草加市の青木さん 今日は。始めまして。
全国の青木さんが集う本サイトにようこそお越しいただきました。
これからもよろしくお願いします。
埼玉(武蔵の国)の草加市ですか、草加煎餅ですね。懐かしく思い出します。
実は私も長い間、この草加市に住んでいました。
綾瀬川の近くの氷川町でした。
ご先祖は代々神職との事ですが、草加には神社が3社ほどあった記憶がありますが、実はその一つの氷川神社の直ぐ側でした。
この地は藤原秀郷一門の本領国、領地で、入間を中心に一門の「第2の宗家」の宗家と呼ばれる青木氏が横浜神奈川を半径とする円状の中に護衛役として取り囲む様に総宗本家を護っていました。
この藤原秀郷流青木氏は116氏にも広がっていますが、秀郷の第3子の千国を始祖として室町末期まで大繁栄し、4代目の兼行系のルーツを持ちます。
その後この青木一族は仙台の手前までその勢力を広げました。
その青木一族の親族は永嶋氏、長沼氏、進藤氏、長谷川氏等にも広がっています。
特に永嶋氏と長沼氏は深い関係にあり、「青木一族」と呼ばれています。
この一族は自らの氏神と氏寺を持ち一族の内の者が神官や住職を務めました。
お家は代々神官職であるとの事ですので、この末裔ではないかと考えられます。青木氏の神官宮司職は全国的に多いのです。
この事から青木一族で神職で寺の住職をも兼ねていたとする事は十分に考えられ、その事例は藤原秀郷一門が定住する地域24地域には多いのです。(事情は異なりますが江戸初期、明治期にも起こりました)
寺の住職の宗派は本来では浄土宗であるのですが、室町末期ころから古代密教の浄土宗を一族で氏寺として維持する事が難しく成り、真宗或いは特に真言宗密教に宗派変えする事が関東で起こりました。
甲斐の国より東側で起こりました。これは下克上や戦国時代で狙い撃ちされた藤原氏一門一族の衰退が起こり、密教の氏寺の維持が経済的な事や焼き討ち等で氏寺を失うなどが起こり再建が難しく成った事に依ります。古代密教に比べてやや真言密教派は緩やかであった事から来ているものです。
恐らくはこの時に真言密教になったと考えられます。
この様な事は研究室にレポートしておりますので、膨大な史料ですのでゆっくりと楽しんでお読みください。
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