「雑談掲示板からの代理投稿」
1845] 初めまして、島根の青木です。
青木 俊美
2010/04/24 17:12 - パソコン
讃岐の福屋氏について調べていたら、貴HPに入ってしまいました。
島根の青木です。
真剣にルーツの調査をしていますが、情報が乏しく・・・進みません。
祖先は、島根県江津市桜江町にある「大石城址」の武士であった模様で
城から城に、矢文を放って交信していたとか、夜になると下の村まで
降りて水・食料の仕入れをしたとかの言い伝えがあります。
家紋は、毛利氏(萩市)と同じで、横一の下に○が三個です。
桜江町には、菩提寺もありますが、昭和初期り豪雨で、過去帳など
の記録が流出して、手がかりはあまりりません。
大石城跡は、島根県遺跡データベースシステムによると福屋氏(讃岐)が
手がけたとあります。
なにか、分ることがありますでしょうか?
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[1847] Re:初めまして、島根の青木です。
福管理人
2010/04/25 08:05 - パソコン
島根の青木さん 今日は 始めまして。
全国の青木さんが集う青木氏氏サイトにようこそお越し頂きました。
これからもよろしくお願いします。
さて、お訪ねですが、残念ながら判りません。
そこで、一つ手がかりがあります。
家紋と島根と讃岐と青木です。
家紋は「一文字三つ星紋」です。これは毛利氏の吉川氏の家紋です。
次ぎは島根の青木さんですが、この青木さんは「讃岐籐氏」と呼ばれて藤原秀郷一門で藤原秀郷流青木氏です。この青木氏は瀬戸内を挟んで大勢力を持っていた一族で島根の宍道湖の西側に廻船問屋の商いの為に拠点を設けて子孫を広げました。この秀郷一門は「2足の草鞋策」で廻船問屋を始めとする大商いも営んでいたのです。
お家はこの商いの為に島根に移動となったと観られ、武士であったとするとその護衛に就いた青木氏と考えます。移動し末裔を広げた史実があります
お家は恐らくはこの讃岐籐氏の藤原一門の「第二の宗家」と呼ばれた護衛団の藤原秀郷流青木氏の分家筋だと思います。
ここで「讃岐」のキーワードで繋がります。
そこで、この福屋氏がお家の青木氏とどのような関係にあるのでしょうか?。
母方ですか?。
福屋氏が「讃岐籐氏」の一門であるかをお調べに成ると判ると思います。
この讃岐一帯は武士である場合は恐らくは讃岐の秀郷一門だと思います。
隣の愛媛一部と高知県と安芸広島までその勢力は伸びていました。
問題は家紋だと思います。
何故に長門星紋を使用されているのか、その理由をお調べに成ると手がかりが掴めると思います。
特に、讃岐のところに「福屋」と言う地名が無かったどうかを調べられると良いと思います。藤原氏の末裔は姓を付ける場合には一族を見分ける方法として有る規則がありました。一族の家柄にてちがいますが、役職や官職や屋号や地名などで呼ばれる工夫などをしていました。
福屋は地名か、讃岐籐氏の商いの方の「屋号」であった可能性があります。
恐らく、商い側の護衛役をしていたために後に屋号を姓にしたのではないかと考えます。
推測ですが、讃岐籐氏の青木氏が”商いの時に使用する姓を屋号で名乗っていた。
讃岐の青木氏=讃岐の福屋氏
藤原氏は家柄は最高ですし秀郷一門は藤原氏四家の一つで最高勢力を張った北家筋の中でも一番勢力を持った藤原氏です。
特にその中の青木氏は皇族賜姓族のひとつで特別に朝廷から青木氏を名乗ることを許されての一門です。
そのために商いの場合には直接青木氏を名乗る事はしなかったのです。
近江、伊勢、美濃、信濃、甲斐、の5つの皇族賜姓族青木氏と藤原秀郷流青木氏116氏の本家筋24地方の青木は豪商の顔も持っていました。「2足の草鞋策」です。
例えば、筆者の家は、伊勢松阪の青木氏ですが、大河ドラマでも3度も出て来る伊勢の豪商紙屋長兵衛
の顔も持っていました。讃岐の青木氏とは連携も有りました。
家紋ですが、毛利氏との血縁を讃岐籐氏の青木氏か一門が何れかが行った結果、2代続きで男子に恵まれず女系となり男性側の家紋となる家紋掟により養子先の毛利氏吉川氏の家紋となったと観られます。
当時の血縁は家柄の吊り合いから行いますので毛利氏との血縁は充分にありえると思います。
福屋氏と青木氏の関係がどのような関係に有るかが判断の分れ目になると思います。
尚、この讃岐籐氏の青木氏に付いては充分な資料がありますので、先ずは「青木ルーツ掲示板」の検索から「讃岐」でお調べください。
藤原秀郷流青木氏に付いては研究室に沢山の資料があります。
そこでご質問等有りましたらご遠慮なくお訪ねください。