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  [No.615] 福島の青木です。
     投稿者:福島の青木   投稿日:2009/08/30(Sun) 17:36:50

はじめまして!
私は自分の先祖に興味があり、家紋と青木という名字を頼りに検索し、ここにたどり着きました。

私の家の家紋は丸に5本の抱き角です。このサイトで調べると、武田系諏訪族青木氏だとわかりましたが、家には家系図も家宝も残っておらず、家族は無関心なのでそれが本当なのか調べようがありません。
(あとは家が代々浄土宗であることしかわかりません。)          また、自分は歴史が大好きで中でも戦国時代はダントツです。先祖が諏訪族ならば、仲間の友達や先生にも自慢出来るのですが、確信が持てません! それに分家なので実際関わりがあるかも微妙です……そもそも本家と分家の差はどれくらいあるのでしょうか?
どうか教えて下さい


  [No.616] Re:福島の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/08/30(Sun) 22:35:47


福島の青木さん 今日は。始めまして。
本サイトは全国の青木さんが集うサイトです。
これからもよろしくお願いします。

さて、お尋ねですが、青木氏のレポートをお読みになると色々な歴史に関する知識を記述していますので、ゆっくりと時間を掛けてお読みください。
本家、分家のことを始めとしてルーツを判断するに必要とする知識なども全て記述しています。

抱き角紋は諏訪族青木氏の家紋です。
この青木氏は信濃には皇族賜姓青木氏が守護王として平安時代まで務めました。天皇の自らの子供の第6位皇子が臣下させて朝廷の天領地の守護として、天皇を護る親衛隊として務めました。
この皇族賜姓青木氏が信濃に大化期に、中国の後漢が滅びた時に、光武帝より21代目の末帝の献帝の孫の阿智使王とその曾孫阿多倍王が17県の県民200万人を引き連れて九州北部に上陸し、瞬く間に九州全土と関西地方手前までこの勢力で殆ど無戦の状態で征圧しました。

この後漢の集団の首魁の阿多倍王は九州大隈半島に定住していましたが、進んだ中国の技能を広めて国民の生活を豊かにさせました。そして、帰化を申請し、認められて朝廷に呼び出されて伊勢北部伊賀地方を割譲して半国を与えられました。そして天皇家 敏達天皇の孫の芽淳王の子供の娘を娶り、3人の男子を設けました。この様に血縁をして准大臣に任じられました。
そして、その引き連れてきた集団も朝廷の官僚として働き日本の律令を作り上げたのです。
日本の第1次産業はこの集団が構築したのです。
この時、どんどん入国してくる帰化人の内未開地であった信濃に大型の外来馬を飼育する為に信濃に移動させました。そして、定住しました。発展開拓した彼等を護り、信濃国を北部民族から護り守護王として皇族賜姓青木氏が赴任したのです。そしてこの渡来人の馬部の首魁と血縁しました。これが皇族賜姓族の諏訪族青木氏です。この皇族賜姓諏訪族青木氏と武田氏と血縁したのが諏訪族武田氏系青木氏です。
武田氏系になるのは、皇族賜姓諏訪族青木氏の分家一部に男系の跡目がなく武田氏から養子を採り跡目を継ぎましたが、更に男子に恵まれず、女系と成った事から系図では男系の武田氏に所属する一族と成ったのです。
古くは、奈良時代の孝徳天皇の頃の後漢の民の帰化人です。
ですから、信濃には皇族賜姓系諏訪族青木氏、武田氏系諏訪族青木氏の二つの諏訪族の青木氏があります。
4つ角と5つ角の抱き角紋等があります。
お家のルーツはこの5つ角抱き角紋の武田氏系諏訪族青木氏です。
この一族は織田信長に追われて一族郎党は藤原秀郷流青木氏を頼り、伊豆、神奈川、横浜、栃木に逃亡しました。そこで更に子孫を拡げました。
恐らくは、ご先祖はその横浜から栃木に移動した諏訪族武田系諏訪族青木氏だと思います。
そして、その子孫が更に分流して行き関東の本家、分家と拡がっていったのです。

