代理投稿
エラーと成っていましたので副管理人が代理投稿します。
投稿内容の文面
真鶴町の青木です。1180年8月に源頼朝が石橋山の戦いに敗れて真鶴へ逃げて来て隠れている時真鶴三苗字(青木、五味、御守)と呼ばれている三人が面倒を見たので、頼朝は喜び苗字を与えたと言われています。
真鶴町の青木さん 今日は。
始めまして、ようこそ青木さんが集うサイトにお越し頂きました。
これからも宜しくお願いします。
本サイトには青木氏に関する資料が満載していますので、それを少しづつでもいいですからお読みに成って下さい。
大方のお家のルーツも判って来ると思います。
伊勢や信濃などの青木氏では、「伊豆の青木氏」の事に付いては正しく記録が遺されていたのです。
お家は「五家五流皇族賜姓臣下朝臣族」の「伊勢と信濃青木氏の融合青木氏」です。
青木氏には二つの青木氏があってその二つは母方で繋がっています。
女系族の青木氏です。
皇族賜姓朝臣族の近江、伊勢、美濃、信濃、甲斐の五つの青木氏の5氏
同じく賜姓朝臣族の藤原氏北家流秀郷流青木氏の116氏 全国24の地域に分布し主にその宗家は埼玉入間に現在も存在しています。
この二つが血縁して青木氏一族を形成していたのです。
現在でも日本で唯一遺る氏族です。
伊豆は勿論の事、神奈川の周囲には青木氏の地名も遺り真鶴より西域の藤沢あたりまでこの青木氏が現在も多く存在していますよ。
お家の親族です。
神奈川の東域から千葉茨木までは女系、母方で繋がる賜姓朝臣族の藤原氏北家流秀郷流青木氏も現在も多く存在します。
1185年に以仁王の乱を源の頼政が令旨を以て全国の河内系の源氏に呼びかけます。
この時の少し前に、摂津源氏の頼政の領地は平の清盛から正三位の冠位の立場を与えら1159年に伊豆の国を領する事に成り、自ら軍を持たない摂津源氏の頼政は、困って女系血縁族の皇族系賜姓朝臣族の青木氏を頼って護って貰うように頼みました。
困った伊勢の青木氏は親族の信濃の青木氏と共に一族の者を出して大きな武力を持たない為に「商い」と、近くにいる秀郷流青木氏の武力と共に護る事にしたのです。
当然に二つは親族でありましたが更に男系も融合して女系と男系の完全同系融合族を作ったのです。
これが笹竜胆紋を総紋とする「皇族系臣下朝臣族の融合族」の「伊豆青木氏」なのです。
大まかに云えばこの様に成ります。
唯、この河内源氏の頼朝が助けてもらった礼として名を授けたとする事には詳しくは論じていません。
それには理由があって、これは飽く迄も後の「逸話」であって、その「逸話」には大きい齟齬があって、本当の史実とは違うのです。
従って、その逸話に沿っての論文は有りません。
恐らくは長い時代の間に「伊豆青木氏のルーツ」が分岐し伊豆の本家筋とは違い分家尊属族にそのルーツが忘れ去られて行った事から興った事でしょう。
元々、青木氏とはその様な系列の格式を持っていた事を知っていたのだと思います。
だから頼朝と青木氏とを結びつけた逸話が作られたのだと思います。
この逸話には、摂津源氏の頼朝を伊豆の洞窟の祠に匿い、その入り口に天智天皇が賜姓を受けた時に青木氏の「氏木」に指定されていた「神木の青木の賜姓樹木」を置いて隠したとする事から青木を名乗らせたとする物語風の逸話が出来ていたのでます。
そもそもの始まりは、「全青木氏族の始祖」は「天智天皇の第七位皇子の施基皇子」が「大火の改新の定め」により第四世族内の第四位皇子以下は臣下して青木氏の氏の賜姓を賜り、真人族から朝臣族となる事に成りましたが、その最初が伊勢王の施基皇子でした。
続けて、「天智天皇の第六位皇子の川島皇子」が「佐々木氏」を賜姓され、「近江王」に配置され、そこで伊勢と同族血縁して、「近江の青木氏」が生まれ、続いて美濃には三野王が守護王として「美濃青木氏」が発祥、信濃には「信濃王」が守護王として配置され、「伊勢青木氏」と血縁して「信濃青木氏」を発祥、甲斐には甲斐王が守護王として配置され青木氏を名乗ります。この内、皇子皇女を多く受け入れて青木氏を名乗っていますが、その意味で美濃と甲斐は独自の行動をとります。
この様に、「大化の改新」で皇位継承の出来ない「皇族の皇子」が多く発生し、この皇子皇女等をこの五家に受け入れさせて血縁させ財源を軽減させて、「皇族の周囲」をこの「五家五流の賜姓青木氏族」で固めたのです。
この時、伊勢と信濃の青木氏は斎王として皇女だけしか受け入れませんでした。
この制度は、嵯峨天皇が自らも「伊勢青木氏の出自」でありながらも、この「青木氏の賜姓制度」は皇親族から除き廃止します。
この青木氏による「賜姓制度」は「嵯峨天皇期直前期」まで続きますが「嵯峨天皇」はこれを廃止します。
その後、「青木氏の賜姓」を源氏に替えたのですが、この賜姓制度には、皇子皇女を受け入れる制度は全くありませんでしたし、皇族の財政ひっ迫から「源氏の経済的裏付け」もありませんでした。源氏は皇子皇女を受け入れる能力は全く無く史実もありません。
