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  [No.570] 大阪の青木です。
     投稿者:青木 淳   投稿日:2009/06/24(Wed) 19:11:05

はじめまして、大阪の青木です。
以前から青木という名前・ルーツに興味があり、家紋の本などを読みあさっておりましたが
これといったものに出会えませんでした。
このようなブログがあり感動でいっぱいです。
私は関西出身ですが、父の本籍は佐賀県唐津市です。
父の実家では、うちは昔から農家だからと聞いておりました。
この青木ルーツ掲示板を読み、なにか私の先祖に対する一筋の道が見えてきたように感じました。
参考文献にありました肥前唐津青木系図は購入できますでしょうか、また購入が無理でしたらどこかで
閲覧することは可能でしょうか。
私の家の家紋は丸に剣片喰で、宗派は曹洞宗です。
まったく関係ないと思いますが、父の兄は戦時中、天皇陛下の警護をする近衛兵で、普通はそのような職にはつけないとか・・・・・色々いいます。
何か解りましたら宜しくお願い致します。


  [No.571] Re:大阪の青木です。
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/06/25(Thu) 20:17:49

ようこそ青木サイトにお越し頂きました。
同じ青木氏としてこれからもよろしくお願いします。
このサイトには膨大な青木氏に関する資料が用意されています。
時間を掛けてゆっくりと楽しんで少しづつお読み下さい。
ご質問や不明な点が有りましたら都度お尋ねください。
「青木ルーツ掲示板」に貴方様の投稿欄を専用に設けましたので、Re(返信)でお使いください。

さて、お尋ねの件の系図の件ですが、サイトは営利を目的としていませんので、残念ですが、判りませんとお答えするしか有りません。
閲覧は地元の史料館などで確認されては如何と思います。

次に、お家のルーツの件ですが、情報が大変少なく、時代性に於いても新しい物ですので、検証は無理です。
ただ、提供されましたのを前提にしますと、佐賀、剣片喰紋、曹洞宗の3つです。
(佐賀は江戸中期以前に居たとしまして。)
この情報からの結論からは、皇族賜姓青木氏5家5流24氏と皇族青木氏5氏、藤原秀郷流青木氏116氏ではなく、明治期に発祥しました青木氏(第3氏、又は未勘氏)と観られます。よって、ルーツの検証は無理と考えます。
付きましては、「青木氏氏 研究室」1Pの末端に「明治期発祥の第3青木氏』のレポートを先ずお読み頂き、その「検証条件」を照合して一つでもかける事があれば、この第3青木氏か未勘氏であります。宗派が曹洞宗であると云う事は既に条件から外れています。

浄土宗は氏家制度の中では高位の特定の氏(賜姓青木氏、藤原氏北家、賜姓源氏等)が入信できる宗派でした。藤原氏などは赴任等で24地方に移動していますので、その特定の宗派の浄土宗がありません。そこで、止む無く、浄土真宗に入信しました。(帰還後戻す)
しかし、曹洞宗は一揆などを起こした事などその教義も含め全く反対の階級を信徒とする宗派でした。
先ず特別な事情がない限り上記2氏の青木氏がこの宗派の信徒となる事はあり得ません。
現在、史実として、ある国の1氏だけがある事情でこの曹洞宗に入信しています。
しかし、この1氏も江戸寛政の歴史書には「青木氏第三の系図」(第3氏の青木氏)として記載されています。

そこで、ルーツ条件を、宗派を除いたところで、全てが適合していればの事として、ただ一つ、剣片喰紋の家紋から観た場合の検証ですが、福岡、長崎に赴任した藤原秀郷一門の護衛としての藤原秀郷流青木氏が現地子孫を遺したとされています。ただしこれも未勘氏でその確証は取れていません。
この青木氏の可能性があります。
剣片喰族は中部域に多く分布する藤原一門の氏です。この家紋を持つ藤原秀郷一門の青木氏が、この内の一つであるとするならば、佐賀に古くから定住していたとすると、地理的に間に挟まれているためにその可能性もあります。
(皇族賜姓青木氏と皇族青木氏はと限定した特定の地域に分布していますので、検証外です。)

しかし、逆に”何故、曹洞宗”と成ります。
藤原秀郷一門は大変伝統を重んじる氏です。特に青木氏は「第2の宗家」と呼ばれていましたので、宗派を変えることなどは先ずあり得ません。現在まで、曹洞宗の氏が藤原秀郷流青木氏116氏の中にある事は確認出来ません。

まして、曹洞宗は藤原秀郷流青木氏116氏が発祥してのかなり後の宗派です。
これ等2氏にはその家柄上最低でもそれなりの「伝統」(氏家制度の習慣)を維持しています。
お家にこれ等の伝統がない事は既に条件に適合しない事を意味しますので、一度良く確認されて検証ください。(明治期以降は氏家制度の社会ではありません。)

先ずは条件のお家の菩提寺の有無確認と過去帳の存在、役所の明治初期の戸籍簿の身分の項のところが、平民か士分かを確認する事で素早く確定します。第3氏と未勘氏にはこの条件がどんなにカモフラージュしても出来ません。
先ずは、一度、ご確認ください。

最後に、明治の近衛隊は明治期から農民を主体とした政治信条を含む「屈強な者」を主体とした編成です。長州と薩摩の軍隊が徳川幕府を攻める時に農民を兵として「ちんらいさん」と呼称されて京に入り、その後、徳川幕府を倒しました。これ等の軍が近衛兵になったのです。
元は、奈良期平安期は宮殿の三門を護るこの親衛隊の役目は皇族賜姓青木氏が担ったのです。(後に藤原氏も)
天智天皇の第6位皇子にその役目を命じて、皇族から臣下した氏でその最初が伊勢の皇族賜姓青木氏で伊勢王(施基皇子)でした。この氏は現存します。
このことから観ても、明治の近衛兵とすると、「第3の青木氏」と成りますが、少ない情報での検証とご確認ください。

先ずは、研究室の条件をご確認ください。

ご質問有りましたら、お便りください。お待ちしています。