ですから、その総宗本家は先ず、神奈川付近にあり、更には、信濃諏訪地方に大本の宗家がある事に成ります。今でも諏訪には青木さんが多くて移住しています。
信濃の諏訪神社のあるところの付近です。関東に神奈川栃木などには諏訪神社が在りますがこのあるところがお家のご本家筋があるところです。その元は信濃諏訪神社です。

ですから、お家は天皇の第6位皇子の信濃王の血筋と後漢の馬部の首魁の血筋と武田氏との血筋を持つ大変古い伝統を持つ青木氏と成ります。
「馬部」とは阿多倍が後漢から引き連れてきた17県民の200万人の技能集団の中の馬を飼育する集団です。
「・・部」と着く氏名は全て後漢から来た職能技能集団の民です。
例えば、服部、海部、武部、綾部、磯部など沢山あります。これ等が日本の国民に中国の進んだ技能を教えたのです。だから、進んで配下に入り技能を教わり、戦わずして関西西北32/66国を無戦で征圧したのです。
これ等の集団の大首魁のこの「阿多倍王」の末裔孫の平国香から5代目のあの平清盛まで続いた一族です。つまり「たいら族」です。桓武平氏、京平氏、伊勢平氏とも云います。
関東の「ひら族」の「坂東八平氏」と異なります。

子孫の枝葉は総宗本家から本家。本家の分家、分家の本家と枝葉が伸びて行きますので、お家はこの何処の本家筋か分家筋かはわかりませんが、家紋が丸付き紋で無いとすると、何処かの本家筋の分家と成ります。
お家の総宗本家は先ず多分栃木にあると思います。次ぎのその本家は神奈川地域にあると思います。更に神奈川の本家は諏訪地方にあり、最後には元となった総宗本家は諏訪にあり、最後は、皇族賜姓青木氏の定住地の信濃国府付近にあります。

さて、お家の本家筋の分家は1582年頃の栃木にあると思います。
ご本家の住んでいた所には青木氏の氏寺の浄土宗菩提寺があり、其処に過去帳というものがあります。それを調べるとお家の分家が何処の位置にある分家かが判ります。
福島での菩提寺と成っている浄土宗寺では出ないと思いますが念のためにお調べに成ると良いと思います。それから、栃木から神奈川、諏訪と辿ると良い事に成ります。
兎も角も、お家の情報が少ないので確定は出来ませんが、確定するには先ずは現在の浄土宗のお寺さんの過去帳の一番古い人を調べて何時の時代の人か判別する事です。今のところでご本家筋が判ればその寺の過去帳を調べると繋がって行きます。

家紋に丸付き紋が無い所を観ると本家筋の分家です。(違いは家紋掟で参照)

これ等のことは全て研究室の青木氏氏のレポートとに詳しく書いていますし、青木ルーツ掲示板のところの諏訪族で検索してください。大勢の元親族の方のお便りがありますよ。それを読まれるだけでもお尋ねのことの知識が広がります。

「青木ルーツ掲示板」諏訪族検索で、「青木氏氏 研究室」の関連レポートを読破してください。
皇族賜姓青木氏関係などを先に。
お家のご先祖の事は日本書紀にも何度も出てきますよ。これも「日本書紀のレポート」に記述しています。

読破すると先生でも知らないほどの歴史のマニアになりますよ。
本家分家に付いてはその掟の「家紋掟」というものがありますので、それを把握すると本家分家の理解できます。
今、丁度、「甲斐武田氏の花菱紋の研究」の中編のところに家紋掟のことも書いていますのでそれを読んでください。それで判ると思います。(上から1/3程度のところあたりにあります。)
(他のレポートにも「家紋掟」のことを書いています。読破)

とりあえず、大まかに書きましたが、先ず読破して、その途中で判らない時などはご質問してください。

この投稿欄が福島の青木さん専用のお尋ね欄としますので次からはここからReでお便りください。


  [No.617] 福島の青木です。
     投稿者:福島の青木   投稿日:2009/09/01(Tue) 00:21:14

大変ためになりました!有難うございます!自分もこれを機に先祖のことを調べたいと思います。

まさか青木という名字にこれだけの歴史があると思ってもみなかったし、すごく驚きました!やっぱり知ることは大事ですね。

私は冬休みに偶然栃木に行く予定なので、そこから始めようと思います。

最後にこれからも研究頑張って下さい!応援しています
+何かとよろしくお願いします


  [No.618] Re:福島の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/09/01(Tue) 07:34:41

