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  [No.1145] 青木です よろしくお願いいたします
     投稿者:青木柾   投稿日:2019/08/14(Wed) 12:33:04

 前略 ごめんください
当家の由来に関して知る限り記入いたします。
 旧埼玉県北葛飾郡鷲宮町(現・久喜市)にて代々、名主を務めてきたとのことです。
当時の屋敷跡は、宝泉池の西側、道路一つ隔てた東西に長い土地で、北側には塀のように土塁が現存しています。
(現在、20軒ほどが分割居住か)
土塁の外側をさらに北へ50mほど田の中の参道を進んだところに神社があります。祭神は稲荷神ですが、もう一つは不明です。
 往時は屋敷内には住居のほか、二つの神社・七つの土蔵があったと伝えられています。
 ちなみに明治維新ころ、一家はこの地を追われたとのことです。「印鑑一つで」とのことだそうです。
 以降の歴史は省略しますが、繁栄の代には驕ることなく質実剛健を旨とし、困窮の中でも学問を尊び、女子でも女学校・高等師範学校は必修という家風であったそうです。

階級 士族 祖母(明治36年生)の女学校の免状ほかの書類に「士族某」などの記載あり。
家紋 三つ重ね松(○なし・枝なし)
 墓 鷲宮山霊樹寺(曹洞宗) 当家が建立と先代の住職(岡田氏 静岡の家老の出)から伺ったことあり。
   ちなみにその折、住職は「梵鐘にも青木家の家紋が入っていた。太平洋戦争で供出、失われた。国策とはいえ残念だ。」とも伺った。
寺紋 本堂の瓦        丸に三つ重ね松
    軒の飾り        丸に左三階松
    ガラス戸(本堂正面) 丸に三つ重ね松
    屋根瓦(鐘撞堂)   丸に左三階松 
墓石(古い墓石) 三つ重ね松   
禁忌 正月の松飾りはしてはいけない。
    庭に松は植えない。
    朝顔など蔓物も植えない。
風習 節句には屋外の鯉のぼりはしない(室内の飾りのみ)。
先祖 出家やそれに準じるものが多い気がします。
    龍洞院大用山長泉寺(勅願寺)三十世白堂大牛大和尚
    ほか禅定尼・比丘尼など墓石に刻まれています。
    俗名は代々(遡るほど)「彦」の字が入っている。 例)彦右衛門・彦兵衛・彦太郎など
その他 五十年位前、上記長泉寺には、菊花紋入りの長棹(四名位で担ぐものか)のお駕籠がありました。先祖も使用したと先代の住職から聞かされました。
     現在はないようです。

  以上、断片的な手がかりしかございませんが、御教示のほど、よろしくお願い致します


  [No.1147] Re:青木です よろしくお願いいたします
     投稿者:副管理人   投稿日:2019/10/19(Sat) 10:31:53

>  前略 ごめんください
> 当家の由来に関して知る限り記入いたします。
>  旧埼玉県北葛飾郡鷲宮町(現・久喜市)にて代々、名主を務めてきたとのことです。
> 当時の屋敷跡は、宝泉池の西側、道路一つ隔てた東西に長い土地で、北側には塀のように土塁が現存しています。
> (現在、20軒ほどが分割居住か)
> 土塁の外側をさらに北へ50mほど田の中の参道を進んだところに神社があります。祭神は稲荷神ですが、もう一つは不明です。
>  往時は屋敷内には住居のほか、二つの神社・七つの土蔵があったと伝えられています。
>  ちなみに明治維新ころ、一家はこの地を追われたとのことです。「印鑑一つで」とのことだそうです。
>  以降の歴史は省略しますが、繁栄の代には驕ることなく質実剛健を旨とし、困窮の中でも学問を尊び、女子でも女学校・高等師範学校は必修という家風であったそうです。
>
> 階級 士族 祖母(明治36年生)の女学校の免状ほかの書類に「士族某」などの記載あり。
> 家紋 三つ重ね松(○なし・枝なし)
>  墓 鷲宮山霊樹寺(曹洞宗) 当家が建立と先代の住職(岡田氏 静岡の家老の出)から伺ったことあり。
>    ちなみにその折、住職は「梵鐘」にも青木家の家紋が入っていた。太平洋戦争で供出、失われた。国策とはいえ残念だ。」とも伺った。
> 寺紋 本堂の瓦        丸に三つ重ね松
>     軒の飾り        丸に左三階松
>     ガラス戸(本堂正面) 丸に三つ重ね松
>     屋根瓦(鐘撞堂)   丸に左三階松 
> 墓石(古い墓石) 三つ重ね松   
> 禁忌 正月の松飾りはしてはいけない。
>     庭に松は植えない。
>     朝顔など蔓物も植えない。
> 風習 節句には屋外の鯉のぼりはしない(室内の飾りのみ)。
> 先祖 出家やそれに準じるものが多い気がします。
>     龍洞院大用山長泉寺(勅願寺)三十世白堂大牛大和尚
>     ほか禅定尼・比丘尼など墓石に刻まれています。
>     俗名は代々(遡るほど)「彦」の字が入っている。 例)彦右衛門・彦兵衛・彦太郎など
> その他 五十年位前、上記長泉寺には、菊花紋入りの長棹(四名位で担ぐものか)のお駕籠がありました。先祖も使用したと先代の住職から聞かされました。
>      現在はないようです。
>
>   以上、断片的な手がかりしかございませんが、御教示のほど、よろしくお願い致します

