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  [No.772] 教えて下さい
     投稿者:りょうちゃん   投稿日:2011/04/23(Sat) 02:11:42

以前、ご質問したものです。
宗派が間違ってました。
父が他界してわかりました。
出身は埼玉県比企郡
宗派は真言宗智山派
家紋は丸に梅鉢です
ルーツは秀郷流ですか?


  [No.773] Re:教えて下さい
     投稿者:福管理人   投稿日:2011/04/23(Sat) 11:56:46

青木りょうさん 今日は。お久しぶりですね。
確か2005年頃にお便り頂きました。ご機嫌いかがですか。
あれからサイトも随分とレポートが増え多くの青木さんが集うサイトに成りました。
これからもよろしくお願いします。

以前は次の様な回答をしたと思いますが、間違いありませんか。

以前のご質問の回答
>1つ目の土地ですが
>秀郷はこの身内の5氏の青木氏に武蔵国の入間郡を中心に配置しました。この内の支流4氏はこの土地より周囲に更に配置したとされています。上記した比企郡は郡堺ですので、支流の青木氏であります。

>次に家紋ですが、
>この家紋を保持している支流4氏中の一つに当ります。
>116家中に1氏あります。直流は主に「揚羽蝶紋」類です。
>藤原秀郷の兼光流の支流 青木正胤(1150-1200年頃発祥で、江戸時代の名を記する)なる者がこの末裔にあたります。
>この一族が「丸に梅鉢紋」を使用しています。
>秀郷より4代目の兼光流から直流と支流の青木氏が出ています。

>この家紋は全国の大豪族の名家を表す「家紋200選」のうちの一つです。鎌倉期には藤原氏の一族として働き、室町時代は戦国時代であつたので不詳ですが、江戸時代は、御家人で、代々御台所人で、後に綱吉期には組頭になります。
>3つの情報からはこの範囲のル-ツが判明します。これが正しいとして、貴方のル-ツはこの末裔に当るものと思います。
>もっと宗派などの詳しい情報があれば、更に確定します。
>何か質問があれば返信してください。

さて、今回は宗派のご確認がとれて真言宗との事ですが、先ずはお答えから致しましすと、秀郷流青木氏に間違いありません。

恐らくは、元は古代密教の浄土宗であったと考えます。
しかし、鎌倉期以降秀郷一門は平安期に失職しての勢力が維持できず苦労した時期があります。
その後鎌倉幕府などに仕官が叶い再び勢力を持ち返します。
後に、徳川氏に仕え将軍綱吉になった時にその家臣であったことから延宝8年(1681)に御家人に加えられます。後に役を得て御膳所の御台所人と成り代々務めます。

参考 直系の系譜 梅鉢紋の本家 
正胤−正則−正理−正卿−正嘉−正時・・・
正卿から宝暦8年(1759) 御鷹匠を務め寛政6年(1795)まで続く。
一つの分家には学者が多くこれを下に幕府発行の書物を数多く手がけた人物がいます。又、菅原氏の血筋を証明していますね。中でも青木敦書が有名であります。
お家はこの何れかの枝葉から出自している事に成ります。

この間、古代密教の浄土宗を氏の力では全てを維持できなくなり浄土真宗に宗派変えをしました。
室町期に入り、密教形式が廃り宗教戦争なるものが起こり、各宗派は勢力拡大で各地に布教を進めます。この時、真言宗も主に関西域を主な布教範囲としていましたが、関東にも進出して甲斐の国や下野、上野、武蔵の一部に勢力基盤を築きます。
お家はこの時に真言宗に宗派変えをしたものと考えます。
ただ、この真言宗はもとは3大密教の一つでしたので秀郷一門中でも青木一門としては関東では浄土宗の分流の真宗かこの元密教の真言宗の何れかに入信することに成ります。
依ってお家は室町期に真言宗に入信した事に成ります。
藤原氏も例外なく室町期の下克上で下からの突き上げを受けて密教浄土宗は殆どが焼き討ちにあい衰退しましたので止む無く真宗などに変える等の経緯を辿っています。
後に、家康は浄土宗の奨励令を発して密教方式を解き復興を期しますがなかなか捗りませんでした。
また、依って豪族や大名の中でも多くは「第2の宗派」として真言宗を選びました。従って、高野山さんには多くの大名や豪族の墓が多いのです。又、藤原秀郷一門の青木氏としては賜姓青木氏とも母方で血縁していると云う背景もあり真言宗との関わりは否定できないのです。
特に、それは関西系の家紋の梅鉢紋の一族である事が起因しています。
梅鉢紋は関西近江付近の菅原一族の家紋ですが、室町期には美濃の豪族が多く使ったのですが、中でも菅公を崇拝した美濃の斉藤家も使いました。この支流前田家や堀家などが使っています。
何処でどの氏と血縁したかは判りませんが、関西に赴任中にこれ等の氏と血縁した事は間違いは無くこの流れを汲んだ藤原秀郷一門です。その後領国に戻った青木さんです。
平安期に関西に赴任しそこで養子縁組の血縁をして家紋掟により「下がり藤紋」から「梅鉢紋」系に成り変紋したものです。よって、秀郷一門では少ないのですが梅鉢紋の青木さんとしては真言宗とする事には矛盾はありません。
例えば、京都付近に赴任していた一門の中でこれも少ないのですが、天台宗密教に宗派変えしている青木氏も有ります。この真宗と真言宗と天台宗以外は氏家制度の中では有り得ないのです。但し明治期に成って宗派変えしたこともありますが、この室町期まではこの4つの宗派の中に限られています。

前回のお答え通りにお家のルーツは明確ですので検証は可能ですし、お家のルーツの本家も現存していますので、問題はありません。
むしろ、どちらかと云うと梅鉢紋とすると真言宗の方が自然であると考えます。

梅鉢紋の方からのお便りも沢山頂いていますよ。
一度検索で「梅鉢紋」でお読みください。

以上ですが、ご質問やご不明点 青木氏に関わる面白いお話などありましたらお便りください
ではお待ちしています。


  [No.774] ありがとうございました
     投稿者:りょうちゃん   投稿日:2011/04/23(Sat) 12:55:50

早速、ご回答頂きありがとうございました。