Re: 千葉の青木です
副管理人さん 2008/06/06 (金) 09:40
このサイトは、青木氏のことに付いて多くレポートをしています。管理人さんと打ち合わせて沢山計画がありますが、慌てず少しづつ計画を進めています。これからもどんどんレポートしますのでお読みください。
さて、お尋ねの件ですが、
土地は千葉野田市との事ですね。
宗派は曹洞宗との事。
この二つの情報ですが、正直むずかしいですね
そこで、お調べになるポイントの情報を提供します。
既に、本サイトのレポートをお読みと思いますが、改めて書きますと次の様に成ります。
千葉には、藤原秀郷一門の結城氏がいます。千葉の結城地域です。
この結城氏は藤原秀郷一門の朝光と言う者が先祖伝来の土地として守ってきましたが、桓武平氏に奪われ、更に後には坂東八平氏に奪われて、土地を離れ一門の居る武蔵の国で生活をしていましたが、朝廷の命が下り上野の国司として赴任しました。その後、鎌倉幕府が出来て、この鎌倉幕府に一番先に合力しました。この勲功で、本領安堵され、結城を取り戻す事が出来ました。
この結城氏の護衛役を同門の藤原秀郷流青木氏の分家が担いました。
そして、ここに藤原秀郷流青木氏が住み着きました。江戸幕府になっても水戸徳川氏の家来になり、ここに定住していました。
先ず、この流があります。
次に、藤原秀郷一門は武蔵の国を領国としてそれを取り巻くように護衛役の一門の青木氏が下野、茨城、栃木、群馬等に存在し、埼玉の入間を中心に横浜神奈川を半径に円を描く様に、何重にも青木氏の本家から外円に行くほど分家、分流、支流、分派が円を描いて取り囲んでいました。
この一つに野田付近も護衛役の支流の青木氏が護っていました。
この青木氏の流があります。
特別に、栃木と神奈川に皇族賜姓族の武田氏系青木氏(諏訪青木一族)が信長に追われて逃れてこの藤原秀郷流青木氏を頼って移ってきました。
この3つの青木氏がありますが、これと、明治3年の苗字令と8年の督促令に基づき、姓を持たない一般の青木氏が、土地の青木氏に因んで青木氏を名乗りました。この地域には、この明治期に発祥した青木氏が大変多いのです。村全体が突然ある日青木氏に成るなどのことが起こりました。
この青木氏には、藤原秀郷流青木氏と異なり、幾つかの違いがあります。
それは先ず、1番目には、家紋です。藤原秀郷流青木氏は主要9氏で116氏が有りますが、この116氏の家紋は系譜が取れますので明確です。
2番目は、伝統の内の宗派です。藤原秀郷流青木氏は鎌足を先祖とする特別な家柄でしたので、浄土宗です。浄土宗は皇族青木氏、公家、橘氏などの真人族、朝臣族が入信する宗派でした。只、地方に赴任した一門は浄土寺が無いので、系列の浄土真宗に成っているものもあります。
3番目は、この藤原秀郷流青木氏には独自の菩提寺と神社を私有しています。一族の者だけを祭る寺と神社なのです。
4番目は、ですから、昔は役所の役割を担っていた寺と神社を独自にもっていますから、ルーツの系譜が取れますし、本家筋あたりでは青木氏の何らかの伝統を長く保持しています。
5番目は、古い人の官職名があるのか、何であるか、
藤原一門はこの官職名がはっきりしています。
6番目は、古い江戸期以前の由緒の有無。
7番目は、墓所の墓石の家紋と周囲の青木氏との家紋の違い
(周囲の青木氏の家紋は家紋掲示板に存在するものかどうか)
他にも判別できるものがありますが、明治期と室町末期と江戸初期の3期の混乱期の発祥の青木氏とは、とりあえずこの7つで殆どが出来ます。
(明治3年まで皇族の者が藤原氏の青木氏以外に使用の禁令が働いていてました)
先ず2番目の宗派は曹洞宗ですので、外れます。3番目も外れます。
藤原秀郷流青木氏は伝統としてこの宗派は絶対に護るものです。
ただ、1、4、5、6、7番を調べる事で変わることの条件がありますので、お調べになるとよいと思います。
本家筋の家紋はなんであるか、本家筋がどこか、何時からそこに居るのか。本家筋の曹洞宗の菩提寺のある場所、菩提寺にある「過去帳」に先祖の一番古い人は何時の時代で、誰か、官職名は。(寺で教えてくれる)
本家かお家の市役所の戸籍簿の最も古い人の明治初期の人の身分は。(士分、平民などが書かれている。)それ以前は菩提寺の過去帳です。江戸期の過去帳に載っていないのであれば、明治期の青木氏です。
先ずは、家紋で賜姓族か藤原一門かは判りますし、このどちらでもない事が判ります。
とりあえず以上ですが、先ずは上記から始められて参考にされてお調べください。
以上、不明な点はご質問してください。
では、お便りお待ちしています。