Re: 補足です
副管理人さん 2007/05/23 (水) 22:07
今日は。始めまして。
青木サイトにようこそお越しいただきました。
これからも宜しくお願いします。
さて、お尋ねの件ですが、この答えの詳細は、この「研究室」のメニューのところから「青木氏と血縁族(家紋)」(鷹の羽)の所を参照して下さい。
又、「家紋掲示板」にも青木氏に関わる文様の内4つが、青木氏の家紋と成ります。ここも確認ください。「違い鷹の羽」紋には、左と右がありますので、左が上に来ている「違い鷹の羽」紋かを確認してください。
この家紋のルーツの土地柄は「地名、地形のデーターベース」の美作国(岡山、広島)のところにも記述しています。
江戸時代の初期に美作の土豪の浅野氏が勢力を高めて勢力をこの地に支配していました。
そこには、この地に平安期に守護(公則)として赴任していて、その後、鎌倉期で職を失い、土地に定着した藤原秀郷流青木氏が、その元から持っていた力を利用して土豪となっていました。
藤原秀郷流青木氏に付いては、「藤原秀郷一族の生き方」(1-13)に詳しくレポートしていますのでゆっくりとお読みください。
この二つの土豪が、血縁をしました。
しかし、これには「家紋掟」という規則があります。
藤原秀郷流青木氏には元は下がり藤紋ですが、そこから116氏に拡がっています。。
浅野氏と血縁したこの藤原秀郷流青木氏は、嫡子が無く浅野氏から娘に養子を迎えましたが、男子の嫡子に恵まれず、その娘に再び、養子を向かえました。
その子にも嫡子が出来ず、二代続きで女系となってしまいました。
この場合は、家紋掟により、男系跡目の掟があるので、最初の養子先の浅野氏の家紋と成ります。
この時、浅野宗家からの許可を得られれば、違い鷹の羽と成りますが、得られなかった場合は丸付き紋の支流と成ります。
最初の養子に嫡子が生まれていれば、家紋はその子供に元の家紋を使う事が許されますので家紋は戻る事に成ります。その間は一時、浅野家の家紋か丸付き紋で過ごします。
この繰り返しで家紋は決まります。
この浅野氏の違い鷹の羽紋は江戸初期に生まれましたので、新しい家紋と成ります。
そこで、この検証は「家紋」を前提にしたものです。
ところが、藤原秀郷流青木氏一族は浄土宗です。(特別な場合は浄土真宗、地域限定で天台宗と真言宗がある)
浄土宗は高位の藤原氏とか皇族賜姓青木氏などの身分の者しか入れない特定の宗派です。
しかし、、日蓮宗ですので、矛盾が生まれます。
氏家制度の中では、浄土宗から宗派変えは原則有りません。浄土宗派は家紋と同じく家柄を示す絶対的なシンボルであります。
そこで、室町期末期か江戸初期と明治初期に下克上、戦国時代で伸し上がった者(家紋や宗派の持たない者)や一般の者が、入ったのが日蓮宗です。
室町と江戸初期には、下級武士や武士以外の者が入りました。
又、この者等は氏名と家紋と系譜も掟を無視して無断で使用すると言うことが、この時期に起こりました。
この青木氏を「第3の青木氏」と云います。
(研究室の検索で「第3の青木氏」で調べてお読みください。詳しくレポートしています。)
浄土宗の藤原秀郷一族は、限定した各地に自らの菩提寺を持っていますので、その菩提寺から先祖を鎌倉期以前まで登る事は一般的には可能です。
浅野氏は江戸初期の氏ですので、遡ることは難しいと思いますが、一度調べてください。
この浅野氏は、日蓮宗であるのかは解りませんが、変紋を余儀なくされたときに宗派変えをした事もあり得ますので。(ステイタスですので変えるのはなかなか考えにくいのですが。)
皇族賜姓青木氏と藤原秀郷流青木氏の2つのルーツは、青木氏33家紋と成りますが、日蓮宗の青木氏は特別な場合を除いて確認出来ません。
「左衛門」の名に付いて、これは朝廷の官職名です。この「左衛門」の人は何時の時代の人でしょうか。
(研究室の「青木氏の官位官職職位」の所に詳しくレポートしています。)
江戸初期前の人であれば、武士でありますし、2つのルーツを持つ青木氏の官職からして考えられます。
しかし、江戸中期ごろからの人であれば、特に明治の人であれば、誰でもが使用しましたので、判定要素になりません。
ご本家はいつの時代からこの千葉に住んでいますか。
この家紋との血縁をする事には江戸初期前であり、当時の慣習から美作の国である事が必要ですが、いつでしょうか。
(当時は”特別な許可”なく国を出て、他の地方で自由に住むという事は出来ません。これを犯した場合は、”区抜け”というきつい罰則が掛かります。他の地方で知り合い結婚と言う事は簡単には出来ないわけです。家柄がある場合は尚更ですし、養子ともなれば殊更です。当時は見合いと政略結婚が主流です。テレビドラマではありません。)
結論としては、藤原秀郷流青木氏か第3の青木氏かのどちらの青木氏かは、現在の情報では確定は困難です。
第3の青木氏であると、江戸期以前にルーツを見つけることは出来ません。
日蓮宗の宗派になった時期が確認されるか、何か他に情報が見付かるかすれば、確定は出来るのではと思います。
参考
浄土宗は江戸幕府が初期に信者と寺が余り少なく経営が成り立たなく成っていましたので、上級武士や大名クラスの御家人に奨励の令を出して進めました。これにより各地に多くなりました。
それでもなかなか入れない宗派でした。明治に入ってからは自由になりました。
江戸時代は忠臣蔵の前の浅野家は、本家分家で4つの土地の守護となるほどの大名ですので、この一族は浄土宗です。
参考
千葉には、浄土宗の寺が少ないですがありました。藤原秀郷の末裔24氏の一つの結城一族がここに勢力を張っていました。そして、この一族を護衛する藤原秀郷流青木氏も定住していました。
上記の条件次第では、この青木氏が美作の浅野氏から婿養子を迎えての血縁を結んだ事もあり得えます。
何か有りましたら、ご遠慮なくお尋ねください。お待ちしています。