北海道の元青木さん 今日は。始めまして。
全国の青木さんが集うサイトにようこそお越し頂きました。
これからもよろしくお願いします。
青木氏に関する事がレポートされていますのでこれからもゆっくりとお読みください。
判らないところが有りましたらご遠慮なくお尋ねください。
さて、早速お尋ねの件ですが、次ぎの2つの情報と成りますね。
明治以降は社会体制が異なりますので参考にはなりませんし明治維新までは戸籍か過去帳により遡る事は間違いなく出来ます。問題はそれ以前のルーツの探求は専門的な雑学がなければ不可能です。
青木氏に関してはその情報を提供しています。うまく行けば平安初期までさかのぼる事も出来ます。
そこで、提供頂いた情報は家紋が唯一の手がかりです。
然し、レポートしていますように家紋分析から「三つ巴紋」の家紋の青木さんはありません。
但し、全くの無縁とまでは云えないのです。
実は、青木氏には2つの青木氏のルーツがありこの2つの青木氏は母方で繋がっています。
それは1つは皇族賜姓青木氏5家5流24氏です。
天智天皇の第6位皇子の伊勢王から5代後の光仁天皇までの第6位皇子の甲斐王までの青木氏です。
もう一つは藤原秀郷流青木氏119氏です。
この2つの青木氏には三つ巴紋の青木氏は発祥していません。
ところが、秀郷一族一門の室町時代に勢力を高めた関東一円の大豪族に結城氏、宇都宮氏、佐竹氏、等の支流一族がこの巴の家紋を使っている氏です。
三つ巴紋は2つの家紋があり右三つ巴と左三つ巴とかあります。この家紋は毛利家の家紋です。
何故毛利家の家紋を青木氏が使っているのかですが、これには一つの可能性があります。
それは、福島の情報です。
福島は青木氏の勢力圏外ですが、その直ぐとなりの下野(栃木県)上記した秀郷一門の勢力圏でこの秀郷流青木氏の分家筋が護衛団として護っていたところでここには秀郷流青木氏が村を形成して住んでいました。室町時代末期までにその勢力を高めて福島の県境の仙台の手前まで勢力を伸ばしたのです。
其処に現在でも秀郷流青木氏が定住しています。
そしてこの国境には皇族賜姓族の諏訪氏系青木氏が長野と甲斐から信長に追われて逃げこの秀郷流青木氏を頼って落延びてここに住み着き勢力を持ちました。
この2つの青木氏が住んでいる所です。
恐らくは武士であったとするとこの2つの青木氏のどちらかです。
江戸期前後の直後に男子の跡目に恵まれず三つ巴の家紋を持つ武家から養子を採り、この時一時的に家紋が養子先の家紋の三つ巴紋と成ります。しかしその養子にも男子の子供が出来ず、結局、元の家紋に戻す事が出来ずに家紋掟により女系となった事から養子先の家紋に成ったと考えられます
問題はこの山口県の三つ巴紋が何故関東にあるのかが問題です。
家臣として江戸詰に成りその後何等かな理由で長らく関東下野詰でそこで青木氏と縁があって養子に入ったと考えられます。江戸期初期から中期頃までには一般的に良く起ったパターンです。
明治前は基本的には国抜けで勝手な移動は出来ません。何らかの理由で2つの許可を得て厳しく移動する仕組みで最終は元の国に戻る必要が起こります。そうでない場合は無宿者と成ります。
お家のルーツはこの2つの情報から2つの青木氏の可能性を持っています。
家紋は江戸期に上記の理由で変紋したと江戸期の慣習から観て考えれば辻褄が合います。
他に宗派や過去帳の時期、明治維新の本家の戸籍簿、仏壇墓所、菩提寺、檀家寺何でも結構ですから明治前の情報から読み取る事ができてルーツの解明が前に進みます。
何か判りましたら又お便りをお待ちしています。