前略 ごめんください
当家の由来に関して知る限り記入いたします。
旧埼玉県北葛飾郡鷲宮町(現・久喜市)にて代々、名主を務めてきたとのことです。
当時の屋敷跡は、宝泉池の西側、道路一つ隔てた東西に長い土地で、北側には塀のように土塁が現存しています。
(現在、20軒ほどが分割居住か)
土塁の外側をさらに北へ50mほど田の中の参道を進んだところに神社があります。祭神は稲荷神ですが、もう一つは不明です。
往時は屋敷内には住居のほか、二つの神社・七つの土蔵があったと伝えられています。
ちなみに明治維新ころ、一家はこの地を追われたとのことです。「印鑑一つで」とのことだそうです。
以降の歴史は省略しますが、繁栄の代には驕ることなく質実剛健を旨とし、困窮の中でも学問を尊び、女子でも女学校・高等師範学校は必修という家風であったそうです。
階級 士族 祖母(明治36年生)の女学校の免状ほかの書類に「士族某」などの記載あり。
家紋 三つ重ね松(○なし・枝なし)
墓 鷲宮山霊樹寺(曹洞宗) 当家が建立と先代の住職(岡田氏 静岡の家老の出)から伺ったことあり。
ちなみにその折、住職は「梵鐘にも青木家の家紋が入っていた。太平洋戦争で供出、失われた。国策とはいえ残念だ。」とも伺った。
寺紋 本堂の瓦 丸に三つ重ね松
軒の飾り 丸に左三階松
ガラス戸(本堂正面) 丸に三つ重ね松
屋根瓦(鐘撞堂) 丸に左三階松
墓石(古い墓石) 三つ重ね松
禁忌 正月の松飾りはしてはいけない。
庭に松は植えない。
朝顔など蔓物も植えない。
風習 節句には屋外の鯉のぼりはしない(室内の飾りのみ)。
先祖 出家やそれに準じるものが多い気がします。
龍洞院大用山長泉寺(勅願寺)三十世白堂大牛大和尚
ほか禅定尼・比丘尼など墓石に刻まれています。
俗名は代々(遡るほど)「彦」の字が入っている。 例)彦右衛門・彦兵衛・彦太郎など
その他 五十年位前、上記長泉寺には、菊花紋入りの長棹(四名位で担ぐものか)のお駕籠がありました。先祖も使用したと先代の住職から聞かされました。
現在はないようです。
以上、断片的な手がかりしかございませんが、御教示のほど、よろしくお願い致します