Re: はじめまして
副管理人さん 2007/03/23 (金) 20:48
栃木の青木さん 今日は。始めまして。
御家のことは詳しく家紋掲示板の2Pに抱き角紋の4つの青木氏がレポートしています。
又、この研究室の「青木氏と血縁族(家紋)」の鹿角紋のレポートを参照して下さい。
この4つの家紋のうちのどれかに成ります。
大まかには雑談掲示板に書きましたが、諏訪族青木氏です。
諏訪族は諏訪太鼓で有名な武田軍団の赤兜の軍団で大変強い軍団でした。
しかし、信長との戦いで負けて、この諏訪族青木氏は藤原秀郷流青木氏の所を頼って横浜神奈川に到達しました。ここで諏訪族青木氏の一部が残り、更に奥の栃木へと逃げ延びたのです。
そして、そこでその力を発揮して土地に根着き郷氏や庄屋や名主などになりました。
元は諏訪族は620−660年頃にかけて帰化してきた200万人もの後漢の民で、この民は後漢の国を造った光武帝より末帝21代の献帝の子供の石秋王の子の阿智使王と孫の阿多倍王らに率いられて九州に上陸、瞬く間に無戦に近い状態で征圧し、中国地方から関西にかけて征圧しましたが、朝廷に帰化を申請し、次々と上陸してくるその一部が信濃の開拓に廻されました。この阿多倍一族の5代後の末裔が平清盛です。
それが、諏訪族の始祖に成ります。ここに皇族賜姓青木氏が守護王として着任し、後にこの諏訪族と血縁して発祥した諏訪族青木氏が発祥しました。
後に武田氏に組み込まれて、武田系諏訪族青木氏となりました。
信濃王の皇族賜姓青木氏の一族と諏訪族と血縁しましたが、男系継承が2代続きで女系となり、出来ずに養子先の家紋となり諏訪族青木氏となったもので、家紋は皇族賜姓の綜紋の「笹竜胆紋」から「抱き角紋」と成ったものです。つまり、御家一族の綜紋は「笹竜胆紋」です。
話を戻して後は信長に敗退して逃げ延びてきました。
御家の諏訪族が、天皇に、その開拓の勲功で、都に会いに来る状況が日本書紀にも出てきます。
「皇族賜姓青木氏」のことは研究室の所の皇族賜姓青木氏のレポートをお読みください。
渡来人の阿多倍一族のことも研究室にもありますのでゆっくりとレポート参照して下さい。
何かご質問がありましたら遠慮なくお便りください。
ではお待ちしています。