Re: 三つ盛州浜の青木です
副管理人さん 2007/06/10 (日) 22:46
三つ盛州浜紋の青木さん 今日は。始めまして。
青木サイトに良くお越し頂きました。
これからも、良くお訪ねください。同じ青木さん同士でコミニュケ−ション致しましょう。
解らない事や疑問やご意見がありましたら、研究室や雑談掲示板でお尋ねください。
さて、お尋ねの件ですが、このサイトには沢山の史料が用意されていますので、本日のお答えも既にレポートされています。
研究室の右メニューから、先ずは、「藤原秀郷一族の生き方」をお読みください。
既に家紋掲示板の州浜紋をお読みとの事ですので、上記のレポートをお読みなって、次に、「青木氏と血縁族(家紋)」のところの州浜紋の頃をお読みください。
ご質問にお答えする事が出来ると思います。ただ、長文のレポートですのでゆっくりと楽しんでお読みください。
そこで、解らないときはご質問ください。このサイトにはあらゆる関係のレポートを保存しています。もし、他に知りたい事などありましたら、ご要望ください。
研究室の検索で選ぶことが出来ます。
概略は、藤原秀郷の一族で、大化の改新の藤原の鎌足から8代目の人物ですが、この三男の千国と言う者が藤原秀郷一門を護る護衛役を担って侍となりました。
これが藤原秀郷流青木氏です。
藤原秀郷一族には、永嶋氏、長沼氏、青木氏と長谷川氏と進藤氏の主要5氏から成っています。
この内、この青木氏は千国から続き、4代目なって兼行からは青木氏が出ています。
この兼行らは陸奥に鎮守府将軍として征夷を鎮圧する為に出向きました。この時に青木氏が護衛役として同行しました。土着の豪族に5氏ありましたが、これ等と血縁を結んで良好な関係を保ちました。この中で、州浜紋を家紋とする小田氏がありました。同行した青木氏には嫡子が無く、男子が出来ずに、この小田氏との血縁を結び、養子を迎えましたが、更に嫡子が出来ずに女系と成り、家紋掟から、止む無く家紋は、養子先の州浜紋の家紋となりました。
元は、この青木氏は藤原氏の「下がり藤紋」の家紋でしたが、州浜紋に変紋となったのです。
ところが、更に、この州浜紋の青木氏は、更に養子を迎えなくては成らない結果となり、州浜紋の分家筋に当る三つ盛州浜紋との血縁を結びました。しかし、更に、嫡子が2代続きでなく、女系となったことより、今度は、三つ盛州浜の家紋となったことに依ります。
この三つ盛州浜の藤原秀郷宗家一族は、朝廷より赴任先の変更を告げられて、美濃や甲斐などへ移動しました。この時に藤原秀郷の宗家の護衛役である青木氏も当然にこの地に同行しました。
そして、ここで定住する事になったのです。その後に何らかの理由で相馬付近に移動したものと考えます。
この地では、御家が三つ盛州浜の青木氏の宗家であるかはわかりませんが、嫡子が続き変紋をせずに居られた事に成ります。
この時に、同じく、陸奥の豪族の武田氏も藤原秀郷一族と血縁し、その後に移動しては甲斐で勢力を伸ばして5代で続きましたし、信濃では小田氏が勢力を高めました。また、陸奥の山田氏や花山氏等も美濃や信濃や甲斐で勢力を高めました。
藤原氏は4家と言って4つの流があり、この中で最も勢力を持ち生残ったのが北家で、この秀郷は北家です。藤原氏の直流です。天皇家や公家はこの血筋を受け継いでいます。
先ずは、詳しくは「藤原秀郷一族の生き方」をお読みください。
他に、青木氏のことは何でも詳しくレポートしていますので、ゆっくりとお読みください。
地名地形データーベースでも、陸奥や甲斐国の青木村を参考にするためにチェックしてください。
それでは、お読みなってご質問がありましたら、ご遠慮なくお尋ねください。お待ちしています。