお願いいたします。


  [No.820] Re:青木直孝について
     投稿者:福管理人   投稿日:2011/12/21(Wed) 12:40:37

今日は。早速ご返事頂きました。

そこで、次ぎの事柄に疑問があります。

”謄本が入らない”と云う事は無い筈です。
国民契約社会の中で明治維新より全ての国民が等しく戸籍を有している筈で日本人であるならばある筈です。戸籍が無い事は日本人では無い事を意味しています。だとしたらルーツは日本にはありませんね。

問題は前回にも書きましたが、お家のご本家に戻らなければルーツは絶対に遡れませんよ。
先ず、ご本家かお家がご本家ならば宗家を見つけ出す事が必要です。それにはお家の宗家か本家の在住していた県と村を見つけ出さなくては成りません。
そのためには、前回にも書きましたが「家紋と宗派」が少なくともその解明する最低の情報なのです。
家紋と宗派は絶対に判る筈です。まして”5200石”と云う情報があるのですから少なくともこの二つはご本家が有している筈です。

江戸にあっても全て元は全国から出てきた者で元の定住地・国がある筈です。
旗本と云う限りは江戸初期の事ですから、その以前のご本家宗家の国の定住地が判る筈です。
但し、祖母系に拘っていられるようですが、前回にも書きましたが祖母からはご先祖を遡る事は絶対に出来ません。
過去の戸籍は中級武士以上が寺・菩提寺が男系で管理していたのです。女性は戸籍では管理されていないシステムです。
「女墓」と云いまして累代の女御の「戒名」を都度連ね書き記してるのが慣習で上級武士階級しか行っていませんでした。
”5200石が正しいとして”では女墓は御本家筋にある筈ですが系譜の繋がりは取れません。
その前に最低限「家紋と宗派」を。

到底、石高でルーツを調べるなどの難しさからすると極めて簡単ですよ。
この二つが判らない事の事態が現在社会でもおかしいのです。
5200石から判ったとしてもそれがお家であるかは別問題です。
”直孝から曾祖母”が正しいかの確証が取れませんね。
”直孝は離婚をしてるので”とありますが、菩提寺の過去帳は跡目継承は女御ではありませんので無関係ですよ。
過去帳か人別帳か、菩提寺か檀家寺かも確認出来ないのも変ですね。
それには先ずは「家紋や宗派」からほぼその口伝が正しいかが判るのです。
”家紋と宗派”が判らず”5200石や直孝から曾祖母”があると云うのも変な話です。
前回から何度も記していますが、女系からは無理ですよ。
”5200石の青木氏が見付かった”としてもお家であるかは別問題です。
それを確定するのが家紋宗派なのです。家紋宗派と5200石は矛盾していません。
江戸期以前の氏家制度の社会慣習の中では。
家紋宗派は搾取偏纂する事はできない社会慣習があったのです。
もう一度是非前回のお答えをお読みください。
家紋と宗派は災害で消えませんよ。
”災害消失云々”と云われている以上はご本家・宗家ではない事を意味していますね。
ご本家宗家であればこの二つは判る筈です。
青木氏は大きな子孫末裔の枝葉を持っていますから、伝統の情報は消えないのです。
一つの家の伝統が消えても周りの親戚は生きているのですよ。
その子孫が全部消えてしまったとするとルーツは消えた事に成りますよ。

5200石からは無理です 且つ、歴史家かマニアではないのですからね。歴史雑学が必要です。

先ずは、「家紋と宗派」⇒「土地・本家」⇒「菩提寺・檀家寺」⇒「過去帳−人別帳」⇒「5200石」⇒・

青木氏はそのルーツは全て判っていますので上記の事でルーツにたどり着けます。
但し明治期と室末期末期の「第3氏」を除いては。

兎に角、先ず実家先の「家紋と宗派」を。

では、お便りお待ちしています。


  [No.821] Re:青木直孝について
     投稿者:山口   投稿日:2011/12/21(Wed) 21:51:07

返信ありがとうございます。
直孝の子供までしか謄本が手に入らないのは、
先に書きましたが、第一次大戦・第二次大戦・関東大震災で燃えてしまったからです。
役所が燃えただけでなく、辺り一体がすべて(家も)、燃え、何も残っていなかったそうです。
戦争や大震災がなければ、もっと情報が手に入ったかと思いますが・・・
数年後に法事がありますので、その時にでも、親戚にも聞いてみます。


