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  [No.305] 母方の平野さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 14:50:09

母方の平野さん
副管理人さん 2007/06/15 (金) 09:43
はじめまして。こんにちは。
現在、母方の先祖のルーツを探しています。ぜひ管理人様の意見を伺いたく、メール投稿させていただきます。
私の母方の実家は、山口県の大内にあります。どうやら昔からそこにいたそうです。

母の実家の姓は「平野」です。
家紋は「丸に三つ鱗」です。
色々調べていく中で、北条家の庶流、「平野家」の末裔かとも
思ったのですが、大内家のつながりかもしれないという、謎があり、今回ご相談に伺いました。
現在分かっている手がかりと、疑問点です。

1 姓は「平野」 (過去帳を見る限り、江戸初期まで遡ってもこの姓です。)

2 家紋は「丸に三つ鱗」(れっきとした丸に三つ鱗です。間違いありません。)

3 母方の祖父曰く、平野家は大内家の家来だったという言い伝えがある。
(祖父は昔、終戦直後朝鮮から引き揚げてきたとき、近所の人から、若殿が帰ってきたと言われたとか。)

4 もし北条の分家、平野氏だとするならば、尾張地方を治めていた平野氏が、果たして山口(周防)の方に来たのか疑問。

5 大内家の支流の中でも、「平野」と名乗っているものがいる。(平野郡を治めた由来らしい。)
しかし、かつて平野郡であった場所とは離れていますし、もし大内家の支流であるならば、そもそも家紋が丸に三つ鱗ではないはずです。


現在、情報収集を必死で行っています。
どんな、考えられる説でもよいので、ご意見を伺えることができればありがたいです。
どうぞよろしくお願いします。

ご姓が判らないので、どこかのケンケンさん。
今日は。 始めまして。
さて、お尋ねの件ですが、このサイトは青木氏に関わるものですので、専門外なり、すみませんがお答えが出来ません。
ただ、お調べになる事でご注意さることを次に記述します。

みつ鱗文様は確かに北条氏の家紋です。
北条氏には前北条と後北条とがあり、後北条は正確には北条氏とは言いがたいところです。
足利氏の家来で合ったものが流れてきて、北条氏の家来になり、事務的に有能であった為に最終北条氏を乗っ取ってしまったものです。
この支流に平野氏があります。

この平野氏が山口に流れてきたとすると、問題は時代性です。
室町末期ごろから、江戸初期の戦乱で世が乱れて、この平野氏の支流の縁者の身軽な者が出世を夢見て山口の方に流れて言ったと考えられます。宗家縁者関係の一族は先祖と墓を護る必要から土地から離れることができません。
当時は、戦乱ですので、多くの家来を抱えて国を護る必要からこの様な者を雇いました。
室町中期以前までは「国抜け」と言って一族尽く死罪で子孫は絶えますので出ることは出来ませんでした。
多分、この平野氏の何らかの血縁を持つ身軽な者が山口に移動し、そこで、手柄を上げて仕官し定住して末裔を広げ出世して名主か郷士か地侍かになったと考えられます。
室町初期から始まった「下克上」で名家は殆ど滅亡しました。よって室町末期から発祥した侍は100%この種の者達です。徳川氏を始めとして。本当のルーツを検証するには室町初期前のところからの史実による必要があります。

その証拠に、御家の家紋は三つ鱗に「丸付き紋」です。
丸付き紋の持つ意味は、分家として、妾腹による末裔で宗家が認めなかった場合、養子婿となり2代続きで女系に成った場合、間接縁者で本家の家紋に真似た場合、第3者の無断借用の場合、があります。
御家は身軽に山口に移動できている前提から、間接縁者の者が出世して止む無く家紋が必要なので三つ鱗紋を使用して丸をつけた可能性が考えられます。室町末期から江戸初期に発祥した丸付き紋はこの場合が多いのです。総宗本家の認可の無い家紋であるのではと思います。
平野という地名は各地にもありますので、地名と姓を連想は危険です。

江戸期の系譜は100%信用できないのが、この種の定義です。
宗派の違いと、菩提寺がどこかと、母方の本家筋のルーツと、過去帳の違いを調べられると確定は出来るでしょう。
兎も角、この想定で調べられると良いと思います。家紋と時代性からするとこれで矛盾は出ないと思われます。

あくまでも、専門外ですので確かな事はいえません。


  [No.306] Re: 母方の平野さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 14:51:25

Re: 母方の平野さん
青木のケンケンさん 2007/06/15 (金) 10:55
貴重な情報を、どうもありがとうございました!
ぜひ参考にさせていただきます。


  [No.307] Re: 母方の平野さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 14:54:02

Re: 母方の平野さん
青木のケンケンさん 2007/06/15 (金) 11:19
すみません、再度返信させていただきます。
調べるにあたってのアドバイス、ありがとうございました。
何か、室町時代〜江戸初期あたりの北条や、平野氏のこと、
家紋についてのことなどの参考文献などがございましたら、
ぜひ教えていただきたいのですが何かあるでしょうか?