福島の青木さん 今日は。

冬休みに栃木にいかれるという事ですね

その前に。
ご先祖の事を知るだけでも「自分の尊厳」にもつながりますね。
「過去の先祖」は「現在の自分」であり「未来の自分」は「子供の自分」と成ります。
現在の遺伝学では血液型が同じであれば遺伝は80-90%を引き継いでいることに成ります。
これの意味する処は「過去の先祖」は「殆ど現在の自分」ですよね。
そして、子供や孫は「未来の自分」であり「自分の継承」と云う事に成りますね。
貴方が未婚の若者あるとすると、親は一つ前の「目に見える過去の自分」であり、もし子供が生まれると一つ先の「未来の自分」であり、更に孫が生まれると、最早、目に見える「未来の自分」だと云う事に成ります。ご先祖は目に見えない「過去の自分」と成ります。

人間は、他の動物と同じく、子孫を遺す事の目的の為に、この世に250兆分の一で生まれて来たのであり、孫が生まれた時の心のそこからの不思議な無意識の喜びは、この本来の動物に持つ本能の「目的達成の喜び」であると思います。
故に、先祖の事を知ることは「過去の自分の生き様」を知る事に成ります。
それはとりも直さず、「自分への尊厳」であり、強いては「伝統の尊厳」と云う事に成ります。
お家は歴史に興味があると云う事は、この事に付いて無意識で気がついている事を意味します。

そこで、情報を提供します。


栃木はお家のご先祖のルーツのところですから何か惹かれるものがあります。
私も皆さんもルーツを訪れますと何となく不思議に安らぎを感じると云います。
そこで、もし行かれるのであれば次ぎのところをご紹介します。

栃木県下都賀郡大平町と云うところがあり、其処に諏訪神社があります。

前回のレポートでお答えした神奈川横浜から、更に栃木南部に移動した諏訪族青木氏が最初に定住したところです。そして、一族はここに守護神の諏訪神社を建立しました。
ここが第1番目の福島の諏訪族青木氏のルーツに成ります。
訪れるのであればここを先ず訪れると良いと思いますよ。

次ぎに、この諏訪族が更に後に福島に移動定住したところがあり其処にも、守護神の諏訪神社を建立しました。
ではそこをご紹介します。

4ヶ所あります。
石川郡平田町 諏訪神社
いわき市 諏訪神社
田村郡 小野町 諏訪神社
双葉郡 富岡町 諏訪神社

この4つの末寺の元は栃木の諏訪神社です。
大本は信濃諏訪神社ですが。

この4つの諏訪神社がお家の守護神です。
福島の諏訪族青木氏一族の末裔の繁栄が大きく起こり、本家分家の4つに分かれた事を意味しています
どれが福島の諏訪族青木氏の本家かわかりませんが、神紋や社歴や寺紋や寺歴から判るのではと考えます。
其処までは私の方で研究は行き届いていませんが、お調べに成ると手近じかで面白い研究に成るのかなとも思います。(信濃の諏訪神社神紋は立ち三つ葉梶根付き紋です)
抱き角紋は4つの抱き角紋と5つの抱き角紋が在ります。
この4つの神社の神紋がどの様に成っているか調べると判ると思います。
神社の綜紋は上記の梶紋ですが、末社の神紋は建てた氏の綜紋(抱き角紋)を着ける習慣に成っています。
お家はこの何処の神社の氏子であったのでしょうか?。

興味がふくらみますね。
訪れる際には「青木ルーツ掲示板」に、先日もよくお便りを頂く諏訪族青木さんの方からお便りもありますし、検索でお調べになり事前知識としてまずはお読みに成る事をお勧めします。
そのお便りにも詳しく諏訪族のこともレポートしていますよ。

ではまた、訪れた際には是非お便りください。