Re: うちの家紋は・・・???
副管理人さん 2008/06/05 (木) 17:48
T-Tさん 今日は。始めまして。
ようこそ青木サイトにお越し頂きました。
これからも宜しくお願いします。
さて、お尋ねの件ですが、あなた様のお名前が判りません。
家紋掲示板は青木氏に関する家紋類です。
青木氏でないとすると、貴方が云われる家紋はありません。
又、青木氏であるとしても、この家紋を持つ青木氏も有りませんので、明治以降の苗字令により発祥したルーツや家紋が確認出来ない青木氏だと思います。
どちらにしても、明治までの日本の家紋8000ある中ではこの家紋は有りませんので、明治以降に一族だけではなく1氏だけで家紋としたとも思えます。
そこで、折角ですので、この丸付き紋の揚羽蝶紋に付いて、知る範囲でお話します。
日本の蝶紋の文様は97文様あります。
その中に、「三連蝶紋」という文様は12あります。
そして、この三連の揚羽蝶の文様は3つあります。
しかし、この3つの揚羽蝶には丸付き紋は有りません。
この3つの「三連揚羽蝶紋」は池田氏と大河内氏が使用しています。
この三連揚羽蝶紋は、信長が戦いのときに軍を分ける為に使用する幟(のぼり)として使用し、これを家臣に持たせたものが、その家臣の氏が後に家紋としたものです。
岡山、鳥取、愛媛に多くあります。
そこで、この家紋に丸がついている事に成りますので、「丸付き」の持つ意味には沢山の意味を持っています。
例えば、幾つか例を挙げますと、
本家が三連揚羽蝶紋の使用を認めなかったので丸付きとした。
本妻ではなく妾の子供であるので、丸付き紋とした。
男系跡目ではなく、女系になった氏が丸付きにした。
血縁の低い者が三連揚羽蝶を使用として丸付き紋にした。
家紋や系譜が無いので、とりあえず丸付きにした。
明治以降の庶民が家紋を作ったが「三連揚羽蝶紋」を勝手に使用すると文句が出るので問題を避ける為に丸付き紋にした。
歴史上から観て、何らかの血筋を遠い縁で持ち、「三連揚羽蝶紋」の者が、何時しか家紋を失い、家紋を戻した。この様な意味を持っています。
只、この揚羽蝶紋は平家紋ですが、基本的には丸付き紋は家紋掟で使用していませんので有りません。
お家の家紋はお名前も判らないし、このどれに当るかはわかりませんが、家紋8000に無い極めて少ない家紋ですので、絞られてきます。
ご質問が有りましたら、お尋ねください。わかる範囲でお答えします。
以上です。
来場記帳のところに記帳して頂きました事を後で気づきました。青木さんですね。すみませんでした。
所でご先祖の石川県ですが、何時頃の時代の方でしょうか。これに依って話しが変わります。この家紋は上記した2つの氏が使用しているので、岡山、鳥取、愛媛の住人に成ります。
この3つの土地には、先ず岡山には、藤氏の讃岐青木氏の末裔、鳥取の米子と八頭には足利氏系青木氏、愛媛には香川よりに藤氏讃岐青木氏が定住しています。
仮に、余り移動していないとして、鳥取付近の住人であった事も考えられます。
そうすると米子か八頭の青木氏が住んでいる地域に居て、この青木氏に跡目が無く止む無く池田氏支流から男子の養子を取ったが、娘との間に又男子が生まれず、家紋は池田氏の支流「3連揚羽蝶」紋になり、何らかの理由で池田氏支流紋が使えなくて丸付き紋にした。但し、池田氏が丸付き紋を使用しているかは専門外で判りません。(信長に与えられてものであるし、平家類似紋でもあるし、普通は使わない。)
米子の青木氏は信濃の皇族賜姓青木氏が土地の豪族の足利氏と血縁して出来た氏ですが、藤原秀郷一門と争い足利本家を奪われて、本家に同行して米子付近に逃げ延びた氏です。
それか、家紋8000に無い家紋からすると、この地域にすんでいた者が明治の苗字令で池田氏の青木氏に因んで名乗ったとも考えられます。第3の青木氏であります。
(例えば、埼玉、栃木等の藤原秀郷流青木氏では「下がり藤紋」に因んで青木氏を名乗り、その家紋に丸をつける青木氏が多いのです。藤原秀郷の一門の「下がり藤紋」は丸付き紋は使用していません。)
以上、3つの何れかに成ると思われますが、確定する情報が全く有りませんので、何かちょっとしたものでも時代性(江戸以前)のある事であればお知らせください。
ではお便り楽しみにお待ちしています。