お盆が近づく頃となりましたが、施餓鬼会の度に先祖のルーツが不明で悩んでいます。昔しから新潟(越後)の実家が真言宗の青龍寺の檀家総代を長男が引きついて担当していますが改築した古い墓石中に”渡邉梶太朗藤原かね房”がありました。*かねは現代漢字にはない様でした。父親から関が原の戦いで豊臣方に組したので、越後西蒲原に一族郎党が落ち武者狩りから逃げ落ちたとの事です。一族は鉄の精錬と農具等の生業で3兄弟が財をなし江戸時代には山林や田畑を多く所有していたそうですが、一族の中には”火の衣”という高僧が着る僧衣や刃先のみを別保管した槍等が本家の蔵あったとの事ですので京へ上る縁故つなぎが出目として古くからあった様です。”かね”は金属に由来すると思うのですが”金”の字ではありません。又、菩提寺横の奥深い細い山道を通り日本海に義経一行が落ち延び奥州に逃げたんだという話しを父から聞いていますので、奥州の藤原一族ともつながりがあったのでは思っています。奥州への途中の山形県に藤原一族の出目の有名な旧家渡邉家がありますので、つながりがないとは言い切れませんが、全く墓石名がどんなルーツなのか不明のまま数百年が過ぎようとしているのは残念な事です。