長野県の塩尻市の青木氏さん 今日は。
来場記帳頂きました。有難うごさいます。
お家のルーツがどの青木氏かの疑問をお持ちの様ですが、お家のルーツがはっきりしていますので、折角ですのでお答えさして頂きます。
実は、長野にはルーツの異なる二つの青木氏が存在します。
元は同じですが、それが次の経緯に依って、枝分かれしています。
それは大まかに分けると次ぎの通りです。
1 信濃の皇族賜姓臣下族青木氏
このルーツが発祥元に成っています。
「天智天皇」の「皇子族の真人族」で、皇位継承権を外れ、「第四世族で第六位皇子」と成った者の皇族王で、皇族を外れて賜姓を受けて「臣下族」と成った「氏族」です。
この臣下した「氏族」に「青木氏」と云う「氏名」を賜ったのです。
これには「五家五流」あって臣下した朝臣族として、伊勢、近江、信濃、甲斐、美濃の「守護王」(国司を置いた)と成って配置されました。
この「氏族」も信濃では、現在も信濃の小県等に青木村を形成しています。
信濃の天領地の開発を担当しました。
2 信濃諏訪族青木氏
信濃については、先ず経緯として奈良期に、中国の後漢と云う国が滅び、日本に逃げて来ますが、瞬く間に無戦で九州地区全土を勢力圏に置きます。
この渡来一族は「阿多倍王」と云う王に率いられて渡来しますが、大和朝廷と戦わず融和し、その渡来人の家臣の馬を率いていた一族が放牧を中心として信濃開発に廻されます。
その一族の頭が諏訪族です。
その頭の族と女系で血縁した「信濃の守護王」との間に出来た子供が「賜姓青木氏」を名乗りました。
ところが、この「諏訪族青木氏」には「男系継承」が二代続きで女系と成った事から、1の継承の名籍を継ぐ事が叶わず「養子方の諏訪族系の青木氏」と成ったのです。
この「皇族賜姓臣下族の青木氏」が「諏訪族青木氏」です。
1と2は同族一門です。
現在もこの一部は、諏訪を中心にして西諏訪地区にも「青木村」を形成して定住しています。
又、武田氏に加勢して信長との戦いに敗れ各地に逃亡します。
神奈川と更には栃木にも一部は逃亡して定住移動しました。
この後、この更には、神奈川に定住した「諏訪族青木氏」は新潟にも移動定住しています。
3 諏訪族武田氏系青木氏
上記の「2の一族」が室町時代に武田氏との戦いで敗れましたが、結局、武田氏と血縁していて、この2の一族の一部も二代続きで男系跡目が叶わず女系と成り、武田氏より養子をとりました。ところが、これが、「女系」となり武田氏の一族に組み込まれました。
後に一部に諏訪地域に定住する族と、後に家康に依って埼玉の鉢形に村を形成して定住移動させられた一族に成ります。
武田氏系青木氏と共に3の一族も一族として同行します。
4 武田氏族諏訪族系青木氏
「3の一族」が武田氏の中で生きる中で、血縁が完全に「武田氏」の血縁性が強く成った一族です。先祖に諏訪族の血筋(女系で血縁)を引いているという一族です。
この一族は、血筋が武田氏であった事から旗本として武田氏と共に完全に滅亡したされています。
一部、甲斐にも各地に散在して農民に成って生き延びた事が判っています。
元々の甲斐青木氏が定住地の巨摩郡にも多い事が判っています。
現在はこの一族には定住地や家紋分析などは確定する事は困難です。
武田氏と共に敗退して滅亡している事からもそもそも信濃に定住する事もおかしいのですが、この一族だとする青木氏が存在するのです。
戦いで敗れ、その子や孫が掃討作戦で何とか生き延び密かに山などの村落で生き延びて、江戸初期の農兵で武士と成った者、明治期の苗字令で先祖の氏名を名乗ったとする定説です。
だから、小県と長野の地域群 諏訪塩尻地位群の中間地に位置している上田地域に位置していると観られています。
この[上田地域の青木氏村」は、江戸期だと云われていて比較的新しいのです。
この「青木氏」は、「丹治氏流青木氏」(1万石の大名と成り摂津地域に一族移動定住した為に疑問)とも云われ、又、「秀郷流青木氏」とも云われ、恐らくは先祖伝来の確証のある物証を持つ「青木氏」は見つかっていません。
故に、宗教や慣習の異なる「青木氏」が多い所から殆どは「明治期の第三の青木氏」とも思います。
さて、そこで、お家はこの「4つの青木氏」より、家紋と定住地の二つの情報がありますので、これからも、明確に判定が可能です。
「丸付き紋」ですから、上記の4つの何れかの分家筋であることは判りますが、家紋から武田氏系の菱紋類ですので、2か或は3と云う事に成ります。
4は確実にお住い地区が異なっていますし、主に甲斐に定住していましたから当てはまりせん。
此処で、お家のご先祖の母方は「青木村」にお住いの方であったとすると、母方は1または2のルーツを持つ一族の「賜姓族の青木氏」で、これとは違うと云う事ですので、そこで、「3のルーツ」を持つ一部で持つ「青木氏」と云う事にも成ります。
そこで、ところがお住まいがお家の場合は、昔の諏訪西地域の塩尻市にお住いと成りますと、「2のルーツを持つ青木氏」のお家と観られ、その分家筋の武田氏の傍系の血筋を一部で持つ後裔一族と観られます。
(お家の2のルーツの分家筋で二代続きの男系不継承が起こり武田氏の傍系三階菱紋の家から養子を迎えた事で、お家は女系と成り家紋変更が起ったのです。武田氏宗家は花菱紋)
3、又は4のルーツの青木氏は、武田氏系一門ですので、諏訪域に住む事は、昔の慣習の「棲み分け」から困難です。
棲み分け状況
小県地区 2地域の青木村 1のルーツが棲み分け
大町地区 3地域の青木村 2のルーツが棲み分け(1系ルーツ含む 1とは東西に棲み分け)
諏訪地区 2地域の青木村 2のルーツが棲み分け(塩尻迄東西に棲み分け)
長野地区 1地域の青木村 3のルーツが棲み分け
上田地区 1地域の青木村 4のルーツが棲み分け(3とは南北に棲み分け)
又、母方のご先祖の青木氏との血縁があると云う事から、氏族の格式を重んじる同族血縁の慣習から2であることに成ります。
更に3、又は4は格式が下の姓族ですので、当時としては考え難いものです。
これ等の事は、詳しくは研究室などに論文を投稿していますので参照してください。
地名の地図のメニュウも参照下ください。
ルーツ掲示板にもお家の元親族の方からのお便りも多く寄せられています。
掲示板の検索を使って、諏訪族青木氏でも読む事は出来ます。
判らない時は、ルーツ掲示板にお家の専用欄を設けますので、お問い合わせください。
ではお待ちしています。