栃木の青木さん 始めまして。
暫く旅行しておりましてご返答遅れましたが、本日お答えすることが出来ます。
貴方のお家のルーツを調べる情報は次の事とします。
1 家紋は丸に抱き角紋(鹿角 おずか)
2 移動してきた武士
3 宗派は真言宗
4 武田氏系か
5 栃木には違う青木氏
最も重要なのはお家の家紋ですが、このことがお家のルーツの大元を示します。
では、鹿角紋の所以を述べます。
戦国時代に兜の前立(まえだち)として武家の間で好まれ、何時しかこれを紋としてもちいられました。
この家紋は近藤乗直という者が松平清康(家康の長男)前でしかを捕らえて角を引き裂いたことの伝説から家紋として清康から賜ったと伝えられています。
角の枝数で氏が判断出来ます。
この家紋は上記の藤原秀郷系の近衛将尉の役柄を平安期に務めていた家柄で、この近衛からの役務の頭文字をつけた藤原氏で近藤と名乗ったものです。
そして、この家紋を綜紋として用いていたのは甲斐の国の諏訪氏です。
この諏訪氏には付いては次のとおりです。
甲斐の国の武田氏に付いては、陸奥(青森)に赴任していた藤原秀郷の一族の者が陸奥の土地の土豪武田氏の者との血族で生まれた氏で、この氏が藤原氏の主の移動で甲斐の国に移り住み、その藤原氏を背景に力を発揮し土地の豪族となりました。
しかし、この時、土地には諏訪氏と言う土豪の強い一族が居て、この一族との決着がつきませんでした。そこで甲斐に入った武田氏は周囲の豪族を見方に引き入れるために、その土豪集団の長であつた諏訪氏との政略的な婚姻を結び、武田信玄の若き頃に見方の一族に引き入れることに成功し、甲斐の国最大土豪となりました。
この一団が結局、武田の最大武力集団の主役になり多くの戦いに働きました。これが諏訪族と言う有名な一族で、諏訪太鼓で有名で、戦いの最前線に出て太鼓を叩きながら前進する姿を見て、敵は全て逃げると言う程の武田諏訪族なのです。(日本書紀に大隈の首魁が太鼓と踊りで天皇をもてなしたとでてきます 後述)
武田と云えば諏訪族です。この諏訪族がこの家紋をもとより使用していました。
貴方のお家はこの武田諏訪族の一族の支流に当ります。
丸つきの抱き角紋に付いては諏訪氏の支流の家紋です。
諏訪氏支流とは諏訪氏の一族の者と武田系青木氏(後述)との間で血族関係を持ち、諏訪一族の者を婿に取り、後に生まれた子供にその婿の実家の家紋を継がせて、武田の諏訪族の配下にはいり、その証明として家紋に支流の印とする丸付き紋としたのです。
(家紋掟と云うものがあり、丸付き紋はこの場合が多いのです)
そして、武田系青木氏と諏訪氏との血統を持つ家柄の青木氏である事を示し、一族の安定を図ったのです。
武田氏の家臣で武勇に優れて世の中を怖がらせた諏訪族の一団員であつたとされます。
では、武田系青木氏とはどの様な一族かを概略を示しますが、詳しくは当研究サイトの青木氏の記述をお読みください。
この青木氏の出生は次の通りです。
昔は甲斐国 巨摩郡 青木村と言われている所がありました。
645年の中大兄皇子の大化の改新にて皇族の皇子を臣籍させて「青木」という「氏」を造り、5天皇自ら賜姓して、夫々5つの土地に配置し、この地の発展のために此処に赴任させました。
(5つの土地とは伊勢、近江、美濃、信濃、甲斐)
詳しくは、この皇族賜姓青木氏は天皇の直接の護衛集団として「天智天武」期から5代に渡り、第6位の皇子を賜姓して青木氏を出生させました。
この賜姓は645から790年まで5代の天皇に依って5地方に行われました。この地は790年前後の時期と考えられます。
そして、この地に守護として国府を置き、部落を形成して賜姓青木氏は住み着きました。そして、この村を青木村と名づけました。
その後、開拓が進み、朝廷はこの土地を他国から守る為に青木氏の勢力以外にこの青木氏の領国に清和源氏の「源の頼光」を守護として派遣しました。(975-980年頃)
「頼光」は弟の「頼信」を分家させて領国を勝ち取る為に、この地の守護を後に譲りました。ここを拠点に関東に進出しました。(義経や頼朝の先祖)
更に、確固たる勢力を作り上げるためにこの地に赴任して領国としていた賜姓青木氏とは、当初は政治的な連合関係でしたが、後に跡目による皇族系の姻関係を結びました。
(ほかの賜姓青木氏4家も同じ時期に跡目による婚姻関係を結んでいます。)
土着の豪族の武田氏との清和源氏(8代目源の源光と15代目義虎)との跡目の血縁関係をも構築し、源氏の裾野を広くする戦略を採りました。これが支流武田源氏の始まりです。
この武田氏と賜姓青木氏とが更に血縁関係を結び此れが武田氏系青木氏です。
この様に三つ巴の戦略を採り、清盛等の「京平氏」に対抗しました。
関西と中部に大きな源氏による勢力圏を構築したのです。他の賜姓青木氏4家同時期にも同じ戦略を実行しました。
このような歴史的な背景から、ここには皇族賜姓青木氏と武田系青木氏の2氏の青木氏が存在し村を形成しました。3つ巴の戦略です。この地のこの3つ巴戦略が成功して鎌倉幕府が出来たといっても過言ではありません。
平安期の歴史がその名として今に残っている貴重な地名なのです。将来も残してほしい地名です。
