お訪ねの件(雑談掲示板からの代理投稿)
家の家紋は「○内に違い鷹の羽」です。
菊池家家紋は○内に並び鷹の羽と思いますが
熊本の阿蘇神社と同じ家紋ですけど、なにがしの関係があるのか不明です。
今日は。菊池郡内の青木姓のお訪ねの方へ
さて、お尋ねですが、
先ず、「違い鷹の羽」の文様は浅野家が用いた文様です。
そもそも鷹の羽の意義は勇猛果敢な印象とその美しい鳥の姿と羽根の強靭な印象から紋様化したものです。
蒙古襲来以降によく用いられる様に成りました。
代表的な古い家紋は菊地氏の「並び鷹の羽」です。
この菊地氏が阿蘇神社を崇めて援助擁護していた事から、この神社の神紋とした事に依ります。菊地氏の守護神であります。
神社には2つの方式があり、一つは氏の自ら管理維持する守護神としてその神紋を自らの家紋とする方式です。
二つ目は神社の周囲にいた者が力を持ち自ら運営する氏神ではないがその神紋を家紋とする方式です。
菊地氏は北九州一帯を支配するほどの大豪族で自らの一族の守護神として阿蘇神社を管理運営をした前者の方式です。
後に、江戸初期にこの鷹の羽家紋が旗本御家人が多く使われました。
確認出来る.ところで80もあります。
「違い鷹の羽」の青木氏は藤原秀郷流青木氏です。
秀郷家紋主要8氏の中の一つに成ります。
江戸初期にこの藤原秀郷流青木氏が浅野家との血縁をして2代続きで男子の嫡子に恵まれず女系等となり養子を採りました事から家紋掟により養子先の家紋と成ってしまったものです。江戸初期の頃と見られます。
浅野家の安芸の国などの中国地方に定住していた秀郷一門の青木氏がここで血縁したとすると讃岐籐氏の秀郷流の青木氏の一族と観られます。
讃岐籐氏の青木氏は瀬戸内に大勢力を敷き安芸の国までその子孫を拡大させました。或いは阿波の剣片喰族の阿波の秀郷流青木氏が安芸地方に一部移動した事から血縁関係を結んだとも考えられます。
恐らくは讃岐籐氏の末裔と観られます。
並びと違い鷹の羽の青木氏との繋がりは有りません。
元は藤原一族の家紋116氏のどれかであったと見られます。116氏の青木氏の中でも家紋主要8氏に成っていますので大きな力を持った青木氏であったとみられます。
お家はその分家筋に当ります。
元々は藤原秀郷9氏が使用する綜紋の下がり藤紋の副紋であった筈です。
依って、お家は直接菊地氏との関係は無い事になります。
明治以降に移動が自由になったころに北九州にご先祖が移動したのではないでしょうか。それまでは氏家制度に依って縛られていましたので許可なくして移動は出来ません。武士であれば「国抜け」の犯罪者に成りますので一族斬罪に成りますので無宿者になります。主君の転封以外にはありません。(3期あります)依って、普通は明治以降になります。
この掲示板はメモリーが小さいので、ご質問が有りましたら青木ルーツ掲示板に専用欄を設けましたので、ここからお尋ねください。
依って、本文を写します。