  [No.822] Re:青木直孝について
     投稿者:福管理人   投稿日:2011/12/22(Thu) 11:39:52

追伸
ご親戚に会われたら次ぎの事をお調べに成ると良いと思いますが、
青木氏であられるので敢えて追伸致します。
その前に予備知識として。お尋ねの重要な事をこの際にお伝えします。

旗本は全部で”5200人”いました。
御家人は17000人いました。
5000石以上は112人です。
5000石程度は73人です。
その中で、青木氏は2人います。
残り8割は全て500石程度です。

3000石程度では歴史的に有名な小笠原氏等がいますが3000石以上では歴史に出てくる程度ですし、現在でもその末裔の存在は確認出来ています。

豊臣との戦いで功績のあったその一人は摂津麻田藩1万石の藩主弟の「可直」と云う人物で、後に取り立てられて旗本に成りましたが、兄から4千石と1千石を親からの遺産本領安堵されて5000石に成った人物がいます。
この家は「霧に富士紋」で「浄土宗」で「丹治氏系青木氏」です。(上杉家とは無関係です。)
領土は大阪の河内にありました。発祥地は関東の埼玉です。氏の出自は明確でして「武蔵7党」と呼ばれる土豪の一つの氏です。元は徳川氏の家臣ではなかったです。江戸初期過ぎに旗本に取り立てられます。

その由来は平安時代に皇族の「多治彦王」と云う者が罪を犯して関東に配流され、そこで土地の土豪「丹氏」との間に「配流孫」がうまれ、「嵯峨期の詔勅」にて青木氏を名乗った氏です。

後一人は筆者の遠戚で後に吉宗の代に特別にある事由から「布衣」の身分に成ります。大名大身旗本の扱いです。江戸は全国から多く集まってきた土地柄で青木氏に関しては全てこの様に「特定の国柄」を持っています。

以上の事から、5200石は”旗本 5200人”を口伝で間違え伝えられたのではありませんか。

ルーツを探る情報が何も無くなると云う事は5000石以上の旗本は現在でも判っている事から疑問です。多くの末裔がいるのですから、お説の強調する”戦争や災害”で無く成ると云う事は無いのです。
お説の”戦争や災害で戸籍謄本が無くなる事”はありません。枝葉の末裔親族が復帰させる仕組みに成っています。
ご先祖があるのであれば仏壇がありますよね。仏壇あればお寺がありますよね。お寺があれば宗派がありますよね。宗派が在れば過去帳などありますよね。
例え、”戦争や災害”があっても、再びご先祖のを祭る仏壇を買い揃えますよね。墓も戻しますよね。
親族が「枝葉」で広がっている限りは忘れる事は無い筈ですよ。「家紋や宗派」は無形で燃えませんからね。
「家紋と宗派」が無い事、又は判らない事の意味をご理解ください。

昔は「国抜け」と云いまして、旗本を除くと許可の一定期間が過ぎると「江戸の侍」は国に何時か帰らなければならないのですよ。そうしないと、一族郎党全ては惨罪ですよ。

前記した「2つの出自の青木氏」は後から徳川氏の旗本に成ったのです。根っからの旗本ではないのです。その経緯がどの青木氏もはっきりしています。つまり国があるのです。
江戸を国とする侍は太田氏以外は極めて少なく青木氏は全て国が決っています。旗本も国は三河が殆どで、後に旗本や御家人に成った者ばかりですよ。従って、家紋や宗派は国許にあるのです。

結局、”5200人の旗本”の中の青木氏ははっきりしていて特定できるのです。

だから「家紋・宗派」が判らないとする本家筋の青木氏は先ずないのです。
例え、明治期の第3氏の青木氏に於いてでさえもです。

ですから、「家紋と宗派」で「国許と出自」が特定できるのです。それが「6つ」あると説明しています。
第3氏の青木氏でない限りは、この中に必ずある筈です。”家紋と宗派”で判るのです。

これ等の以上の事は全て青木氏のレポートに詳しく記述されています。

江戸には「6つの青木氏」のルーツが移動定住してきています。
全てこのルーツは判っていますが、上杉家との遠戚の青木氏は資料の中には見当たりません。
(どの上杉家か判りませんが)

ご親戚と話される場合にはこの事を留意する事を進言します。