初めまして。
関口と申します。
家紋を調べていて、こちらに辿り着きました。秀郷流藤原氏の研究、楽しく読ませて頂きました。
現在、自分で我が家のルーツを調べているのですが、今一つ要領を得ません。氏と家紋から、恐らくは秀郷流藤原氏ではないか、と考えているのですが、もし此方で分かる事があれば、御教授頂けたら幸いです。以下に現在分かっている事を挙げます。
・先祖代々、現在まで群馬県勢多郡富士見村(現前橋市)に居住。
・姓は関口、家紋は下がり藤(丸は付かない)、宗派は天台宗。
・代々の菩提寺は和銅年間に勝道上人によって開かれた石井山珊瑚寺。上州七福神の一つで恵比寿天を奉ずる。元は禅宗の寺であったが、後に天台宗に。鎌倉期には尼寺であった。先祖にはこの寺の住職であった者も居る。但し、寺の紋は下がり藤ではない。
・同地域には関口姓が二系統あるが、もう一つの系統については、詳細が分からない。
・元は豪農で、かなり離れた最寄りの駅まで、他人の土地を踏まずに行けたらしい。
・実家の入り口には馬頭観音を奉った碑があり、実家裏には伊豆三島大社を奉っている(珊瑚寺とは恵比寿天繋がりか?)。
・祖母は村田氏で武家らしい。確認はしていないが、祖母の祖父は髷を結い、家のなげしには槍を架けていたと聞いた事がある。
・先祖代々の墓地を整理した際、古い墓石に藤原の文字があったと母が言っていた。
父の代で群馬から静岡に出た為、思うように調べられませんが、以上が幼い頃に聞いた話や、冠婚葬祭で実家に帰省した際に見たり聞いたりした話です。特に、母が見たと言う墓石の文字から、秀郷流藤原氏を疑い調べた処、佐野氏の支流に関口三郎を名乗った、佐野時綱と言う人物を見つけたのですが、佐野氏の家紋は左三つ巴、若しくは揚羽蝶で、その支流が本流筋の下がり藤紋を使う訳が無いですよね。私の知らない他の可能性もありましたらば、と考えて、書き込ませて頂きました。宜しくお願い致します。