代理投稿(福管理人)
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投稿内容
> 実家が静岡県で家紋が下がり藤なのですが、ルーツは皆様と同じなのでしょうか?
静岡の青木さん 今日は。始めまして。
全国の青木さんが集うサイトです。これからもよろしくお願いします。
たくさんの青木氏に関する用意がされていますので、ゆっくりと楽しんでお読みください。
さて、お尋ねですが、情報が家紋と土地柄でしか有りませんので何ともお答えできません。
何時の時代ごろから静岡にお住まいなのかなどが判らないと判断が付きません。
ところが実は静岡には確かに藤原秀郷流青木氏が多く定住している土地柄です。
しかし、確かに下がり藤紋の家紋もこの藤原秀郷一門の綜紋ですが、問題があります。
この綜紋は藤原秀郷流青木氏を含む藤原秀郷一門一族361氏の代表紋です。
この綜紋の家紋を引き継げるのはこの内の宗家の7氏だけです。
この7氏の中には藤原秀郷流青木氏116氏が含まれますが、この116氏の内の総宗本家だけが引く継ぐ事が出来る家紋なのです。
そして、その下がり藤紋は下がり藤紋だけを家紋とするのでなくて、それに副紋をつける掟に成っています。ただ一家この下がり藤紋を使える家があります。
藤原秀郷の武蔵入間に現存して居る361氏の総宗本家一家だけです。
つまり、この一家除いて下がり藤紋そのものを使う家紋は無い事を意味します。
詳しい情報がないので確定として云えませんが、この家紋を単独で使用していることから、明治3年の苗字令と8年の督促令に基づく青木氏ではないかと思います。
国民の九割の庶民が明治になり氏家制度の社会から契約社会となった事から苗字を持つ事が義務と成りました。この時、近隣の土豪の氏名と家紋を真似て届け出ると言う現象が青木氏の土地並びに各地の有名な氏の土地で起こりました。
むしろ、苗字化が一向に進まないことから維新政府は焦ってその様に指導しました。
その為に、村、郡全体が突然に一夜にして青木氏に成ったと云う現象が各地で起こりました。
その結果、この宗家だけが引き継ぐ家紋を副紋も使わずに家紋とした青木氏が生まれました。
361氏のなかで350程度の家紋のある藤原秀郷一門の綜紋を引き継ぐ宗家の家紋があちこちに増えてしまったのです。この下がり藤紋だけを引き継いでいる総宗本家は入間に現存しています。
それはそれなりに100年程度の伝統の歴史を有する事は意味のあることですが、藤原秀郷流青木氏としては学術的にどうかと尋ねられれば”違います”とお答えするしか有りません。
又、100年程度の歴史を有する明治期の青木さんとなれば、その可能性は高いということになると思います。要は宗派と過去帳の有無と維新戸籍簿如何にて確定するでしょう。
しかし、静岡には藤原秀郷流青木氏と、この明治期の青木さんが多いのですから、むしろ現実にはこの明治期の青木さんの方が多いのです。
その判別は家紋や宗派なども然ることながら、前者の青木氏は江戸時代以前から「青木村」を形成しています。
その青木村に近隣で関係していた庶民、農民がこの苗字を使用したので広域の村と成ると判別がつきません。しかし、江戸期前に氏家制度の中で青木氏であったかどうかで決まります。
それは青木氏の「氏寺の菩提寺」を持っているか、其処の寺に「過去帳」なるものがあるかで判別できます。江戸期前にご先祖の名が確認出来るか、明治維新の戸籍簿でも判別できます。
一度、菩提寺と過去帳の有無と宗派をも確認ください。有れば藤原秀郷流青木氏の青木さんと成ります。
無ければ、明治期の青木さんと成ります。
宗派も特定の宗派に限定され、その宗派の菩提寺となるわけです。
有ったとしても家紋に問題がありますので、この副紋なしの綜紋の家紋が何故使用したかの調査が必要です。
では、ご質問が有りましたらご遠慮なくお尋ねください。