雑談掲示板より代理投稿します。
副管理人さん
はじめまして、戸籍謄本を父方(青木家)のほうを取り寄せると、祖父が北海道の旭区から東京に出てきた模様です。
父親や祖父が生きていた頃に菩提寺(東京が本家)で、どうも私は分家にあたるみたいです。
あと、亡くなった父親から聞いた話ですが父親の子供の頃、昭和20〜30年代の頃だとは思いますが、祖父と父親が、菩提寺に行っていたみたいで、そのときは過去帳とは言ってませんでしたが、家計図が無いといわれ、本家に家計図を渡したとのことを、お寺の方は言っていたみたいです。
祖父と父親が本家にも出向いて、話したところ、本家には家計図は預かっていないとのこと、いったいどこに言ったのかも、不思議で仕方ありません。
あと、私の今の本籍地は公務員宿舎になっており、本家がどこにあるのかも、確認してみないとわからない上京ではあります。
先祖供養のためにも、1回どこまでいけるかはわかりませんが、やってみたいとは思います。
資料室もじっくり読みつつ、自分がどの先祖になるのかも確認してみたいと思います。
最後に本当かどうかはわかりませんが、父親の話から聴いたことによると、菅原道真公が祖父が、東京にいるときに家計図を見たときには、祖父の名前が最後に書いてあり、菅原道真公も書いてあったと、聴いています。
そこのあたりも、本当かどうかは今の段階では、わかりかねますが、調べて生きたいところでもあります。
一応おしらせまで・・・
大阪の青木隆さん 今日は。
お便りありがとう御座いました。
拝見いたしました。
さて、早速ですが、お便りと歴史的背景から大方の推測出来ると思えます。
先ず、宗派から浄土宗であったが、お金が掛かり真宗東派に宗派変えした事です。
実はこの一点が大事なことなのです。
藤原秀郷流青木氏は浄土宗で、この浄土宗は誰でも入信できる宗派でなく、古代密教を前提としての宗派で身分家柄の高位(真人族、朝臣族、宿禰族に限定)の氏が入信し、経済的、政治的、武力的な力を持ち、独自にその氏で宗派を維持する仕組みでした。
他氏の氏と共に宗派を維持する仕組みの宗派ではない密教で特に浄土宗派中でも古代密教でこの仕来りを厳格に護って着ました。
天台密教、真言密教の3大密教です。
中でも、この浄土密教派は古代の密教を厳格に護ってきた宗派で真言密教とは大いに違う所でした。
(青木氏の氏一門で自らの独自専有の寺を持ち運営する仕組み)
ところが室町末期ごろから一門が衰退し寺を維持管理する事が出来なくなり、藤原秀郷流青木氏の多くはその財政的な負担で系列であるが密教ではない真宗に宗派変えをしたのです。
そこで江戸の初期に衰退する浄土宗に対して督奨令を発して浄土宗を保護しますが、矢張り密教性が強く一般の上級武士しか入信できませんでした。
従って、浄土寺が限定された地域にしか無ったのです。
明治初期前後頃に浄土宗であったが宗派変えをした事はお家の言伝えは史実から正しい情報と成ります。移住された事も大きな原因とされます。
ご祖父は北海道に居たとされていますので、この事から、明治の北海道開拓時代に渡ったものと考えられます。
特に、開拓に参加した多くの青木氏は歴史的経緯から観て東北北陸地域の関係からですので、陸奥青森の青木氏、岩手青木氏、新潟青木氏、長野青木氏の一門が上げられます。
可能性から観て又宗派を浄土宗としていた事、藤原秀郷流青木氏が多く定住していた事から、浄土寺を多く存在していたのは陸奥でその青木氏ですので、ここから推測しますと、ご本家ご先祖は陸奥の青木氏では無いかと思われます。
江戸時代は「国抜け」と云って国を自由に移動する事は出来ません。祖祖父か更に上の代の方の時代と成りますので、ここからスタートする必要があります。
明治維新からは戸籍簿がありますので確認は出来ます。
江戸より前はご本家筋の系列の菩提寺の過去帳が戸籍簿に成ります。
ですから、陸奥に総宗本家の菩提寺があり、其処の過去帳にご先祖の人たちの戒名と履歴が残っていると考えられます。
現在の菩提寺は明治以降の移動後のものだと考えられますので、過去帳及び家計図的なものは明治維新のご本家の戸籍簿で判明します。この維新の戸籍簿は更にもう一つ上のご本家と考えられます。
ですから、ご指摘のご本家に家計図が無いのは時代から観て、もう一つ上のご本家だと思います。そして、このご本家のルーツが陸奥になるのではと考えられます。
陸奥になるかは何か情報を見つける事が必要ですね。
明治維新の戸籍簿には何処から移動してきたか、身分家柄などが書いていますので其処からスタートする必要があります。其処に陸奥国住人とか陸奥国から移動云々等が書いている筈です。
明治以降の系譜を調べられたご本家の更にご本家のところに系図はあると考えられます。祖祖父以前のところですね。
歴史的史実より家計図は殆ど信用が出来ません。
家計図は一人の人間がつくりあげたもので代々書き足してきたもの以外は信用が出来ません。余程の事で無いと書き足しは困難で維持する事は乱世では無理です。
今と違い情報社会でない時代に歴史的知識も余りない時代の者が過去に遡り一個人が家計図を作る事等不可能です。
まして、戦国、下克上の焼き討ち、などで全て消失しているのが現状です。特に藤原一門は全てこの下克上の菩提寺の寺などの焼き討ち受けています。
江戸時代に家計図を搾取偏纂する流行が流行りそのような偽商売を無する業者が横行しました。
立身出世した者たちは江戸時代の風潮から家柄を良く見せるためにこの搾取偏纂した家計図を作ったのです。徳川家康を始めとして。
それよりは確実に100%のルーツを探るのは菩提寺の過去帳です。
ここで云う菩提寺とは青木氏独自で運営した一門の浄土寺のご本家筋の密教専有寺のことです。
これを見つければ戒名と俗名から全てのご先祖の生き様が判るのです。
ですから、先ずご本家筋のルーツを探る事から青木氏の一門の氏寺の菩提寺が見つかり、其処に過去帳がありますので、ルーツが判明します。
藤原秀郷流青木氏は地域がはっきりしていますので、辿る事はご本家筋と成ります。
江戸時代は現在と違い氏家制度の社会ですので、全て一門はこのご本家に集約されます。
調べられた際には、かなり専門的な史実の知識が必要ですので、ちょっとした小さい情報でも大きく進展する事がおこるのがこのルーツ検証の特長です。つまり、氏家制度の社会習慣の知識が大事なのです。
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