お世話になっております。富士宮の青木です。いつも丁寧なお返事を頂き、お忙しい中お時間をさいて頂きまして厚くお礼申し上げます。管理人様ならではの緻密な分析や青木氏のことを詳しく教えていただき興味が尽きることがありません。
長島屋のことで正確にお伝えしていなかったこと等お知らせします。長島屋のことを調べるのに何冊かの郷土史の本を参考にしました。地元の方で過去に長島屋のことを詳しく調べた方がいて昭和49年刊行の小冊子を出されています。この方も「長島屋がいつ頃どこから来たのか、武士なのかどうかもわからない」と書いていて、また「長島屋が豪商であったことは確かであるが、このような田舎の宿場に現金掛け値なしの商法があったとしても大商人が育つかどうか疑問が残る」と書かれています。
この方の調査によると長島屋の御子孫の方から過去帳を見せていただくことができたそうで、その過去帳や戸籍謄本、墓碑などから長島屋の家系を調べています。過去帳に記されている初代の人は「青木将監」という人で天正4年(1576)に亡くなっています。
日光道中の宿場町で「長嶋屋」として商いを始めた人は「青木吉兵衛」という方でこの方が長嶋屋始祖となります。吉兵衛さんは享保17年(1732)に亡くなっています。
長嶋屋の菩提寺にある墓所にはこの吉兵衛さんの一代前の「善右衛門さん(1673年没)」から代々の墓があり善右衛門さんより先代のお墓はこの菩提寺にはないそうです。長嶋屋の家紋は五三の桐紋のようです。
「長島」の字についてですが本によって「長島」とするもの、「長嶋」とするものがあり、私もよく考えずにお便りで「長島屋」と書いてしまい正確でなかったかもしれません。菩提寺に残っている長島屋の看板(池大雅筆)には長島ではなく、「長嶋屋」となっています。この看板は三越の前身の越後屋の看板によく似ているものだそうです。三越の商標は桁に三の字が書かれていますが長嶋屋の商標は桁に吉の字で商祖の吉兵衛からとったのではないかとされています。
またもう一枚の長嶋屋の看板は徳川将軍の日光社参のときに将軍の休憩所となっていた浄土宗(知恩院末寺)の寺にも残っているそうです。この浄土宗の寺のすぐ近くには真言宗のお寺があり、こちらは4代将軍が宿泊したお寺でこの寺はもともと京都の醍醐寺と関係があったらしく歴代住職の中には九条家の人や六波羅蜜寺の住職を務めた方がいるそうです。この寺は昔の資料によると真言宗でありながら本尊は阿弥陀如来なのだそうです。長嶋屋の菩提寺とこれら二つの寺はわりと近接して建っていて、この3つの寺すべてに長嶋屋の痕跡があります。
4代将軍宿泊の寺には天明の飢饉のときの石碑があります。歴史上最悪の飢饉と言われ、浅間山の大噴火に起因し、この宿場町のあたりも6センチくらいの灰が降り、稲田はすべてダメになり、7月だというのに寒くなってまた河川も降灰の影響で川底が上がり、川の氾濫につながったようです。このときこの宿場町の善意ある商人たちがお金や米を出し合って75日間にわたり粥の炊き出しを続け周辺農村の難民や宿場の難民も含め餓死者を出さずに済んだそうで、そのときの商人たちの名がこの石碑に刻まれています。その中に「長島屋善六」という名があります。(長島の字で彫られています)
長嶋屋の墓所は市の指定文化財になっているそうで近いのでお参りにいかせていただきました。墓石の裏に代々の方の為した功績が墓碑として彫られているそうです。摩滅して読み取りずらいですが、いくつかの墓石に「長嶋」、「長島」,「長嶌」の3パターンの字が読み取れました。
長嶋屋の幕府への献金ですが江戸城本丸再建時やぺりー来航時の品川砲台資金、長州征伐資金にも使われたようです。
長嶋屋の生き方が伊勢のお家とよく似ているようにも思います。享保の改革後の長嶋屋の大きな事件としては天保の飢饉のときに打ちこわしにあっています。この宿場町に住んだ橘守部(伊勢出身)という国学者が門人に宛てた手紙にその時の長嶋屋の被害状況が書かれているそうです。長嶋屋はこの橘守部の門人であったそうです。
また前回のお便りで書きました明治13年の大火は長嶋屋があった日光道中の宿場町の大火のことで言葉が足らず失礼しました。この宿場町の大火で長嶋屋の店も焼失したようです。この火事のことも伊勢のお家と状況が似ているように感じました。
長嶋屋の言い伝えに「元禄期が全盛期だった」とあるそうですが元禄期にはまだ長嶋屋はこの宿場町で商いをしていないころかと思われ、この宿場町以外のところで商いをしていたのだろうかとおもいました。
一方的に情報を書き連ね,、読みずらくて申し訳ありません。長島の字のパターンも色々あったり難しく私では判断する能力がありませんので管理人様に情報をお伝えし,考察の一助としていただければ幸いです。管理人様の仮説が成り立つとうれしいのですが、なかなか一筋縄にはいかないでしょうか。
今回、管理人様と長嶋屋のことでお話しさせていただき、大変有意義でした。またサイトの論文をよませていただき青木氏の勉強を続けて行きたいと思います。またお便りさせていただきます。この度は有難うございました。