埼玉の青木さん 今日は。

ようこそ青木サイトにお越しいただきました。
今後ともよろしくお願いします。

さて、お便りが遅れました。申し訳ありません。
歴史探訪の旅などをしていましてご返事が出来ませんでした。

詳しいお家の情報を提供頂きました。
これだけあれば直ぐにお家のルーツが判ります。
お答えから、お家は藤原秀郷流青木氏で全国24地域に分布する116氏から成る氏族で、その宗家は武蔵(埼玉)入間を拠点としていた藤原氏北家の氏族です。
将門の乱を沈めた一人で、その功績で貴族と武蔵国の所領を与えられました。
元は藤原系の関東に住んでいた「低い官僚」の「武蔵の押領使(警察)」でした。
武蔵の「俵藤太」と呼ばれていました。
この子孫に当たります。

お家のお住まいは、そのお家の宗家・本家が住んでいた地域です。
藤原秀郷一門は361氏で構成される日本一の氏族です。
その中の「第二の宗家」と呼ばれるのがお家の青木氏です。

その秀郷一門の総紋は「下り藤紋」です。
従って、青木氏の家紋は116ある事に成ります。
入間の宗家を中心として神奈川横浜を半径としてその区域内に円状に一族が住んでいました。
今でも同じです。
平安時代は赴任として24地域に現地孫を遺してきました。

そこで、お家は「三階左松紋」のルーツを持つ青木さんですが、この「松紋」は赴任にて定住した讃岐藤氏・讃岐域に定住していた「藤原秀郷流青木氏」なのです。

その子孫が5年毎に武蔵に帰ります。
そこで、この讃岐藤氏の松紋が武蔵にと讃岐に遺った事に成ります。
ところが、この松紋族は武蔵域で多くの子孫を拡大し「114の松紋」を造り出したのです。
それが全国に広がりました。
この松紋の中の最大の子孫を広げたのが「三階松紋」で、それが左と右に分かれました。
主に、「左の三階松紋」が武蔵域や下野域で拡大したのです。
「昔の慣習」として右より左の方が格式は上であったのです。
だから「左三階松紋」は優位の位置にいたのです。
特に、お家の青木氏は平安中期の讃岐青木氏の血筋を引く「三階左松紋」の由緒ある子孫と成ります。

そして、お家はこの「松紋」に丸紋を着けていますので、その分家筋に当たります。
然し、其れも「左松紋」ですので相当本家筋に近いお家と成ります。
この「丸付き三階左松紋」は日本全国8000の家紋の内、「家紋200撰」と云うものが在って、その中の一つに選ばれている家紋です。
つまり、由緒正しい大一族を構築している族と云う事に成るのです。
従って、お家の親族は少なくともこの「松紋系を使う事」に成るのです。
これを秀郷流一門だけが用いた「副紋形式」と云います。

