Re: 滋賀の青木です
青木研究員 さん 2006/12/12 (火) 18:25
今日は。 滋賀の青木さん 始めまして。
情報が少ないので確定は出来ませんが先ず家紋と土地柄とから検証してみます。
早速ですが、滋賀には古くから2つの青木氏が定住していました。
この2つは次の通りです。
1つは近江の青木氏が移動して滋賀に移り住んだ青木氏です。
この青木氏の末裔の本家筋一族が元の近江に戻り残った分家の一部が子孫を増やして滋賀の青木氏となりました。
この滋賀の青木氏の更に分家した一族の絶えた分家がありました。しかし、元上山と名乗る者が勢力を得て土豪となり家系を出世に必要とする為にこの絶えた分家分派の青木氏を奪い取り名乗り始めました。この青木氏を奪った上山一族が子孫を増やして滋賀の青木氏が出来ました。
そもそも青木氏は皇族賜姓青木氏の5家5流の24氏の青木氏と藤原秀郷流青木氏の直系1氏と直流4氏と支流4氏とで主要9氏で出来上がり116氏にも広がりました。
それ以外に、江戸初期前の混乱期を経て出世して江戸の初期から侍になった者と明治の初期に庶民が苗字令に基づき青木姓を名乗った者とがあり、これを第3の青木氏といいます。このルーツは一部を除き横の全ての縁者関係を維持していません。
研究室の青木氏と血縁族(家紋)のレポートを参照して下さい。
家紋掲示板の2Pに柏紋の6つの青木氏の家紋が載っていますので参照して下さい。
研究室にはこの皇族族賜姓青木氏のことも詳しくレポートしていますので一度ゆっくりとお読みください。
この滋賀には3つの青木氏がありますが、天智天皇より始まったもので、第6位皇子が臣下して天皇の親衛隊となり侍と成りました。
5代の天皇 天智、天武、聖武、文武、光仁の5代に続き青木氏が出ました。
この青木氏は5つの土地の守護王となり赴任地に定住しました。
初代は伊勢王、近江王、美濃王、信濃王、甲斐王と成りました。
これが青木氏の5家5流の24氏の青木氏です。
家紋掲示板にある皇族賜姓の家紋類です。24家紋と成ります。
この青木氏は宗派は浄土宗です。浄土宗はこの藤原氏を含む高位の者が入信できる宗派で江戸時代まで限定されていました。
中には、少ない寺院であるので赴任地や移動地になく止む無く浄土真宗に入る者もありました。
さて、御家の家紋はこの6つの家紋類には有りません。
したがって、明治初期か江戸初期の何れかの青木氏である事が覗えます。
そこで、御家が侍であったかでこの2つのどちらかであるかが判ります。
この江戸時期には136もの柏紋を家紋とする侍が生まれました。この中にも青木氏を名乗った者も多くおります。
又、御家の縁者関係が多く広がりを見せているのかも一つの資料と成ります。
ご親類の菩提寺や宗派が一致しているかや土地柄が古いなども大きな資料と成ります。
ご先祖の本家筋がどのくらいのところまでわかるかも判断資料と成ります。10-15代程度までだと江戸初期の青木氏で、3−5代程度ですと明治初期ですが、男親の本家筋のルーツ家紋など一致するかも資料と成ります。
滋賀の速水に長く住まわれていて本家筋がこの地に存在するかも重要です。
というのは、途中で男系不能となり女系と成って家紋掟により変紋を余儀なくなくなり現在の家紋に変わったことも考えられます。
つまり、抱き柏紋は江戸前期から吉田氏や金子氏や豊崎氏や森氏らが用いていますのでこの分家筋に当ります。この分家筋と御家の青木氏とが血縁氏したことを物語っていますので上のことを確認出来れば滋賀の2つの青木氏の分家筋か第3の青木氏かは判断出来ます。
一度、一寸した事でもわかりましたらお便りください。意外に何の意味の無い事でも大きく判ることがあるのがこのルーツ調べなのです。
他に上記したことで判りましたらお便りください。