  [No.308] Re: 母方の平野さん
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/21(Wed) 14:55:11

Re: 母方の平野さん
副管理人さん 2007/06/15 (金) 21:04

すみません。私は青木氏の事に付いては研究しましたが、北条氏に付いては良くわかりません。
青木氏を始めとして北条氏などは個人が長い間に研究してそのルーツを明らかに成ります。
従って、北条氏を詳しく調べた人が居るか、居たとして正しいかという事が起こります。
というのは、この時代の事の系譜や家紋や氏名は、前にもかきましたが、”搾取偏纂”が殆どです。
出世の為に必要とした家柄や家紋が、下克上や戦乱で名もない者が出世したことから搾取するしかなかったのです。それでも納得されるのであればそれでよいのですが。

特に平野氏に付いてはかなり難しいと思います。
折角、青木氏に来られたので、検証するときに必要とする知識の一端を紹介します。

例えば、歴史で習った「源氏」とありますね。徳川氏を始めとして多くの氏が源氏であるとしています。ところが、ある5つの氏を除いて源氏は完全な状態で滅亡しています。しかし、江戸時代の氏は源氏一族としています。家紋が笹竜胆で無いのに。
源氏にはある一定の条件が成立します。11代の天皇の第6位皇子が臣下した皇族賜姓族であるので。
宗派や菩提寺や地域などで限定されてくるのです。しかし、源氏と主帳する氏一族はこの条件に100%で矛盾しています。いかにも直流であるかのように。徳川氏が良い例です。

徳川氏は嵯峨天皇から14代目の天皇の第6位皇子の源氏であるとしていますが、14代目は既に源氏として南北朝時代であり、第6位皇子の臣下は意味の無い時代でした。
この時代の源氏を名乗り作り出せば歴史的に矛盾が生まれないからです。

ある時、一人の僧侶が松平の三河に来て門前に立ち、それ以後、居着いた。
当時は、天皇家の者が皇位継承の第6位から外れる皇子は、門跡院や比叡山に入りました。還俗し下族するときは、天皇家の身分の朝臣を名乗る事が出来ます。この条件を搾取して使ったのです。
本来では青木氏に成ります。しかし、青木氏を名乗ることは禁令です。そこで同族の源氏を使いました。ここに間違いがあります。
青木氏を名乗れる天皇家の者は、全部で17人しかいません。この内子孫をのこしたのは3氏だけです。ここでも矛盾があります。
幕府を開くときには、征夷代将軍になるには源氏一族である事が必要です。将軍になるにはこの条件が必要です。そこで青木氏では成れませんので無理に源氏としたのです。朝廷は源氏を名乗れるのは5氏以外にないわけですから、嘘と搾取の源氏である事はわかっていますから、断わりました。
しかし、天皇家に対して経済的に押さえて圧力をかけました。天皇家は生活に困るほどになりました。有史来初めて嘘を止む無く認めました。一気呵成に次に「源氏棟梁」を認めるように迫りました。天皇家はこれは完全に断わりました。そこで、妥協案として新しい官位の「源氏長者」で認めさせました。
源氏は、浄土宗です。自前の菩提寺と神社を持っています。住職は青木氏です。宮司は佐々木氏が一般です。この様に色々と条件があります。しかし、江戸期にはこれ等の条件に矛盾し無視して源氏を名乗っているのです。
ルーツを解明するには、この様な知識からマスターする事です。でなければ、正しいルーツは掴む事は出来ません。平野氏は特定の氏ではないし、他にも平野氏を名乗っている氏もありますので、現在ではかなり史料がなくなっているので難しいのではと思います。
それよりも、先ずは丸付き紋の山口の宗家又は本家を調べ上げることが先決です。分家では答えは出ません。次に丸付き紋の無い本家を見つけ出す事です。それにはお寺の過去帳から始めることでしょう。
お寺も菩提寺である事が大切です。菩提寺があるかないかでもおおよそは推理がつきます。

その本家宗家の菩提寺の最も古い先祖の時代と、北条の平野氏の過去帳をつき合わす事からはじめる必要があります。

次に何故に、丸付き紋になったかを調べる事です。
山口の先祖の最も古い人の時代が何時であるかでも大まかにわかります。

この様に推理を立ててひとつ一つ潰すしかありません。
前記したような平野氏の矛盾の無い推理立てが大事です。
そこで違えば第3の平野氏です。明治初期の苗字令での第3の平野氏と成ります。
家柄を良く見せる為に、この第3の氏は室町末期と江戸初期と明治初期に起こっています。

調査の過程でご質問があれば、ご協力してお答えします。
”推理”をキーワードに頑張ってください。