埼玉の青木さん 今日は。
全国の青木さんが集うサイトです。これからもよろしくお願いします。
サイトには「日本一」の「氏」としての「膨大な資料」が記載されていますので、ゆっくりとお読みください。
必ずやお家のご先祖の生きざまを見ることが出来ますよ。
さて、その為にも「ルーツ掲示板」と「研究室」で「諏訪族青木氏」か「諏訪族系武田氏青木氏」か武田氏系諏訪族青木氏」を上段の「検索モード」から調べて読み進め、終わりましたら、今度は、「五家五流皇族賜姓青木氏」等で検索し、今度は、「藤原秀郷流青木氏」で検索すると、お家のご先祖が見えてきますよ。
では、一応、概要をご説明します。
その前に、「親族の言い伝え」は間違っていません。
先ず、お家の「ご先祖の歴史」がはっきりと判っています。
お家のご先祖は、最初、信濃、現在の長野県ですが、ここに定住し発祥しました。
お家のご先祖の事は、なんと「日本書紀」にも記載されており、中国の漢国が滅び、その民族の東に逃げた民族が「後漢国」と云う国を造ります。
ところがこの「後漢国」も「隋国」に618年に滅ぼされて、「400万人」が大和の北九州と南九州に上陸します。
この時、「後漢第21代献帝」の子の「阿智使王」とその孫の「阿多倍王」に率いられて上陸し九州全土を無戦で制圧し、更に、関西直前まで制圧します。
この時、大和国は66の国の内、33国まで制圧したのです。
その33国に多くの進んだ技能を教えたのです。ですから「大和の民」は戦わずに従いました。
そこで、「後漢の阿多倍王」は大和朝廷と和解し、南九州の阿多地方に国を与えられます。
そこで、この「阿多倍王」は「伊賀国」にも「準国主」として任じられ、朝廷に努めます。
この時に、付き従っていた「後漢民」の一団の内、「大型馬」を飼育する「部人」、つまり「馬部」が朝廷の天領地の信濃に配置され、「放牧馬」を育てます。
後漢での中国の姓は「馬(ま)」であったと観られます。
ここには、既に「皇族賜姓臣下族青木氏」が「信濃王」として「守護王」として赴任し定住していました。
配置された「馬部の後漢の民の渡来人」は、開墾し開拓し目覚ましい功績を挙げ、更には駿河(静岡)に配置された「海の海産物を造る磯部(後漢の民の渡来人)」との「山と海の産物」を交換して「信濃の民」と「駿河の民」をともに潤します。
此のことから、「信濃の部人」の「馬部の長」は天智天皇に「皇族賜姓青木氏(信濃王)」と共に呼び出され、特別の計らいにて天皇に間近で謁見し、更には、言葉を交わす事を許されます。
そこで ”困った事はないか”と問われ、驚くべき発言を天皇にします。
”税を下げてください”と頼みます。
驚いた「周囲の官僚」は止めに入りますが、天皇はこれを認め税を下げる事を許します。
この「しっかりした態度」の「馬部の長」に対して信頼し、大和での「諏訪の姓」を賜姓し、臣下と成ります。
「諏訪造(すわのみやつこ)」としての「国司を務める一族」となったのです。
”以後、「諏訪域」を「馬部」で納めよ”と命じます。
その後、この「馬部の長(諏訪氏)」と「信濃王の青木氏」とが血縁をします。
これが、「皇族賜姓青木氏系」の「諏訪族青木氏」です。
「お家の始祖」と成ります。
「諏訪一族の諏訪神社」を守護神とします。
その後、この「諏訪族青木氏」は、「諏訪族」と共に次の「三つの諏訪族の青木氏」を発祥させます。
1 皇族賜姓諏訪族青木氏(皇族賜姓青木氏の一族に組み込まれた諏訪族青木氏 諏訪東域に住む)
2 諏訪族系武田氏青木氏(武田氏の血筋を持つ諏訪族青木氏 諏訪西域に住む)
3 武田氏系諏訪族青木氏(武田氏に組み込まれたより武田氏に近い青木氏 甲斐に住む)
この三つは縁者一族の関係にありました。
さて、そこで、「武田氏」が滅びますが、この時、この「2と3の青木氏」は、「神奈川と横浜域」に先ずは逃げ込みます。
取り分け、「2の青木氏」の多くは生き延びてここにたどり着きます。
「3の青木氏」は「武田氏」である事から女子供を残して多くは滅びます。
何故、ここに逃げ込んだのかと云うと、ここには、「皇族賜姓五家五流青木氏」と縁者関係にあった「藤原秀郷流青木氏」が関東全域から中部域まで勢力を張っていた「日本一の大豪族」が住んで居たのです。
この「藤原秀郷流青木氏」は「武蔵国入間」に宗家を置き、そこを中心として半径を「横浜神奈川」までの円の全域に集中してこの武蔵を「青木氏」が定住して護っていたのです。
つまり、この「秀郷流青木氏」の縁者の勢力圏に逃げ込んだのです。
その後、「秀郷流青木氏」の「北の勢力圏」が手薄であったことから、「勇名を馳せた赤兜軍団の諏訪一族」の一部(2−1)を護りの為に北の域に配置したのです。
「上野」と境を接する「神川付近域」に配置したのです。
つまり、これがお家のご先祖ですが、その後、ここには少ないですが「秀郷流青木氏」も元から定住していましたので、(2と3)の「青木氏」は武蔵の国でも「諏訪族の青木氏」と「秀郷流青木氏」と血縁することに成ります。
これが「(2−2)の青木氏」(3の傾向の血筋が高い)です。
従って、お家はこの「2−1の青木氏」かは、今のところわかりませんが、恐らくは、家紋から、「諏訪の伝統」を護った「丸付き紋」の「抱き角紋の青木氏」ですので、「2−1の青木氏」かと観られます。
「神川町」でご近所に「立梶紋の諏訪大社」があったので間違いはありません。
最後に、お家の昔の縁者の「2の一部」は、越後にも「秀郷流青木氏」を頼って逃げ延びています。
江戸時代には酒屋などを営み豪商として大成功しています。
上記しました様に、「1000年以上の歴史」を持つ稀にみる「武家貴族」で「大きく長い歴史」を持つ”「伝統あるお家」ですので、今後も子孫にこの「サイトの言い伝え」を遺して頂きたいと思います。
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