さて、お尋ねの件ですが、情報としては栃木または宮城と家紋は松紋との事ですが、確かに情報が少ないのでお答えが難しいのですが、次ぎのことをお調べ頂くとよりルーツを検証することが出来ますのでお知らせください。
先ず、松紋は全部で114もあります。この内青木氏に関わる家紋類は次ぎの二つです。
第1番目は丸に三階松紋です。
第2番目は抱き若松紋です。
この二つが青木氏に関わる紋と成ります。
そこでお家の家紋はこの内のどちらでしようか。
次ぎにお寺の宗派は何宗でしょうか。
次ぎにお爺さんの代とすると明治のころですのでルーツの確認は出来ませんので室町前後のころのご先祖の居たところですが判りませんか。このころの所在地は移動が出来ない社会でしたので古くから其処に居た事に成ります。
お寺の元々のご本家の菩提寺はどこでしょうか。
しかし、大まかに検証しますと、昔の国として武蔵国(埼玉)と下野の国(栃木群馬)には藤原秀郷流青木氏がこの一体を勢力圏ないに置いて子孫を拡大しました。
(研究室の藤原秀郷流青木氏関連のレポートがありますので詳細はここをお読みください。)
この栃木宮城群馬付近に昔からお住まいとしていたとするとこの藤原秀郷流青木氏の子孫となります。
(但し一部に武田氏系諏訪族青木氏の皇族賜姓青木氏の末裔が桃山時代にこの地に移動してきております。)
大きく分けますと青木氏は次ぎの二つに分けられます。
一つは、皇族賜姓青木氏5家5流24氏と藤原秀郷流青木氏主要9氏116氏に成ります。
お家はこの付近に長くお住まいと成りますと、家紋も三階松紋であるとするとこの藤原秀郷流青木氏であります。丸付き紋ですのでこの支流のおうちと成ります。松の形が三段階になっておりますし、松紋は大変似通っていますのでご注意ください。
更に、松紋は新しい家紋類に成りますので、江戸初期か室町末期に男系不継により松紋氏支流一族から養子による跡目をとり変紋を余儀なくされた藤原秀郷一門と成ります。
讃岐と栃木ではかなり離れているので難しいところです。
ただ、藤原秀郷流青木氏は護衛役として武蔵等から各地(24)に赴任して定住していますので可能性が遺されています。
松紋は江戸時代に多く使用された家紋類で讃岐地方に分布しているのです。
この二つの紋以外と成りますと明治初期の第3の青木氏と成ります。
詳細はお調べいただいたときにご説明いたします。(研究室にもレポートしています)
青木氏には平安初期より明治維新まで青木氏を名乗ってはならないと言う朝廷より詔がでていましたので他の氏と異なりその出生は限られています。
どんな事でも結構ですからお知らせください。お待ちしています。