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  [No.162] 尾張の青木です
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/19(Mon) 10:48:23

尾張の青木です
青木さん 2006/09/26 (火) 05:21 [ メール ]
愛知県名古屋市近郊に住む青木です。家紋は丸に違い鷹の羽紋で宗派は浄土真宗です。私が住んでいる一帯はかつては大脇村とよばれたところで青木という家が密集しています。曽祖父より前のルーツがわかりません。ぜひお願いします。


  [No.163] Re: 尾張の青木です
     投稿者:福管理人   投稿日:2009/01/19(Mon) 10:49:25

Re: 尾張の青木です
青木研究員 さん 2006/09/26 (火) 11:21

尾張の青木さん 今日は。始めまして。

青木サイトに良くお越し頂きました。

さて、早速ですが、お尋ねの件ですが、頂きました情報ですが、少ないこともありますが、次の事が検証出来ます。

先ず、尾張のお住まいのところには4つの流れの青木氏が住み分けています。大変青木氏の多いところです。

その前に青木氏の由来を記します。
青木氏には主に2つの流れの青木氏が存在します。

1つは皇族賜姓青木氏です。5家5流24氏あります。
詳細は研究室の「皇族賜姓青木」のレポートをお読みください。

大まかに、天智天皇の第6位皇子が臣下(侍に成ること)して天皇より賜姓(氏を直接に賜る事)を受けて青木氏と名乗りました。
日本の最初の青木氏です。
この天智天皇から5代の天皇がこの第6位の皇子に臣下させて賜姓を授けました。
5代の天皇とは天智天皇、天武天皇、聖武天皇、文武天皇、光仁天皇の5人です。
この5代の皇族賜姓青木氏は伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐の5つの国の守護として任命しました。伊勢王、近江王、美濃王、信濃王、甲斐王と成りその子孫が青木氏を引き継ぎました。

この青木氏の任務は天皇を自らの子供に守らせる親衛隊です。

此れは天智天皇の大化の改新での反省からです。
蘇我氏が権勢を我が物顔で振るまい天皇を脅かす存在と成り、中大兄皇子と中臣鎌足とが蘇我入鹿を倒して天皇家をまもりましたが、この時、天皇家には軍事と経済と政治の3権を蘇我氏に牛耳られて象徴的存在で有りました。
この反省で、先ず軍事的に自らを守るだけの信用の置ける護衛隊が必要と考えて第6番目の皇子を天皇の王位継承権を外して臣下させて侍とし氏を与えました。此れが青木氏の始まりです。

次に経済的な負担を軽減するために皇族に掛かる費用が莫大であったので第4番目までの皇子に皇位継承権を与え皇子とし、第6番目の皇子には親衛隊として任務を与えました。第7番目以降の皇子には下俗(一般化する)させて天皇家の菩提を祭る僧侶などになりました。
其れまでは第6世までを皇族として扱い第4世までを継承者の権利がありました。
つまり、4世方式から第6位皇子方式に変更しました。

天智天皇は子供が34人もいてそれに皇族関係者がいましたので大変でした。

此の方式は嵯峨天皇期(光仁天皇より2代後)に正式に詔を発しました。

此れが皇族賜姓青木氏です。

大化の改新で中臣の鎌足は天智天皇から藤原氏の賜姓を受けました。
藤原鎌足です。この8代あとの藤原の秀郷が「平将門の乱」を鎮めた功績で武蔵の国と下野の国(埼玉と栃木)を授かり貴族の称号を授かりました。

この時、貴族になりましたので軍事はつかえませんので、第3番目の子の千国に天皇家の青木氏に習い、朝廷より許可を受けて青木氏を与えて侍にして藤原氏自らを守る護衛隊を編成しました。
(嵯峨天皇のときに青木氏は皇族以外の者が使用することを禁じました。その代わり第6位皇子は源氏と賜姓することになりました。11代続きました。)

この藤原氏は主要5氏で兼光系では青木氏、永嶋氏、長沼氏、文行流では進藤氏、長谷川氏です。

この内の青木氏が、此れが藤原秀郷流青木氏です。直系1氏、直流4氏、支流4氏の9氏から成り、116氏までこの青木氏は広がりました。
この藤原秀郷一門は皇族賜姓青木氏とは母方の藤原氏で繋がっています。
藤原氏で見ると一族です。伊勢青木氏を除き。

この二つの青木氏があります。(室町期と江戸初期、明治初期の混乱期に庶民が青木氏を名乗った第3の青木氏があります)

さて、お家の事ですが、家紋が「丸に違い鷹羽」ですので安芸国の浅野家の流を組む藤原秀郷流青木氏です。
つまり、藤原秀郷一族の者が朝廷の命で各地に赴任します。この時に護衛役として付き従ったのが藤原秀郷流青木氏です。
この赴任地は全部で24国あります。(66国)
藤原氏の戦略としてこの青木氏は赴任地に土地の豪族と結び付きを強くするために必ず子孫を残してきました。
此れが各地の藤原秀郷一門の116氏にもなる青木氏です。

氏姓制度の中で男系の継承が出来ずに土地の豪族から養子を迎えて世継ぎとしましたが、更に男系が出来ずに女系となり家紋は家紋掟により養子先の家紋となつた青木氏です。
元は綜紋は「下がり藤紋」です。

この芸州には3箇所から藤原氏一門が移動定住してきています。

讃岐から阿波から滋賀からです。
家紋掲示板の2Pの鷹の羽紋のところ、地名地形データーの岡山と広島のところのレポートをお読みください。

お家はこのどれの一族かは今の情報ではわかりません。時代が江戸期のものですので困難です。もう少し戻る何か情報があればつかめますが。

しかし、讃岐、阿波の藤原秀郷流青木氏一族から見ると足利を通して滋賀から移動してきた藤原秀郷流青木氏ではないかとも思えます。

藤原秀郷流青木氏は埼玉の入間を中心に神奈川横浜までの距離を半径に円を描く範囲にこの青木氏の本家筋の116氏が存在します。

そこで、この名古屋付近の青木氏ですが豊田、丹波、渥美、高浜の4つの地方に村を形成して済み分けていました。地名地形の所をお読みください。

藤原秀郷の一門の詳細は「藤原秀郷一族の生き方」のレポートをお読みください。お家の古いルーツの行動などが良く判ります。
系譜はインターネットで藤原秀郷ルーツでお調べください。

東と南は藤原秀郷流青木一門、西は皇族賜姓青木氏の伊勢青木氏、北西には土岐氏系青木氏(賜姓美濃青木氏との血縁族)、北東には足利氏系青木氏(賜姓信濃青木氏との血縁)から成っています。

このなかの青木氏の中に安芸国の藤原秀郷流青木氏としてお家が入っています。

何はともあれ元祖は藤原秀郷でその第3子の千国であり、秀郷より4代目の兼光系青木氏で後の行久ルートの末裔です。116氏にも拡大しています。

宗派の情報はこの土地に住した藤原氏としては浄土真宗で一致しています。
本来は浄土宗です。浄土宗は大変高位な家柄の氏にしか入信を認めていませんでしたので少なく、各地に赴任した藤原は浄土真宗に入りました。
やっと、江戸時代に入り、幕府が奨励して増えたのです。

先ずは上記のレポートをゆっくりとお読みください。


ご不明な点とかご質問があればご遠慮なくお尋ねください。
また、一寸した事でも結構ですからあればルーツが更に開けてきます。

お便りをお待ちしています。