宗派は総家宗家本家が引き継ぐので秀郷一門は「浄土密教」です。
お家は「曹洞宗」としていますので、「曹洞宗」は浄土宗系の16派の中でもでその教義は大変良く似ているのです。
「永平寺」を総本山として「悟り座禅」を教義としています。武士階級が帰依した宗派です。
「秀郷流青木氏」はこの「曹洞宗と浄土真宗」と成ります。
この浄土宗系の「浄土真宗」と「曹洞宗」は赴任中の仮の宗派です。
入間に帰れなかった「現地孫」はこの「浄土真宗か、少ないですが「曹洞宗」と成っています。
故に、お家は分家でも宗家に近い分家と成り、「現地孫の裔」では無い事に成ります。

推測ですが、お家の御先祖は鎌倉期には一時、越後に赴任していた可能性があるかも知れませんね。
確定は出来ませんがそれは武家や庄屋に信者の多い曹洞宗から読み取れます。
それを基に戻さずに引き継いでしまった事が考えられるのです。

お家が名主であったとする事は「上記の事」でも判る様に、武蔵の大勢力者で地主と成って江戸期まで続き、江戸期は一族が「幕府の官僚」と成って政治を動かしました。

当然にお寺の一つも持てる力を持っています。
「曹洞宗」は多くはこの様な武士階級や庄屋や豪農の郷士で支えられていたのです。

当然に自らの寺・菩提寺を持てば、身内から僧や尼僧を出す事は当然の事に成ります。
殆どはそうでした。
「秀郷流青木氏の宗家の総寺の氏の菩提寺」は「西光寺」です。
そのかわりに総家や宗家や本家は「浄土宗」を継承します。
取り分け、そもそも「青木氏」とは天皇より「特別の賜姓」を受けて「青木氏」を名乗ったのですから、その伝統は引き継ぎます。
そもそも、先ず「青木氏」の最初は奈良期初期に大化の改新時期の「施基皇子」を始祖とする「皇族賜姓臣下族」となりました。
この「青木氏の事」に就いてはサイトをお読みください。
「秀郷流青木氏」は960年頃に「円融天皇」よりこの「青木氏の賜姓」をうけ、初代は秀郷の「三男の千國」がこの「青木氏」を継承する事を命じられ、代々、一門の三男が「青木氏」を引き継ぐ事を命じられたのです。これが始まりです。
その「皇族系の青木氏」の「補完役・血縁族」としてそれと全く同じ「冠位官位官職」を永代に獲得しました。
明治期まで庶民は「嵯峨期の詔勅禁令」でこの「青木を名乗る事」は禁じられていました。
(特例の嵯峨期詔勅の青木氏が別にある。)

何故かと云えば、この「皇族賜姓臣下族青木氏の母方」は代々、秀郷一門であったからです。
従って、お家のご先祖の情報の「伝統」はこの「皇族賜姓臣下族青木氏」と同じ「慣習仕来り掟」を持つ「伝統」と成っているのです。

どのお家の全ての伝統の情報も疑う余地は全くありません。その通りです。

この正規の青木氏はこの「二つの血縁族青木氏」「から成り立っています。
お家はその一つです。

「襲名」の件はこの特別な「身分格式を持つ族」に与えられるもので、「二つの青木氏」には左門を護る「左衛門」と右の門を護る「右衛門」が与えられました。
その家ごとに「・・左衛門」「・・右衛門」として名乗る事に成ったのです。
これは、平安期にその「身分格式の持つ青木氏」が「天皇の宮殿を護る役目」を与えられました。
それは、天皇は「身の安全」を考えて信用できる「身内」で護ることを考えたのです。
左の門を護る者は「左衛門」、右の門を護るのが「右衛門」と成り、格式名があたえられたのです。
これが代々の襲名と成りました。
室町期ころからこれを無視されて誰でもが通用に成って仕舞ったのです。
つまり、天皇を直接隣の部屋で眠らずに務める名誉ある近衛軍を役目としていたのです。

上記の通り幼名俗名以外にこの「襲名を使える立場」なのです。
要する「最高の官位名」なのです。

「彦」に関しては、「春日社」を「守護神」としている「秀郷流青木氏」であるからこそ使える「彦」で「王位」に近い立場の氏族である事を示しています。
お家の「秀郷流青木氏」は「春日社」ですが、「守護神」は誰でも持てる守護神ではありません。
藤原氏の北家の摂関家は春日大社で、菩提寺は興福寺です。
守護神を持つ事が出来る族は日本には四つしかないのです。
お家の青木総家はこの「春日社」と「西光寺」を維持しています。