その後、2流2家の青木氏は、清和源氏の関東への移動に伴い、この皇族賜姓青木氏と武田系青木氏の子孫の一部は伊豆地方にも移動しています。
この様に生まれた武田系青木氏は、更に土豪の最大集団の諏訪族との婚姻を果たしました。武田氏系青木氏の中の諏訪族流青木氏となります。
この青木氏は上記した経過で諏訪族の系列に入り支流一族として組み込まれました。
もとより、お家の青木氏はこの諏訪一族に入った青木氏でありますが、更に辿れば上記した様に藤原氏の血筋も引いている一族でもあります。
更に元は皇族系の賜姓族の青木氏の血筋も持っている氏でもありますが、質せば、この皇族賜姓青木の母方は伊勢の賜姓青木氏を除く全て藤原氏の北家の血筋を引いていることにもなり、藤原秀郷の北家の血筋の引く武田氏と賜姓青木氏の母方藤原氏北家の血筋の2つもの藤原氏の血統を強く持つ一族です。
名家の一族です。
更に、この土豪の武田氏は清和源氏の跡目を受けて支流清和源氏(母方は藤原氏北家族)の血筋も持っているので、3つの北家の藤原氏の血統を持つ諏訪一族に入った青木氏ということに成ります。
賜姓青木族、諏訪族、清和源氏族、藤原氏族、武田族の5つの血統を持つ氏でありますが、中でも5つの族が並んだとしたならば、最も上位の家柄は主従は別にして賜姓青木氏が主であります。
お家はこの血筋の持つ青木氏です。
最後に採っておきの血族を持った結論を示します。
では、この強い諏訪族とはルーツは何にという疑問が湧きます。
このことに付いて長く成りますが下記に記述します。
この諏訪族の先祖は645年頃を中心として日本に帰化してきた渡来系の200万人に及ぶ後漢の国の民族です。
この後漢の光武帝から21代目の献帝の孫の阿智使王とその子阿多倍が、後漢が滅び、その一団を率いて日本に上陸しました。この集団は非常に高い軍事、政治、経済。生産能力に伴う技能などの持つた集団を引き連れて戦いをせずに帰化してきました。
ヤマトの朝廷はこの高い能力の持つた集団を歓迎し、各地に配置し、その技能で未開の土地を開墾させて、朝廷と国の力を高める戦略に出ました。
この戦略は大成功し、現代の第1、2次産業の基礎はこの集団が持ち込んだものが殆どです。現代にも維持されているのです。
この集団を甲斐の国の山間部に配置し、米を始めとする山の産物の加工と背の高い馬の放牧をし増産しました。この成功を朝廷は護るために信用できる天皇の皇子を臣下させ賜姓して、ここに配置し監督させたのが皇族賜姓青木氏であります。
ですから、この諏訪氏は元を正せば、渡来系の民族の血が流れている事になります。又、清盛等の京平家もこの集団の長の阿多倍の5代先の子孫に成ります。
この集団は天皇家とも血縁になり、賜姓を受けて、大蔵氏、内蔵氏、坂上氏、永嶋氏、阿倍氏、阿倍氏等がこの一族となります。
ついでこの縁者となるのは、全ての名前の後ろの字が「部」のついた氏はこの集団の末裔です。例えば、海部、服部、武部、綾部、磯部、など全てはこの渡来系族です。
古くから居た諏訪族はその信仰の元を、(当時まだ真言宗か少し後の浄土宗しか有りません。この渡来系の諏訪氏は)真言宗を宗派としました。
そして、賜姓青木氏とか16流ある源氏一族とか藤原氏とかの高位の武士と公家は浄土宗としました。鎌倉時代中期まで一般の者は宗派には入れませんでした。
したがって、貴方のお家は諏訪一族系の族になりましたので、真言宗に改宗したものと思います。
甲斐の国には上記した様に、皇族賜姓青木氏(笹竜胆)と武田系青木氏(割菱)となり、武田氏系青木氏の中のこの一族の諏訪系青木氏(抱え角)とが居た事になります。(武田氏は角菱紋)
角紋は24紋あります。
この中で、お家の家紋は家紋200選というものがあり、この中にありまして、全国の有力氏の一つとして選ばれた一族です。
(8000から10000あると言われる中で)
武田氏が信長に滅ぼされて、お家の一族が逃げ延びて栃木にきたのでは無いかと思います。
栃木の下野国は武田氏の故郷の藤原秀郷一族の領国で親族が多く居るところだからだと思います。
この一族が逃げ延びる事ができる方向は武蔵国の埼玉と下野の国の栃木だと思います。
この2国には藤原秀郷流青木氏が存在します。お尋ねの系列の違う青木氏です。(藤原秀郷流青木氏に付いては研究室のレポート参照してください)
嵯峨天皇期に令が出されて、青木氏を皇族、皇族賜姓族と藤原秀郷の氏以外の者が名乗ることは江戸末期(名目上)まで禁止されていましたので、家紋が正しいとして元を辿ればこのようにはっきりします。
(2大別すると、お家などを含む皇族賜姓族の血筋を受け継いだ末裔と、他には上記の藤原秀郷系の青木氏があります。明治初期の苗字の令にて苗字の持たない者がこの青木氏を名乗った第3の青木氏もあります。これ等は全て判別する事が可能です 地名データーベース参照)
青木氏であると言うことから、その範囲はこのように集約されて来ます。
元をただせば、同じ青木氏の血筋の持つ者の願いとして、是非に大変な名家ですので子孫を多く残してください。
以上が情報から観た貴方のお家のルーツとなります。
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