はじめまして、このたび実家から家系図(といっていいのでしょうか)古い和紙で綴られたボロボロの書物が出てきまして、文字や書かれた文章を見る限りそれほど古いものとは思えませんでした。
残念ながら私が古文に明るくないもので解読はいまだ試みてはいないのですが、とりあえずとは思いインターネット上で書物に載っている古い先祖からを調べてみましたところ、こちらのサイトにたどり着きました。
たしかに、表題に「長沼系図」とありまして」最初の始祖様は天御中尊寺とあり、そこから藤原秀郷、宗政(長沼)となっているところまでは、別段気になるものではありませんでした。
ただここから実際に「永沼」にたどり着くまでには「駿河守藤四郎 宗干」から突然分派(ほとんどの系図では筑前守 政忠 石川氏で切れています)し、持宗にはじまり、讃岐守 宗春、光寛、をへて源右衛門(永沼彊三郎)となり、ここで初めて永沼の姓が出てきます。年代はそのまま読めば慶長五年、私の直系である九州福岡の筑前遠賀郡伊佐座村(現在は水巻町あたりだとおもいます)の永沼にたどり着きます。
こういった系図は確かにどこまでの信憑性があるのかも解りませんし、途中で没落したせいで中央権力から農民に成り下がったのかもしれませんし、ある意味現況でも小市民的な親戚一同を見る限り、すごい家系だとは思ってもおりません(笑)
ただ、系図などがあると、過去から連綿と続いて今があるのだなと、もはや他人も同然かもしれませんが、ネット上にでもその名があるのを見つけると少しでも嬉しいものを感じます。極近い先祖に有名な書家の先生がいたという話は聞きましたが、少なくとも私にその才能はないことはわかっております(笑)
結局何が言いたいのかよくわからなくなってしまいましたが、私の手元にはこういった資料がありますが、このようなものはやはり「あとからかかれた(こじつけられた)もの」である可能性のほうが高いのでしょうか。これらを精査するにはどのあたりから調べればよいのでしょうか。
皆様のお力を少しでも拝借できればと思います。また資料的な価値があるかどうかは解りませんが、できるだけ自分でも読み解いてゆきたいと思っています。(永沼か長沼に関連される姓の方がおられましたらあわせてお知らせいただけると嬉しいです)
全国の青木さん管理人様、私事のようで申し訳ありません。不適当であれば削除していただいて結構です。