お家は悟りを教義とする「曹洞宗の寺」ですが、元は「浄土宗の西光寺」です。
一度、お尋ねに成ると、良いでしょう。武蔵の南域の近くにあります。
お家より「5k南」のお近くの「西光寺」は北足立郡伊奈町大字小針新宿463に在りますよ。
ここがお家らの宗家の「本寺」であったと思います。

念の為に「春日社」は「春日神社」ではありません。
お家の宗家の総社の「春日社」は吉川市大字半割341にあります。
此処も一度お尋ねに成ると良いでしょう。
何か伝わる物があるかも知れませんね。
「秀郷流青木氏」は「古来からの伝統」を護り、原形の「春日社」を護り通したのです。
そもそも、「社」は「神社」より「古来の伝統」がある為に「格式」は上です。

社は四段階に分けられていて、この「春日社」は官幣社で最高格式を持っています。
先ずこの格式は「皇族賜姓臣下族青木氏」の守護神の神明社以外に在りません。

尚、さて、明治期に一家が追われたとする事は、明治期に天皇家以外にその象徴と権威の持つ族は民主社会に好ましくないとして攻撃され、「権威の排斥運動」があって、世間から「青木氏」はひどい仕打ちを受けたのです。
筆者の家も焼き討ちや打ち壊し等を受けたのですが。
恐らく、「廃仏毀釈」も影響しているかもしれませんね。

実は筆者は依前、埼玉に長くいたのですが、良く判ります。
筆者は「伊勢の皇族賜姓臣下族青木氏の宗家・福家」です。
この「五家」は平安期には「五家五流の青木氏」が存在しましたが、源平戦で三家(近江美濃甲斐」)が滅亡し、今は「伊勢と信濃」とその族系の「伊豆と三河域」に青木村を形成して住んでいます。
お家とは江戸期中期頃までは「女系の同族血縁族」と成っていました。

詳しくは膨大な資料と成っていますが、ゆっくりとお読みください。

何かご質問が在ればこの欄のReでお尋ねください。

お便り遅れましてすみません。


  [No.1149] Re:青木です よろしくお願いいたします
     投稿者:副管理人   投稿日:2019/10/30(Wed) 08:34:05

投稿欄のReを試みようとして失敗したようですが、次の要領で試みてください。

私の投稿欄をクリックします。
その「投稿の末尾」の下の所に「返信フォーム」があります。

「おなまえ」の所に、お名前を記入してください。
次に、「合い言葉」の所に、ひらがなで あおきさん と書いてください。

タイトルは 「Re;・・・」 と出ていますので、其の侭に。

前の文面が書かれていますので、それを 必要な最低限のところで ”「切り取り」”して下さい。
出来るだけ多く「切り取り」を、「返信のメモリー」が足りなくなるので。

そして、「返信文」を書いてください。

「削除キー」と「投稿キー」を記入して「返信投稿する」をクリックすると、終わりです。
「削除キー」は「バスワード」です。
「投稿キー」は右横に「赤字」で書いていますので、それを小文字で記入してください。

以上で、「投稿待ち」の状態と成ります。

「投稿待ち」は管理人が確認して投稿します。

以上で投稿は完了し、ルーツ掲示板に記載されます。

再度、試してください。


  [No.1150] Re:青木です よろしくお願いいたします
     投稿者:青木昌彦   投稿日:2019/10/30(Wed) 13:10:54

この度は御多忙の折、詳細な歴史について、御教示いただき有難うございます。
また、返信に関して、お手間をとらせてしまい、申し訳ありません。

 さて、戴きました内容について、史実・事実・真実とはこのようなものか!と感嘆しつつ読ませて頂き
ました。
 殊に維新の折に、青木氏氏族に降りかかった災難に想いをはせると、何とも複雑な気がいたします。

 青木氏氏族研究室、有難く読ませて頂きます。
 本当に膨大ですね。
 これからも質問をさせて頂きたいと考えています。

 今後とも宜しくお願い申し上げます。