従って、源氏は花山天皇まで11家賜姓されましたが、生き残れたのは主に清和源氏でした。
この清和源氏の頼信系は河内で、朝廷が定める賜姓族に課せられた「9つの縛り」を守らずに、「賜姓族の禁じ手」の「武器」を持ち周囲を制圧し領地を奪い生き延びたのです。
賜姓族から外された青木氏は、奈良期から朝廷の仕事を一手に引き受けて「二足の草鞋策」で「商い」を手広く営み、その「儲け」を天皇に献納する族として生きて行く事に成ったのです。
その「最初の商いをした始祖」が「施基皇子のとその子等と孫子の青木氏・四家と云います」であったのです。
信濃も伊勢と行動を共にして同祖族血縁して同じでした。
故に、経済的に「巨万の富」を獲得し「天皇家と朝廷の経済的基礎」を築き潤した唯一つの姓を出さない「氏族・青木の氏」でした。
ところが、「近江と美濃と甲斐の青木氏」と「近江佐々木氏」はこれに従わずこの河内源氏の清和源氏と共に平家と戦い敗退し「完全滅亡・1221年」しました。
それが「以仁王の乱・頼政」からです。
「伊勢と信濃の青木氏」は同族血縁して、この戦いに参加せず、寧ろ、「平清盛の故郷」の「平家の里の伊賀」では「伊勢青木氏と血縁して伊賀青木氏、甲賀青木氏」を発祥させた一族であった事から中立を保ったのです。
その最初が、聖武天皇と孝謙天皇には皇位継承者が絶えて、そこで約200年弱前の昔の「天智天皇系の施基皇子の子孫」の「青木氏の出自」の「四男の白壁王・光仁天皇」に「孝謙天皇の姉の井上内親王」を后として嫁がせて皇族に再び引き込みます。
その妃と成ったのは、「清盛の祖母の高野新笠」であり、その実子が「桓武天皇・山部王」であり、その孫が゜平城天皇」であり、問題の「嵯峨天皇」なのです。
この時の少し前に「以仁王の乱を起こした摂津源氏の頼政」は、清盛から領土として藤原氏から山岳地の不毛の伊豆を獲得したのです。
この源平戦の前に頼政はこの伊豆を何とか別の形で残す事を策し、清盛から奪われない様に平家と縁の深い親族と成っていた「桓武派の伊勢と信濃の青木氏」に頼んで伊豆に移住配置してもらって此処を残そうとしたのです。
親族である「伊勢信濃青木氏」を潰す訳には平家は行かなかったのです。ここが狙いでした。
そして、「摂津源氏の子孫」を絶やさない為にも血縁していた伊勢には頼政の孫の四男の京綱を、信濃には国友を入れて血縁して、摂津源氏の子孫を遺したのです。
信濃の国友はこの後に伊豆に密かに移り住み同化します。
この前に、嵯峨天皇の仕打ちで苦しんでいた伊勢と信濃の青木氏を観て憂いて960年頃に「円融天皇」は伊勢信濃の母方の関東に勢力を張っていた「北家藤原秀郷」に「青木氏」を賜姓し、代々永代に第三男に青木氏を名乗らせる事を命じたのです。
その初代が千國でしたが後にこの子孫は116家に広がります。
秀郷流一族一門は361氏に広がりますが、その1/3がこの「第二の宗家」と呼ばれた青木氏が占め武力の持たない伊勢と信濃の青木氏の抑止力と成ります。
その勢力は武蔵入間を中心として半径を西は神奈川横浜域東として円を描くようにこの青木氏は分布していました。現在でも同じです。
この二つの親族の青木氏で朝廷に貢献する青木氏を守ったのです。
この流れの中で関東にも秀郷流青木氏のいる関東の近くにも拠点を置く事で頼政の説得に応じます。
それがお家の「伊豆青木氏」なのです。
お家の伊豆青木氏の融合宗家は伊豆の「浄蓮の滝」の東近くに北条氏から追われた頼朝子孫の実朝が隠れ住んだ隠家のところから直ぐ近くに今でも「宗家跡」や「一族墓所」などがあり、宗家跡や守護神の神明社も遺っていますし、その一族の形跡は色濃く遺されていますし、周囲は笹竜胆紋を総門とする「伊豆青木氏」で今でもいっぱいですよ。
故に伊豆の青木さんには現在も商いを営む子孫が多いのです。
以上が概要ですが、伊豆に移って伊勢と共に「和紙の商い・紙屋院の伊勢屋」を天皇から称号を与えられて占有権を持ち全国的に商いを行います。
この和紙の元の「良質な伊豆楮」を生産し伊勢と船で大商いして成長します。
ですから移り住んでから「昔からの伊豆の楮和紙」と呼ばれた「産業」を発展させました。
伊豆青木さんの真鶴の青木さんとなると、分家に当たると思います。
検索で先ず伊豆青木氏をお読みください。
正しくはお家のルーツを本サイトから獲得してください。
筆者は「親族の伊勢の青木氏」の福家です。
先ず青木氏のルーツ掲示板か研究室の掲示板の「サイト検索」で「伊豆青木氏」と記入すると読み切れない程の論文が投稿していますので、先ずそれをお読みに成ってください。
お家のルーツの大方は判ると思いますよ。
其の上で判らない処が沢山出てきますのでなんでも結構ですので遠慮なく都度お尋ねください。
では先ずはお便りをお待ちしています。